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女子大生のバイブル『JJ』月刊誌終了の理由―築きあげた「お嬢さま」セオリーと立ち位置を見失った近年

米澤泉甲南女子大学教授
インスタなどSNSの台頭とともに女子大生は雑誌を読まなくなったが。(著者撮影)

 とうとうこの時が来てしまった。あの『JJ』が12月23日発行の2021年2月号で月刊発行を終了、実質的な休刊となってしまったのだ。一昔前までは女子大生と言えば『JJ』、『JJ』と言えば女子大生だったのに。1975年の創刊以来、『JJ』は30年以上にわたって女子大生雑誌のトップランナーであり続けてきた。ニュートラ、ハマトラ、エレガンス、デルカジ、可愛ゴー(*文末注記)。『JJ』が読者モデルを起用して、世に広めたファッションは数知れない。

 80年代のお嬢さまブーム、女子大生ブームを牽引した『JJ』。バブル期のブランドブームも『JJ』を抜きには語れない。何しろ、『CanCam』も『ViVi』も『Ray』もみんな『JJ』を雛形として創刊されたのだから。赤文字雑誌というくくりは、他誌が『JJ』の赤いロゴを模倣したことに由来するのだ。

 黒田知永子、賀来千香子、三浦りさ子、藤原紀香、梅宮アンナ、梨花から黒木メイサ、滝沢カレンまで元JJモデルにはビッグネームが並ぶが、読者モデルユニット「JAM」をはじめ、現在のインフルエンサーにつながる読者モデルの存在価値を高めたのも『JJ』だった。

 単に一時代を築いたでは片づけられない、70年代から現在までの日本のファッション文化に貢献してきた代表的な雑誌なのだ。

 『JJ』はなぜそれほど長きにわたって支持されたのか。『JJ』はいつからその勢いを失ってしまったのか。『JJ』という雑誌の歩みを改めて振り返ってみよう。

女子大生のバイブル

 女子の大学(短大)進学率が上昇し、女子大生が大衆化した1975年に『JJ』は女性週刊誌『女性自身』の別冊として産声を上げた。『JJ』の名は『女性自身』からとられたという。

 先に創刊されていた『an・an』や『non-no』とは異なり、『JJ』は最初から女子大生をターゲットにしていた。制服着用が基本だった高校時代とは異なり、多くの大学には制服がない。どんな格好でキャンパスに行けばよいのか。おしゃれな先輩はどんなファッションで通学しているのか。今なら、SNSで瞬時にわかるキャンパスの流行も、当時は知る術がなかった。そんな大学新入生の疑問と不安に応えたのが、『JJ』だったのだ。

 今、キャンパスではこんなファッションが流行しています。女子大ならこれ、共学ならこれ。『JJ』は創刊時から懇切丁寧にファッションを指南した。

シャツ一枚にしても、キマっている着かたがあるのです。カラー(襟)のデザインは、レギュラーカラー(ボタンレス)が主流です。柄はおととしあたりから人気がある、ベルト模様、チェーン柄が圧倒的にニュートラ派に支持されています。

出典:『JJ』創刊号より

 ここまで断言されると思わずベルト柄かチェーン柄のシャツを手にしてしまうのではないだろうか。キャンパスデビューしたばかりの新入生ならなおさらである。しかも、続くページにはプロのモデルの写真ではなく、おしゃれな先輩たちの実例が続くのだ。

 あっという間に、『JJ』が提案するファッションを着たJJガールがキャンパスを席巻するようになった。全国の女子大生たちに『JJ』に載っているような格好で大学に通いたい、女子高生たちに大学に入ってJJガールになりたいと思わせることに成功したのだ。

 ニュートラ、ハマトラに代表される初期の『JJ』が提唱していたファッションは、同時代の『an・an』が掲載していたパリ発のモードやデザイナーズファッションとは異質のものだ。そこには、流行にはない独自の着こなしやセンスが存在する。『JJ』は「キマっている着かたがある」というが、そのルールは何に基づいていたのだろうか。

お嬢さまの制服と結婚神話

 「お母様やおしゃれな先輩たちをお手本にしたさりげない服を、奇をてらわずに上品に着こなす」(創刊15周年記念の付録「『JJ』が創ったファッション&ビューティ15年」より)のが『JJ』の信条であった。

 だからこそ、創刊時にお手本とされたのが、ニュートラとハマトラ、それぞれの聖地である神戸の甲南女子大学と横浜のフェリス女学院大学の学生だった。両大学を中心とした学生を読者モデルとして誌面に登場させ、独特の着こなしを公開させることで、母から娘へ、先輩から後輩へと受け継がれていた文化資本を誰もが知り得る情報に変えたのだ。

 要するに山の手のお嬢さまファッションをキャンパスの制服として提案したのである。もちろんヴィトンやディオールなど海外高級ブランドのバッグも必須アイテムとなった。時代がバブルに向かっていたこともあり、『JJ』の「お嬢さまファッション」戦略は功を奏した。「東京VS.神戸BIGスナップお嬢さんスタイル大特集」(1985年8月号)、「『山の手』と『芦屋』お嬢さん実例集」(1985年12月号)。

 80年代のお嬢さまブームは『JJ』が立役者となったと言っても過言ではないだろう。ブームが過ぎ去った後も、『JJ』は「お嬢さん」にこだわり続け、21世紀になっても「それでお嬢さんデビューのつもり?」(2006年11月号)というように新たな時代の「お嬢さまファッション」を追求し続けた。

 なぜなら、奇をてらわず上品な「お嬢さまの制服」は、周囲の人々の好感度を高め、モテるだけでなく、彼の母親にも気に入られる服であったからだ。恋に勝つ服であり、結婚できる服。それが『JJ』ファッションの神髄であったとも言える。

 『JJ』で90年代から2010年代にかけて連載されていた「マダムOGの幸せウェディング JJ育ちの結婚神話」という記事がある。元『JJ』読者だったOGが現在の幸せな結婚生活を披露するというものだ。ところで、『JJ』育ちの結婚神話とは何だろうか。『JJ』を愛読し、JJっぽい上品なファッションに身を包んだ「お嬢さん」は幸せな結婚ができる、上昇婚ができるということではないだろうか。

ジェンダーレス時代に立ち位置を見失った『JJ』

 このように、長年培ったお嬢さまファッションと読者モデル戦略で盤石の体制を誇っていた『JJ』であるが、ライバル誌『CanCam』がエビちゃんOLでブームとなり、『ViVi』が独自のギャル路線でのしてきたこともあって、2010年代に入った頃から陰りが見え始めた。もちろん、雑誌離れを加速させることとなるSNSが台頭してきたことも大きい。

 読者モデルを活用し、おしゃP(おしゃれプロデューサー)に活路を見いだしたこともあったが、何度もリニューアルを繰り返し、しだいに路線が定まらなくなった。ついに女子大生の看板を降ろして、25歳以上をターゲットに定めた時期もあった。特に、編集長が替わった昨年以降は、付録はもちろんのこと、サイズを小さくしてみたり、イラストの表紙にしたり、手を替え品を替え、最後まで生き残る道を探っていたようだが、肝心の女子大生の心には全く響かなかったようだ。

 インスタをはじめとするSNSで情報が手に入るのはもちろん、時代は「ユニクロ、GUでよくない?」である。どこへでもユニクロを着ていけるのだから、女子大生のキャンパスファッションはもう必要ない。ワンピースでもスニーカーを合わせる「ゆるコーデ」が主流となる中で、ブランド尽くしのお嬢さまファッションは少数派となった。

 先日、100名以上が履修している授業で『JJ』を読んだことがあるかと尋ねてみた。美容院で渡される場合も含めて読んだことがある学生が半数以上を占めたが、中に数名『JJ』を知らないと答えた学生がいた。ファッションに関心がないのではない。『CanCam』や『ViVi』は知っているけれど、『JJ』は知らないのだ。数々の読者モデルを輩出し、かつてはこの大学が『JJ』のお手本だったというのに。

 もう、『JJ』の役割が完全に終わったことを実感した瞬間だった。今やファッションも生き方もジェンダーレスが叫ばれ、「女らしさ」そのものを問い直す時代である。結婚しなくても幸せになれる時代でもある。赤文字雑誌の中でも真っ先に『JJ』が休刊することになったのは、お嬢さまファッションで「幸せな結婚」を目指す『JJ』神話の耐用年数が尽きたからではないだろうか。

*ニュートラはニュートラッド、ハマトラはヨコハマトラッド、デルカジはモデルカジュアル、可愛ゴーは可愛いゴージャスの略。ニュートラ、ハマトラは創刊時から80年代前半、エレガンスは80年代、デルカジは90年代、可愛ゴーは2000年代の『JJ』を代表するスタイル。

甲南女子大学教授

1970年京都生まれ、京都在住。同志社大学文学部卒業。大阪大学大学院言語文化研究科博士後期課程単位取得満期退学。甲南女子大学人間科学部文化社会学科教授。専門は女子学(ファッション文化論、化粧文化論など)。扱うテーマは、コスメ、ブランド、雑誌からライフスタイル全般まで幅広い。著書は『おしゃれ嫌いー私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』『「くらし」の時代』『「女子」の誕生』『コスメの時代』『私に萌える女たち』『筋肉女子』など多数。

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