マスク好きな日本人

 あっという間に消されてしまったが、覆面アーティストのバンクシーの最新作は、「マスクをせよ、さらば与えられん。」であった。ロンドン地下鉄の車内に現われたこの作品は、マスク姿のネズミも登場し、マスクの着用を促すものだったという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/dc9c5cae23806d4704eb0242c4b145c95e9edbaf

 一方、ほぼ同時期にアメリカでは、トランプ大統領が新型コロナウイルス対策として、全米にマスクを義務化する考えを否定している。

米国ではマスクを着用するかしないかで政治的な大論争があり、保守派の間では「弱さ」とみなされるとして、否定的な考えが根強い。トランプ氏はインタビューで「マスクを信頼しているし、いい物だと思う」と語ったが、公の場で初めてマスク姿を見せたのは今月11日だった。

出典:https://news.yahoo.co.jp/articles/df5d89b5d688a01c486f2f815aec5bde86ea49bd

 いかなる時にも「強く」ありたいトランプ大統領にとっては、できればマスクは着けずにすましたいのが本音だろう。

 マスクが「弱さ」を表わすかどうかはともかく、欧米では、マスクに対して抵抗感を持つ人が多い。小学生から高齢者まで、大多数の人々が積極的にあるいは、自発的にマスクを着ける日本とは事情が異なる。

 日本では、すでに人と会うときはマスクを着けることがマナーと化し、マスクを取った顔はごく限られた人にしか見せないものになりつつある。マスクをしない=裸に近いような感覚を持つ人すら出てきている状況だ。

 なぜ、日本人はマスク着用に対してあまり抵抗感を持たないのだろうか。むしろ積極的にファッションマスクなどと銘打って、マスク姿のおしゃれを楽しむ方向に向かうのだろうか。 

もともとマスクが好きだった?

 コロナ以前はマスク姿と言えば、花粉症の季節が一般的だった。とはいえ、花粉症が国民病とまで言われるほどになり、マスク姿が広まったのは、21世紀に入ってからだろう。いつしか、春先は花粉症対策としてマスクを着ける人が増加し、風邪の季節だけでなく、春の季語にしてもおかしくないほど浸透するようになった。

 マスクの種類も豊富になった。花粉を防御するさまざまな高機能マスクはもちろん、美人に見えるマスクなども登場するようになり、コロナ以前から「美人マスク」を付録に付けていた女性誌もあったほどだ。

 また、近年は大学生などの若い世代を中心に、花粉症ではなくてもマスクを着けることが目立っていた。メイクをしていない素顔を隠すというレベルのものから、人とコミュニケーションするのが苦手(面倒)なのでマスクを着用するというケースもあり、若者にとっては対人関係においてマスクがすでに必須アイテムになっていたようだ。

 つい最近ゲーマーへの転身を表明したざわちんのように、マスク姿でさまざまな人物になりきるタレントも登場し、私たちはマスクを着けた顔にあまり違和感を持たなくなっていた。もうすでに、「毎日マスク生活」への下地はできあがっていたのである。

「顔隠し」とマスク文化

 このようにコロナ以前から、もともとマスク好き、マスクに対して親和性があったのはなぜなのだろうか。それは、やはり歴史的な背景と関係しているのではないだろうか。顔や化粧文化の歴史を紐解けば、「マスク好き」の理由は日本人の伝統的な美意識に行き当たるのだ。

 化粧文化研究の第一人者であった故村澤博人氏は、主著『顔の文化誌』(講談社学術文庫)において、日本人の伝統的な美意識の一つとして「顔隠し」を挙げている。

 歴史的に日本人は顔を隠し続けてきたというのだ。垂髪の髪や、御簾や几帳、扇子を用い、平安貴族は顔をあらわにしないことを良しとした。時は移り、江戸時代になってもお歯黒や眉剃り、白塗りの化粧によって顔を隠し、表情を読まれないようにした。とにかく、顔を隠し、表情をあからさまに面に出さないのが日本人の美意識なのだ。

 日本人は歴史的に、顔を隠してきた―そのように考えれば、私たちがマスクをごく自然に着用するのも合点がいく。欧米人に比べて、マスクを着けることへの抵抗感がないのは、この「顔隠し」の文化に由来しているのではないだろうか。「顔隠し」の復活。「新しい生活様式」と言いながら、実は伝統的な美意識が日本人の根底にあるのではないだろうか。