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筋肉こそ最強のアクセサリー ~増殖する筋肉女子~

米澤泉甲南女子大学教授
なぜ今、女子は筋肉に魅了されるのか(写真:アフロ)

羨望の筋肉女子

 モデルの中村アン、朝比奈彩にクロスフィットトレーナーのAYA。近頃、筋肉を鍛える女子が世間を賑わせている。彼女たちは筋肉女子、腹筋女子などと呼ばれ、ストイックに鍛えあげた体をメディアで誇示している。腹筋が割れているお腹、引き締まった二の腕や太もも。従来の女らしいカラダとは異なる「ナイスバディ」は人々を魅了してやまない。

 比較的若い女性だけではない。筋肉女子はアラフォー世代にも広がりを見せている。30代主婦向け雑誌『VERY』の表紙を飾るカリスマモデル、タキマキこと滝沢眞規子も、10年前から体を鍛えているらしい。 

 最新号の『VERY』ではその成果が公開されている。「鍛えて10年。滝沢眞規子さんの『この体だから着たい服』」そこでは、3児の母・40歳になったばかりのタキマキが、オフショルダーの服から覗く肩甲骨や引き締まった二の腕を惜しげもなく披露しているのだ。

 

イタリアマダムのように堂々と、そして品良く。

大きく胸元の開いた服でもヘルシーな空気を纏えるのは、深い呼吸と背骨の解放によって、力まない体が備わったから。デコルテや首筋の あるべき筋肉が現れ、筋膜で繋がる表情筋にもアプローチ。だから、自然と表情が豊かになる。

出典:『VERY』2018年8月号

 3度の出産を経験しながらも、「健康的に引き締まった豊かな体」の持ち主であるタキマキ。これは、10年間ボディメイクトレーナーの指導のもと、地道に続けてきたエクササイズの賜であるらしい。エクササイズを行なうことによって、「普通体型の私が少しずつ少しずつ変わっていった」という。ヘルシーな肉付きで媚びない体へと。ほどよく筋肉のついた羨望のボディへと。

 このように、単に細くてモデル体型なのではなく、グラマラスなバディでもない、鍛えあげた身体を持つ筋肉女子が今、注目されているのである。ファッション誌的に言えば、筋肉のついたカラダが今いちばんオシャレなボディとしてもて囃されているのだ。なぜ、筋肉は女子を魅了するアクセサリーになったのか。そもそもいつから、女子の間で鍛えることが流行しているのだろうか。

早すぎたマドンナボディ

 古くは80年代、マドンナの登場あたりまでさかのぼることができるだろう。80年代にマリリン・モンローの再来・新時代のセックスシンボルとして脚光を浴びたマドンナだが、そのボディはグラマラスなマリリンとはある意味対極の様相を呈していた。女性の時代を象徴するアイコンは、鍛えあげた強靱な身体をジャン=ポール・ゴルティエのセクシーな下着ファッションに包んでアピールしたのである。

2012年11月ロンドンのオークション。マドンナ着用のジャン=ポール・ゴルティエ衣裳(写真:AP/アフロ)
2012年11月ロンドンのオークション。マドンナ着用のジャン=ポール・ゴルティエ衣裳(写真:AP/アフロ)

 1987年の来日とともに、日本でもマドンナ旋風が吹き荒れたが、当時の日本の女の子たちはマドンナの下着ファッションやスタイルに憧れていても、鍛えあげた身体をも含めた「マドンナワナビーズ」にはならなかった。80年代のごく普通の女子にとって、マドンナの鍛えあげられた筋肉からなる身体はハードルが高すぎた。男女雇用機会均等法が施行されたばかりの日本では、まだそこまで「強い女」は受け入れられなかったのだろう。

 一部の芸能人、例えば山咲千里などは当時、かなりマドンナの影響を受けていたようであるが、彼女ですら下着ファッションを真似する程度にとどまっていた。80年代の後半には、いわゆるボディコン、ボディコンシャスなファッションも流行し始めたが、そこでもコンシャスされたのは胸の谷間であり、腰のくびれであり、豊かなヒップであった。決して、鍛えあげた筋肉をコンシャスするのではなかった。あくまでも筋肉は敬遠されていたのである。

紀香バディと女の幸せ

 結果として80年代後半から90年代初頭の女子たちがなりたいと願ったのは、ボリュームのあるバストとヒップにくびれを強調した女らしい身体であった。90年代に入ると、今までモードの世界では敬遠されていた大きなバストが注目されるようになっていく。AカップよりはBカップ。BカップよりはCカップ。理想はやっぱりCかD。モデル業界にも藤原紀香のようなメリハリのあるカラダの持ち主が登場したことで、ファッショナブルであることとバストが大きいことがイコールになった。現在、こじはるがモデルとして活動できているのも、ある意味紀香のおかげなのである。

バービー人形のようなグラマラスボディに女子は憧れた(写真:アフロ)
バービー人形のようなグラマラスボディに女子は憧れた(写真:アフロ)

 手足は細いけれども、バストやヒップはボリュームがあるグラマラスなボディ。紀香も憧れる峰不二子のようなカラダ。アニメやマンガの世界では馴染みがあるけれど、非現実的な身体、バービー人形のような身体を女子たちは夢見るようになった。そんなボディは実現可能なのか?彼女たちは、本当に峰不二子やバービー人形を目指していたのか。

 しかし、エステのTBCがスーパーモデルのナオミ・キャンベルを起用して「ナオミになろう」と呼びかけたのが1997年である。それから10年後の2007年には『紀香バディ!』がベストセラーになったことを考えると、当時の女子たちはなれるものなら、ナオミや紀香と半ば本気で願っていたのではないだろうか。

 とりわけ世の女子たちのお手本として、努力することの大切さを説いたのが紀香である。

目覚めよ、女!

 諦めの中に美しさは宿らない

 怠惰な人生に愛は実らない

 女はみんな、ダイヤの原石

 磨き上げて愛でるもの

 DNAよ、目覚めなさい!

 美しい女になるために 

出典:講談社VOCE編集部編『紀香バディ!』

 このように、女子たちのボディメイク魂に火をつけた『紀香バディ!』は、日々のエクササイズから食事のレシピ、愛用している化粧品まで藤原紀香が自らの美の秘訣をあますところなく公開した美容本である。それは同時に、彼女のこれまでの軌跡が語られる生き方本でもあった。まさに「愛と熱血の紀香ボディ!」を手に入れた彼女が、運命の人(当時)と出逢い、幸せをつかむサクセスストーリーでもあったのだ(事実、『紀香バディ!』は結婚式の引き出物として配られた)。

 とはいえ、「紀香バディ」はやはり努力だけで簡単に手に入るものではなかった。しかも、仮に「紀香バディ」になれたところで、「幸せ」が確約されているわけではないことを紀香は自ら実証してしまったのである。「紀香バディ」には後日談がある。数年後の2009年に出版された『紀香バディ!2リアル』ではその後の「リアル」な現実が赤裸々に語られている。美しい曲線を描くエレガンス・カーヴィー「紀香バディ」が決して、もはや男子が望む理想のバディではなかったということがわかる。

 草食男子という言葉が誕生したのは、2006年のことであるが、当時の男子には「愛と熱血の紀香バディ」を受け止めるだけのキャパシティはもう、なかったということだろうか。愛のために女磨きをしても不毛な「リアル」が待っている。女の幸せとは何かという問題を「紀香バディ」はあらためて突きつけたのであった。

鍛える女は美しい

 一時は「紀香バディ」を目指すものの、やはり挫折し迷走していた女子たちが、新たな目標を見つけたのが、ゼロ年代も終わりに近づいた頃だった。『走る女は美しい』―『FRAU』という女性誌の特集から発展した一冊の本が2008年に出版された。有森裕子や高橋尚子といった走るヒロインの登場でマラソンへの関心はすでに高まっており、いよいよ本格的に一般の女子たちも「走ること」に参入する時代が到来したのである。

 『FRAU』は女子たちを焚きつけた。「気になるカラダも人生もきっと変わる!」「セレブもモデルも今みんなが走り始めている」「シューズ一足で、人生だって変わっちゃう!」同じ努力をするならば、不毛な女磨きよりも人生を変えるランニング。運動とは運を動かすことなのだ。走ることで開運するならば、すべてが上手く回り出すならば、もう走るしかないではないか。

女子たちは走り、筋肉を鍛え始めた(写真:アフロ)
女子たちは走り、筋肉を鍛え始めた(写真:アフロ)

 こうして、女子たちは走り始めた。「走る女」であることを売りにするタレントも現れ始めた。代表格なのが、野菜ソムリエの資格を芸能界で初めて取得した長谷川理恵である。彼女はいち早く「走ること」を実践し、「美・ジョガー」として『FRAU』の誌面を何度も飾っている。2014年の『FRAU』「新・走る女は美しい」特集では、出産を経ても変わることのない、走ることで鍛えられたカラダを披露した。  

 「走るカラダは美しい」という見出しのもと「肩甲骨がくっきり浮き出た背中」「肩から二の腕にかけてのキリリとしたライン」「しっかりと大地を捉える強さと意志を感じさせる脚」を誇示しているのだ。それは、「愛と熱血の紀香バディ!」とは異なる「戦利品として得られる脱げるボディ」であった。

 鍛える女は美しい-長谷川理恵の活躍もあり、健康的で強さと意志を感じさせる鍛えられたボディは、しだいに女子たちの羨望の的となっていった。ただ細いだけでは健康的ではない。ダイエットやエステや美容医療でつくりあげる人工的なボディはもう、過去のものになろうとしていた。過剰な女らしさを感じさせる「紀香バディ」は現在のファッショントレンドにも馴染まない。

 抜け感、自然体、エフォートレス、身体に心地よいコンフォートなファッション。スニーカーやゆるいコーデに似合うのは、ヘルシーに鍛えられたボディである。もう、ラグジュアリーなブランドバッグやゴージャスなアクセサリーはいらない。それよりも、割れた腹筋、意志を感じさせる脚。筋肉こそ、最高のアクセサリーの時代がやってきたのである。

媚びない身体に宿る意識の高い私

 とはいえ、自然体、エフォートレスと言いながらも、実はものすごくエフォートを必要とするのが筋肉女子である。抜け感のあるエフォートレスなファッションももちろん、エフォートレスに見せるために陰で必死に努力しているわけであるが、ボディに至ってはファッションの比ではない。

 タキマキも10年かかったと言っているように、筋肉は一日二日の運動で得られるものではない。しかも継続しなければ元に戻ってしまう。まさに筋肉女子は1日にしてならず、なのである。だが、努力すれば必ず報われる、必ず手に入るのが筋肉というアクセサリーなのだ。自分の努力の成果が目に見えてわかること、筋肉というかたちで「見える化」されること、これが筋肉女子の最大のモチベーションであろう。 

 トレーナーのAYAが、美しい筋肉ボディをキープするために、極めてストイックな生活を送っていることは、TV番組「情熱大陸」でも紹介されていたが、筋トレはもちろん、食事、睡眠、日常生活のすべてにおいて意識を高く保たなければ筋肉女子にはなれないのである。

 だが逆に、筋肉女子であるということは、意識の高い生活を送っているということを黙っていてもアピールできるのである。日々のワークアウトをこなし、食事にも気を配り、健康的な生活を送っている意識の高い私。

 さらには、筋肉のもつプラスイメージも付与される。力強い、意志のある、媚びない、潔い-男性のためではなく、自分のためにカラダを磨いている自立した格好いい女性。筋肉女子であることは、媚びないことと同義であり、同性からの受けも良い。まさに筋肉女子万歳!なのである。

 強いて言えば難点は、やはり男性からの評価がそれほど高くないことであろうが、「結婚しなくても幸せになれるこの時代」においては、もはやそんなことはたいして重要ではないのかもしれない。

(文中敬称略)

甲南女子大学教授

1970年京都生まれ、京都在住。同志社大学文学部卒業。大阪大学大学院言語文化研究科博士後期課程単位取得満期退学。甲南女子大学人間科学部文化社会学科教授。専門は女子学(ファッション文化論、化粧文化論など)。扱うテーマは、コスメ、ブランド、雑誌からライフスタイル全般まで幅広い。著書は『おしゃれ嫌いー私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』『「くらし」の時代』『「女子」の誕生』『コスメの時代』『私に萌える女たち』『筋肉女子』など多数。

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