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【聞き込み】大洗・全裸男の足跡(1) 「おとなしいインドネシア人」がなぜ?

米元文秋ジャーナリスト
大洗町で軽乗用車が男に襲われた現場付近=米元文秋写す

 「大洗で外国人の全裸男が近くの車のおばちゃんをタコ殴り やばすぎる」。6月26日の土曜日、インターネットをチェックしていて、ショッキングなツイートが目に入った。

 動画が添付されていた。茨城県大洗町の通りを、全裸の男が悠然と歩いている。信号で止まった軽乗用車に近寄ってドアミラーをつかんだり、車体を大きく揺さぶったりした上、開いたドアの内側に回り込み、運転していた人を何度も殴りつけていた。男は腕が太く、上半身ががっしりして屈強な印象だ。

 ネット上には、同じ男とみられる人物が別の車のミラーを壊した、全裸の男がパトカーの屋根に上った…などとの情報や写真が次々とアップされた。町の人に電話をすると、「殴られた軽乗用車の人はおばちゃんではなく、男性。病院に運ばれたとの情報もある」と伝えられた。

「何が原因だったのか」

 茨城新聞の公式ウェブサイトが「水戸署は26日、器物損壊の疑いで、いずれも自称のインドネシア国籍で鉾田市の農業手伝い、39歳の男を現行犯逮捕した」と報じた。「午前7時24分ごろ、大洗町磯浜町の路上で、停車中のパトカーに上って踏みつけるなどし、ボンネットやルーフパネルを壊した」との容疑事実だという。鉾田市は大洗町の南隣にある。

 事件はネットで検索した範囲だけでも、朝日新聞や日刊スポーツ、NHK、TBS、FNN、ANNで報じられたほか、インドネシアの一部メディアでも取り上げられた。

 ヤフーニュースのコメント欄には「薬物中毒の典型的なそれでしょう」「また無差別にやるだろう」「これ以上不良外国人を増やさないでくれ」「こうゆう人がいるから、外国人労働者はダメ」などと、「不良外国人」への警戒感や怒りを表す書き込みが相次いだ。

 国籍にかかわらず、人間社会には一定数の乱暴者がいる。大洗町のインドネシア人も同様だと思うが、ここ数年、折に触れて取材をする中で膝をつき合わせてみると、大抵は、真面目で穏やかな人たちだ。地場産業の水産加工業や周辺地域の農場などで毎日働き、稼ぎの相当部分を故郷の家族や親戚のために仕送りする人も多い。町で視線が合うと、ニコニコしながら声を掛けてくる。

 そんなフレンドリーなコミュニティーにいる男が、なぜ、このような事件を起こしてしまうまでに至ったのか。コメント欄には「何が原因だったのか、最後まで報道して欲しい」との声も寄せられていた。

 私は大洗町に向かい、インドネシア人たちへの聞き込み取材を行い、男の足取りを追うことにした。

 なお男の名前について、前記の茨城新聞の記事は記していないが、他の日本メディアの多くは警察情報に基づき「自称●●」などと報道している。しかし、事件当時の特異な行動に加え、聞き込み情報から、男の健康状態や責任能力への疑念が深まったため、本稿では「A」と匿名表記する。

「恥ずかしがり屋」

 事件発生の情報は、SNSを通じて大洗のインドネシア人社会にも拡散した。Aがインドネシア人だと分かると、困惑が広がった。「だれなんだ」「酔っ払い?」「気が狂っている」「ストレスかな」―。

 筆者は、Aの自宅だと聞いた木造アパートにたどり着いた。大洗町内。事件現場から徒歩で行ける住宅街にある。既に日が暮れつつあったが、人の気配がなかった。玄関をノックして呼び掛けても返事がない。らちが明かないので、その近所に住む日系インドネシア人のBさん(50代)、Cさん(40代)夫妻を訪ねた。

 夫妻はAと顔見知りだという。「事件のあった土曜日、私は普段通り、勤務先の水産加工会社に向かっていて、コンビニの前に警官がたくさんいるのが目に入った」とCさん。

 「何があったのかは知らなかった。夕方、仕事が終わって、私の子どもが友だちから受け取ったLINEを見て、ぎょっとした。以前のAは恥ずかしがり屋でおとなしい人だったのに…。恐ろしい」

 私は「Aはこれまで、大酒を飲んだり、薬物を使ったり、裸で歩き回ったりしたことはないか」と尋ねた。

 夫妻は「知らない。聞いたことがない」と口をそろえた。Cさんは「私の友人は『事件の日の午前6時すぎにAを見かけた』と言っていた。そのときはまだ、服を着ていたそうだ」と話した。

「オーバーステイ」

 夫妻にAとの出会いから、順を追って語ってもらった。

 「2019年の冬…。いや、9月ごろだったかな。まだ新型コロナなんて聞いたことがなかった時期に、Aは大洗にやってきた」とBさんがふり返る。

 「(インドネシアの)北スラウェシ州の離島の出身だと聞いた。30代の奥さんも一緒に来た。私たちは同じ州の別の町の出身。Aは大洗に来た当初、私たちと同じ教会に通っていたので、知り合いになった。その後、Aは別の教会へ移った」

 夫妻は明かした。「A夫婦は2人ともオーバーステイだ」

 Aが最近通っていた教会の古参会員Dさん(50代)も、この情報を確認した。今回取材した、Aを直接知るインドネシア人10人前後の全てが、2人について「オーバーステイだ」と明言した。

日本人の人手不足

 大洗町の今年6月30日現在の人口は1万6290人。このうち外国籍の住民は約5%の820人で、その半分強に当たる421人がインドネシア人だ。

 インドネシア人の多くは、北スラウェシ州マナドや周辺地域の日系人たちだ。水産加工業で日本人の求人難が深刻化する中、大洗町やインドネシアでちりめん製造業を営んできた坂本裕保さん(70)が、20年以上前から町への日系人受け入れに取り組んできた。家族で定住・永住しているキリスト教徒が多く、町内のインドネシア人教会を核にコミュニティーを形成している。近年は技能実習や特定技能の資格で働いている人も増えている。

大洗町のインドネシア人教会へ礼拝に訪れた母子=事件とは無関係、2014年10月12日、米元文秋写す
大洗町のインドネシア人教会へ礼拝に訪れた母子=事件とは無関係、2014年10月12日、米元文秋写す

 実は大洗町には、こうした400人超の正規滞在者のほかに、オーバーステイのインドネシア人たちがいる。町内に七つあるインドネシア人教会のうち、主な五つの教会の関係者に取材した話を総合すると、オーバーステイは約200人に上るとみられる。同町に住むインドネシア人の3人に1人がオーバーステイという勘定だ。

 出入国在留管理庁は、今年1月1日現在、日本に「不法残留者」が8万2868人いると発表している。Aらオーバーステイの人たちは、これに含まれることになる。

「ゲンバ」を転々

 Bさん、Cさん夫妻は「Aはゲンバの仕事を転々としていたようだ」と話す。

 「ゲンバ」は、大洗町のインドネシア語の日常会話にしばしば登場する。水戸市などの大洗町周辺での建物解体や建設などの現場作業を意味する場合が多い。オーバーステイ労働者には有効な住民票がない。彼らのゲンバは、短期のアルバイトになりがちだ。

 Cさんは「A夫婦には最近、赤ちゃんが生まれてね。今はまだ生後4カ月ぐらい。男の子。最近も奥さんが子どもと一緒にドラッグストアで買い物をしていた」と語った。不安定な暮らしの中だが、新しい命に恵まれたA。このころまで、事件に至るような兆しは感じられなかったという。「でも、ここ2カ月ほど、最近までAを見かけなかった」。

 夜、Aのアパートを再度訪ねてみた。やはり無人。玄関付近にはベビーカーが置かれたままだった。

(続く)

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ジャーナリスト

インドネシアや日本を徘徊する記者。共同通信のベオグラード、ジャカルタ、シンガポールの各特派員として、旧ユーゴスラビアやアルバニア、インドネシア、シンガポール、マレーシアなどを担当。こだわってきたテーマは民族・宗教問題。コソボやアチェの独立紛争など、衝突の現場を歩いてきた。アジア取材に集中すべく独立。あと20数年でGDPが日本を抜き去るとも予想される近未来大国インドネシアを軸に、東南アジア島嶼部の国々をウォッチする。日本人の視野から外れがちな「もう一つのアジア」のざわめきを伝えたい。

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