町の農業を次世代につなぐ~農家の息子と新規就農を目指す元会社員の挑戦~

徳島県神山町のフードハブ・プロジェクトで働く白桃薫さん(左)、松本直也さん(右)

個人が幸せになれる働き方とはどんなものか?

ーーこれには様々な回答がありえますが、ひとつには、「今やっていることが、自分の目指す未来につながっている」という実感があると、人は充実感や幸福感を感じられるのではないでしょうか。

今回は、農業に関わる仕事を通じ、目指す未来に向かっていきいきと働いているおふたりの話を紹介します。

徳島県 神山町で地域の農業を将来につなぐべく、自ら畑仕事をしながら農業人材の育成に取り組む白桃薫さん(34歳)、大阪から家族4人で移住し、農業研修生として新たな生活を切り開こうとしている松本直也さん(35歳)です。

代々続く農家の息子が、移住者の多い新会社と地域社会をつなぐキーマンに

白桃さんは大学を卒業した2006年に神山町役場に就職し、2年前から一般社団法人「神山つなぐ公社」に出向して同町の「フードハブ・プロジェクト」の立ち上げメンバーになりました。

フードハブ・プロジェクトについては、今年の5月に記事にしました。

詳細は上の記事にありますが、地域の農業と食文化を次世代につなぐことを目的に設立されたのが株式会社フードハブ・プロジェクトで、「地産地食」を合言葉に「育てる部門」「食べる部門」「食育部門」の3つの部門が活動しています。

フードハブ・プロジェクトの取り組み(画像提供:フードハブ・プロジェクト)
フードハブ・プロジェクトの取り組み(画像提供:フードハブ・プロジェクト)

白桃さんは「育てる部門」を率いる農業長として、農産物の生産や農業研修生の教育などを担っています。加えて、部署名や肩書きにはない重要な役割も果たしてきました。

例えば、フードハブ・プロジェクトのスタッフの多くは他の地域からの移住者で、白桃さんは彼らの家探しも手伝います。

「町にはほとんど賃貸物件がないので、知り合いをたどり、空き家を持っている人に『家を貸してください』と頼みに行くんです。町のNPOのグリーンバレーさんにも手伝ってもらったりしながらですが、そうやって家を探した人がもう10人くらいいますね」

他にも、フードハブ・プロジェクトが運営する食堂「かま屋」で「キャベツを使いたい」といった要望が出てきたら、白桃さんが仕入先を探してきました。

「知っている人を頼って『キャベツありますか』と聞きに行くと、『ここにはないから、誰々さんに聞いて』と言われる、そんなことを繰り返し、キャベツが手に入るところを見つけて『食べる部門』とつなぐ。こういう細々としたニーズがたくさんあるんです」

町にとっては“新参者”の組織であるフードハブ・プロジェクトが活動していくために、地域とつながる白桃さんはキーマンとして欠かせない存在だったのです。最近ではほかのスタッフも地域とのつながりができてきたため、より農業長としての仕事に注力しようとしているところだそうです。

不況で農家を継ぐことを保留にし、町役場に就職

白桃さんは神山町で米と苗木を生産する農家に生まれ育ちました。近隣の店に直に米を卸しており、高齢化で周囲の米農家が減った結果、現在では神山町内の学校給食で使われる米はすべて白桃農園で生産したものだそうです。

子供の頃から農業が身近にあった白桃さんは東京農業大学に進み、卒業したら農業をやっていくつもりでした。しかし、実家の経営状態の悪化をきっかけに進路変更をします。

「卒業の前年あたりに一気に景気が落ち込み、その時は家の売上がほとんど半分以下になったんです。特に打撃を受けたのは苗木の販売でした。不況だと公共事業が減って街路樹の需要が減り、農家も新たに果樹を植えないので、全く売れなくなって……。親からは『この仕事はやめとけ』と言われ、ちょうどその年に役場で募集があったので、とりあえず就職しました」

いずれ家業を継ぐまでのつなぎのつもりでしたが、フードハブ・プロジェクトの仕事が始まるまでの10年間、役場での仕事を続けてきました。畑の耕作放棄地や鳥獣害対策を担当するなど、行政の立場で農業に関わる機会も多かったそうです。

町民と一緒に町の未来を考える機会を通じ、主体的に関わることを決意

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2015年の後半、白桃さんに転機が訪れました。町が、働き盛りで子育て世代に当たる住民や町職員を30名ほど集め、議論を重ねて「まちを将来世代につなぐプロジェクト」実行プランを策定。この中で、フードハブ・プロジェクトのプランが生まれたのです。

若手職員として招集された当初、白桃さんは「また何かやるのか」という感覚で、主体的に参加する気持ちはなかったそう。しかし、4ヶ月にわたる活動の中で「自分こそがやらなければ」というテーマに出会います。

7月にキックオフし、プランの立て方などを学ぶ期間の後、集められたメンバーは7つの課題領域の中から自分が取り組みたいものを選んでグループに分かれ、具体的なプランの検討に入りました。白桃さんが選んだのは「食べる」というテーマです。

「『教育』というテーマとどちらにするか、迷ったんです。小学校と保育園に通う子供がいるので、神山の教育をこういうふうにしたいというような期待もあって……。でも、役場でも農業の係をしていましたし、『やっぱり食べることかな』とその時はなんとなく選びました」

この「食べる」をテーマとするグループで一緒になったのが、後で一緒にフードハブ・プロジェクトを立ち上げることになる真鍋太一さんです。真鍋さんはその前年に妻子とともに東京から移住してきました。神山町にサテライトオフィスを持ち、ウェブ制作やコンサルティングを行う株式会社モノサスの社員でもあります。

神山町といえば、2011年前後から都会のIT企業のサテライトオフィスが増え、働き盛りの世代の移住者を呼び寄せたことが有名です。しかし白桃さんは、そういった新しいタイプの移住者と関わる機会がありませんでした。真鍋さんとは子供同士が同級生という間柄でしたが、このときまでお互いを知らなかったそうです。

真鍋さんは以前から、料理人を中心に食材の作り手や食べ手をつなぐイベントやコミュニティを運営してきました。そんな真鍋さんの活動を知って刺激を受けた白桃さんは、「神山のために、小さいものと小さいもの、少量生産と少量消費をつなぎたい」という思いをいだき、それがフードハブ・プロジェクトのコンセプトになっていくのです。

課題解決の方法や新しい事業のアイデアを出すために関係者が集まってワークショップをするという方法は、その場では盛り上がっても「じゃあ、誰がやるの?」という問いへの答えが出ず、実現に至らないということが多々あります。フードハブ・プロジェクトのプランを練りながら、白桃さん自身がそれに取り組んでいこうと決意したのはいつ頃だったのでしょうか。

「自分がやらなければ、と考えるようになったのは最終プレゼンの頃です。一緒に検討したグループには自分と真鍋の他に役場の人が3人、農協の人が1人いました。彼らは主体としてやらないだろうな、という雰囲気があって、それだったら自分がやればいい、という思いがだんだん濃くなっていきました」

そして2015年11月、白桃さんは、町長もいる最終プレゼンの場で「役場を辞めてでもフードハブをやりたい」と宣言したのでした。

「息子が騙されている」と思っていた父親も、共通の問題意識を持っていた

なお、フードハブ・プロジェクトには白桃さんのお父さんも役員 兼 最高農業指導責任者として参画しています。

お父さんは最初、「お前の息子は役場を辞めると言っとるぞ」と人づてに聞き、白桃さんがよく分からない企てに巻き込まれて騙されていると思っていたそうです。フードハブ・プロジェクトに参加することになったきっかけは、「フードハブ」という取り組みの発祥の地であるアメリカ視察でした。真鍋さんが「農業の会社を始めるのに、農家が誰もいないのはおかしい。お父さんを連れて行こうよ」と言って声をかけたのです。

白桃さんのお父さんは現在60代前半。町の米農家としては一番の若手として農業に向き合い、地元の小学校の農業体験にも協力したりする中、地域の農業の今後についてはやはり問題意識があり、フードハブ・プロジェクトのビジョンに共感したようです。

家族会議を重ね、妻の協力も得て脱サラと移住に踏み切った

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白桃親子の指導の下、今年の4月から農業研修を受けているのが松本さんです。

松本さんはそれまで、大阪の化粧品、化粧用具のODMメーカーで商品開発に携わっていました。もともと製造部門にいたという松本さんは、モノづくりをしたいという気持ちからキャリアチェンジを考えるようになったそうです。

「開発部門に移って何年か経ち、35歳という年齢もあって、マネジメントすることが増え、上にいくにはマネジメント力をつけなければいけないと会社から言われていました。でも、モノを作るのが好きだったので、マネジメントだけの仕事に自分はピンとこなくて……。去年、このままマネージャーになって仕事をするのか、プレイヤーとしてやっていくのかを真剣に考えました。やっぱりモノづくりをやりたいけれど、その会社では生産現場に戻ってプレイヤーとしてやっていくというのはイメージしづらい。他の会社に行くという選択肢もありましたが、せっかくなら自分で一からモノを生み出し、お客さんの声を直接聞けるような仕事がしたい。そして自然が好きということもあり、農業に興味を持ったんです」

そんな松本さんの考えを聞いて、当時は専業主婦だったという奥さんはさぞかし驚いたことでしょう。松本さんがこれまでのキャリアをリセットして未経験の農業を始めることへの不安や、ふたりの子供を育てながらコミュニティを築いてきた大阪を離れることへの抵抗は大きかったようです。

でも、何度も家族会議を開き、最終的には理解が得られたと松本さん。「就農するなら自然豊かな中山間地で」という松本さんの希望を汲んで、フードハブ・プロジェクトの情報を仕入れてくれたのは奥さんだったそうです。

地方の過疎地で農業をするとなると子供の育つ環境も気になるところですが、神山町の場合は子育て世帯も多く、町の保育園には60人もの園児がいます。5歳と1歳の子供たちは自然の中での遊びを楽しみ、近所のおじいちゃんおばあちゃんもよくしてくれるほか、松本さんも会社員時代と比べて子供と触れ合う機会が増え、今のところ家族ともども充実した暮らしを送っているようです。

新規就農者が感じるフードハブ・プロジェクトの魅力

奥さんからフードハブ・プロジェクトのことを聞いた松本さんは、非常に魅力を感じたと言います。

「有機栽培や地域に根付いた働き方など、フードハブ・プロジェクトでは、自分がやりたいと思っていたことの一歩も二歩も先のことをやっていると感じたんです。ここで働いたら楽しそうだし勉強になりそうだと思い、研修を受けることに決めました」

フードハブ・プロジェクトは国の「農業次世代人材投資資金(準備型)」の研修法人として認定を受けており、研修生は最大で年間150万円の生活費を受け取りながらノウハウを得ることができます。国が認定する研修法人は全国各地にありますが、松本さんは農法やビジネスモデルへの共感以外にも、フードハブ・プロジェクトでの研修のメリットを感じているようです。

「研修期間は2年で、その後は独立してやっていくことになります。その時にネックになるのが、販路と農地の問題なんです。フードハブ・プロジェクトは『地産地食』や地域の農業人材を育てるという考えがあるので、独立後も一緒に組んでいくことがイメージできました。僕が作る野菜を食堂や加工品に使ってくれたり、他のレストランなどに卸す時にもハブ的な役割をしてくれるという話だったので、販路の課題がある程度は解消されそうだと感じたんです。

農地に関しても、やっぱり白桃さんが役場の人で顔が利くので借りやすいというのもあって、そこはめちゃくちゃありがたいです」

農家出身でない人が農業を始めようとするときに立ちはだかる壁のひとつに、農地を取得することの難しさがあります。いきなり土地を購入するのはハードルが高いですし、借りようにも、地域の農家との信頼関係がないと空いている土地の情報を得たり貸してもらうことがなかなか難しいのです。その点、フードハブ・プロジェクトでは農業研修を終えた人に土地を貸し出すことも計画に織り込んでいます。それが可能になるのは、白桃さんのようなキーマンがいたり、これまでの活動の積み重ねで組織としても信頼を得つつあるから。最近では「うちの使っていない土地を貸したい」といった声も増え、管理する土地が広がっているそうです。

たくさんの農家に話を聞きに行き、自分の決意の固さを確かめた

4月に農業研修生になって以来、毎日4時半起きで農作業に精を出す松本さん。作物を育てるのは思った以上に難しいと言いつつ、日々新しいことを学び、農業の奥深さに触れてワクワクしているようです。

実は、今年度の研修生の候補は松本さんの他に2名いました。白桃さんらは、彼らが本当にやっていけるかどうかを考えてもらうために3日間の農業体験の機会を提供し、結果として残ったのは松本さんだけだったそう。

白桃さんは、「農業は、収穫して売って……というところでの喜びが大きいイメージがあるかもしれないけれど、そういうのは全体の一部にすぎません。日々の大変な作業がたくさんあるので、敢えてその部分をやってもらいました。3人のうち2人は『仕事としてこれをやっていくのは無理』と帰ってしまいましたが、事前にイメージとのズレが分ったなら、それで良かったと思う」と語っています。

松本さんにその時のことを聞くと、「荒れた土地を畑として使えるように、木を引き抜いてひたすら石を拾うという、すごく地味な作業を丸1日かけてやった」とのこと。それでも嫌にならなかったのは、それ以前からいろいろな農家のところに話を聞きに行き、地味で大変な作業がたくさんあるということを頭に入れていたからだといいます。

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「何も知らずにポンと飛び込んで、『やっぱりしんどい』とやめるようなことはしたくなかったんです。だから自分にできるのかどうか、色々な農家さんに話を聞きに行きました。脱サラして農業をやっている人には、大体『やめとけ』って言われましたけど、それでもみんな最後には『楽しい』って言うんですよ。それを聞いて、いいなぁと思って。大変かもしれないけれどますますやりたくなったんです」

組織の目的と個人のビジョンが重なるところに仕事の原動力がある

「今はやっと第1期の研修生を受け入れたところ。単に教えて終わりではなく、研修生が自活できるところまでいかないといけませんから、道は長いですね」と言う白桃さん。でも、フードハブ・プロジェクトを立ち上げて2年経ち、「目指していることが本当にできそうだ」という手応えも感じ始めているようです。

自分たちで育てた作物を『かま屋』の定食や加工品として売り、地域の人に食べてもらう循環は、すでに現実のものとして動き始めています。町内でも徐々に取り組みが知られるようになり、畑仕事をしていると「あんたたち、ちょっと休みなさい」と差し入れを持ってきてくれるような人も。応援してくれる人がいるということが、とても励みになるそうです。

また、最近では『かま屋』で使いきれない分を地域外にも売るようになりました。それもただの産直品としてではなく、フードハブ・プロジェクトへの共感や興味から、「背景にあるストーリーまで含めて買ってくれるのが嬉しい」と白桃さん。

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白桃さんは、白桃農園を引き継いで自分自身で農業経営をやっていくという初志も忘れていません。神山町で農業が成り立つ状態を作るという今の仕事は、今後の町のためであり、自分のためでもあるわけです。

組織は変化し成長する。『ティール組織』に登場したオズビジョンの当時と今の中で、会社の理念に「自己実現」を掲げるオズビジョンの鈴木社長が、社員と会社の関係について次のように語っています。

みんなの実現したいことはバラバラでもいいんです。ただし、この会社のビジョンがそれらを実現するための手段になり得ないんだったら、うちじゃないですよ、ということ

出典:組織は変化し成長する。『ティール組織』に登場したオズビジョンの当時と今

フードハブ・プロジェクトという組織と、白桃さん、松本さんの関係は、まさにこれなのだと思います。

ふたりとも、これまでやったことのない難しいことに果敢に挑戦し、前に進んでいます。その原動力は、報酬や組織的な強制力などではなく、それぞれが実現したい未来像でしょう。そこに多少なりとも重なる部分があるから、今ふたりは同じ組織で働いている。そんな素敵な出会いを引き起こす組織っていいな、と感じさせられるインタビューでした。

(2018.9.3 同じフードハブ・プロジェクトの「育てる」部門で地域の子供たちの「食育」に取り組む樋口さんへのインタビューも公開しました。

子どもが変われば社会も変わる。地域の農業と食文化を伝える食育の仕事

(写真はすべて筆者撮影)