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【体操】珠玉の跳馬スペシャリスト 安里圭亮が引退 「最後まで高難度に挑んだ理由」

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
世界最高難度の「屈身リ・セグァン」を跳ぶ安里圭亮(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

跳馬のスペシャリストで、世界選手権に2度出場した安里圭亮(相好体操クラブ)が、6月の全日本種目別選手権を最後に引退した。武器は抜群の脚力。通常23メートルある助走路の19メートル地点からスタートし、驚異的な高さで空中へ飛び上がって高難度の技をダイナミックに演じてきた。

得意技はDスコア6.0の「リ・セグァン(側転跳び1/4ひねり前方かかえ込み宙返り1/2ひねり後方かかえ込み宙返り)」。世界最高難度のDスコア6.4がつく「屈身リ・セグァン」の使い手としてしても強烈な印象を残す、珠玉のスペシャリストだった。

「ロペス」の高さ!
「ロペス」の高さ!写真:松尾/アフロスポーツ

■「最前線のところで勝負できる姿を見せることが出来た」

最後の大会となった全日本種目別選手権があったのは、30歳の誕生日の約3週間前。

「引退のタイミングをどこにするかを考えたとき、ちょうど今年は30歳になる年なので、この年齢で大技の『リ・セグァン』を止める姿を見せたいと思いました」

結果は着地のミスで5位だったが、「種目を絞っている競技者にとって、全日本種目別選手権は大舞台。決勝で演技できたのはすごく良かった。自分では悪い実施ではなかったかなと思う」とさわやかな表情を浮かべた。

なにより素晴らしいのは、現役最後の演技でDスコア6.0の「リ・セグァン」という超ハイレベルな技に挑めたことと、挑んだことだ。

安里は「表彰台に上がるチャンスもあったので一番はそこを狙いつつ、最前線のところで勝負できる姿、まだまだ戦えるという姿を皆さんに見せることは出来たかなと思います」と誇らしげだった。

「“約30歳”でこれだけの技をやれるところを見せられた。リセグァン(李世光)さんも30歳を超えてからやっていましたからね」と、この技の名がついている北朝鮮の五輪金メダリストにも思いを馳せた。

演技が終わった後にはスタンドに丁寧にお辞儀した。

「皆さんの応援があるから出る力というものを感じながらやってきたので、その恩返しの気持ちを込めて演技しました。コロナのことで寂しい時期もありましたけど、皆さんが声を出して応援してくれる試合に今回出られたのも私自身は感慨深い。最後の試合として全日本種目別選手権を選んでよかったなと思います」

感謝の言葉が次々と出てきた。

2022年全日本種目別選手権で優勝した安里圭亮
2022年全日本種目別選手権で優勝した安里圭亮写真:松尾/アフロスポーツ

■世界選手権2度出場 2017年は6位入賞

沖縄出身。福岡大学時代はオールラウンダーとして鍛錬し、卒業後から跳馬のスペシャリストに。大学卒業後に就職した三重県の相好体操クラブでは、子どもたちの指導を行いながら世界を目指して練習に打ち込んできた。

頭角を現したのは2017年。2020東京五輪は団体出場枠と個人の出場枠を切り離すことが決まり、各種目のスペシャリストに五輪出場の夢が広がっていたタイミングだ。

そういった流れの中で台頭してきた選手の1人が安里。試合で使える選手は世界でも数えるほどしかいない超絶技の「リ・セグァン」をひっさげて代表入りし、2017年と2021年の世界選手権に出場した。そして、2017年モントリオール大会では6位入賞を果たした。

今回のタイミングでの引退に関しては、悩んだ部分もあったという。

「正直言うと、2025年の世界選手権で3度目の出場を狙ってもいいんじゃないかという気持ちもどこかにあって、そこまで戦っていけたらと思っていました。ですが、2024年のパリ五輪を1種目だけの貢献度で狙うのは難しく、それを考えた時に『そろそろかな』と思うところはありました」

日本の跳馬のレベルが上がっていることも引退に気持ちが傾いた要因だ。

「日本の跳馬は今、強くなっている。頼もしい後輩たちができたので、ここで引き際というところでもありかなと思いました」

自身が現役を退いた後は、福岡大学の後輩である米倉英信(徳洲会体操クラブ)に「リ・セグァン」を引き継いでもらいたいという思いがある。安里は「今は米倉選手がリ・セグァンに挑戦していてくれるので、彼に託している部分もあります」と話す。

2021年に北九州で開催された世界選手権での「リ・セグァン」の演技。高さが驚異的
2021年に北九州で開催された世界選手権での「リ・セグァン」の演技。高さが驚異的写真:青木紘二/アフロスポーツ

■「シンデレラボーイ」だった2017年

競技生活のハイライトはどの試合だったかを尋ねると、2017年の世界選手権代表選考会を挙げた。

「僕自身が思うのは、一度目の世界選手権が決まった2017年の代表選考レースの予選の演技です。ちょうどその頃は技がうまくいかず、不安なまま試合に乗り込んだのですが、気持ちを切り替えてやったらうまくできて、それが世界選手権につながった。自分の人生を大きく変えた一本なのかなと思います」

世界選手権に向けて組まれたナショナルの強化合宿や、モントリオールでの世界選手権は刺激的だった。

「僕にとって初めての海外の試合がまさかの世界選手権でした。周りの選手はみな、ナショナルに入って、海外遠征も経験してから世界選手権に出るというような段階を踏んでいる中で、僕はシンデレラボーイ。代表メンバーには内村航平さんがいましたし、雲の上の存在だと思っていた選手たちと一緒に日本を背負って試合をできたことが、人生の中で強く思い出に残っています」

2017年世界選手権では6位入賞。安里にとってこの世界選手権が初の海外試合だった
2017年世界選手権では6位入賞。安里にとってこの世界選手権が初の海外試合だった写真:YUTAKA/アフロスポーツ

■「もしも『リ・セグァン』を極めていたら、僕はもう少し早めに衰退していたのではないか」

難度を下げて手堅く演技をまとめるという方向性もある中、常に高難度の技に挑戦しようとする姿勢も、安里の魅力だった。

「競技を続けていくうえで大事になってくるのは、上のレベルを目指すことだと思っています。完成度を高めるのも大事ですが、競技生活で自信を得るには、もうひとつ上のレベルの技を持とうとすること。それがみんなの火をつけることになって、さらにレベルが上がっていくことにもなります。僕自身がもしも『リ・セグァン』を極めていたら、もう少し早めに衰退していたのではないかと思っているんです。競技生活において上のレベルの技を目指すというのは、やはり大事なことなのかなと思います」

その言葉通り、2018年、2019年には国内大会でDスコア6.4の超大技「屈身リ・セグァン」をやった。抱え込みの「リ・セグァン」でさえ命知らずレベルだというのに、それを屈身でやった。国際大会で成功していれば「アサト」の名前がつく新技。国際公式大会でこの技をやる機会がなかったのは心残りだろうが、国内大会ではしっかりと「6.4」が認定された。その演技を見たファンの心にずっと残っていることも間違いない。

今後は相好体操クラブで子どもたちの指導をしながら、体操競技部のコーチとして選手につく予定だ。相好には今年の全日本個人総合選手権で3位になった杉本海誉斗をはじめ、有望な選手は多く、「今度はコーチとして世界選手権など日本代表の試合につき、貢献していきたい」と考えている。

演技前には張り詰めた空気をまとい、極限まで集中し、演技が終わった後はいつも温和な表情を浮かべていた安里。一瞬ですべてを表現する跳馬のスペシャリストの心技体にはさまざまな経験が濃縮されている。

「リ・セグァン」を追求し続けた日々が、今後の人生の武器になる。

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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