“最初で最後の五輪”になる可能性も。空手界のプリンス・西村が情熱を注ぐ理由

空手界のプリンスと呼ばれる西村拳。重圧を力に東京五輪の頂点を目指す(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

 東京五輪で初めて採用された数々の新競技の中でも、空手は特別だ。日本生まれのスポーツであることだけが理由ではない。現時点で24年パリ五輪では採用されておらず、“最初で最後”になる可能性もあるからだ。

 東京五輪の空手で組手男子75キロ級の代表に内定している西村拳(24=チャンプ所属)は、空手の元世界チャンピオンを父に持ち、端正なルックスと金メダル候補の実力を兼ね備えている「空手界のプリンス」だ。

 本来なら東京五輪で同種目の決勝が行われる予定だった8月7日に合わせての取材。新型コロナウイルス の影響に気を揉みながらも、1年後に懸けるひときわ強い思いを語った。

■「五輪は運も大事」延期にも衰えない西村の闘志

「拳」と書いて「けん」と読む。「自分の名前に誇りを持っています」。西村はさわやかに胸を張る。

「コロナによる自粛期間に入ってから、空手をしたくてもできない、練習場所もない、相手もいないなど、初めての経験ばかりでした。今まで空手が当たり前にできていたことに対して感謝をするようになったのが、一番の変化です」

 対人競技であり、声を出す競技スタイルである空手の組手は、新型コロナウイルス対策による制限が多い。西村は、全日本空手道連盟が出したガイドラインに沿って粛々と練習に力を注いでいる。

「延期が決まった時は既に覚悟がありましたから、1年間を前向きに捉えたいと思いました。それに僕は今24歳で、年齢的にも伸びしろがあります。五輪では運も大事。空手が五輪で行われるタイミングで、そこに挑戦する権利をもらえたのであれば、しっかりやり切りたい。そう思いました」

長い足を生かし、得意の上段裏回し蹴りを決める西村拳(右)。組手の選手は安全具を着用して試合をする。技の難度によって獲得するポイントが決まっている(写真提供:空手道マガジン月刊JKFan)
長い足を生かし、得意の上段裏回し蹴りを決める西村拳(右)。組手の選手は安全具を着用して試合をする。技の難度によって獲得するポイントが決まっている(写真提供:空手道マガジン月刊JKFan)

■憧れの人」が世界最大のライバルに

 空手の元世界チャンピオンである父・誠司さんの手ほどきにより、3歳で空手を始めた。中学1年生だった08年11月。日本武道館で行われた世界選手権を観戦し、ある選手の姿に釘付けになった。「生ける伝説」と呼ばれるラファエル・アガイエフ(アゼルバイジャン)だ。

 身長170センチに満たない小柄な体格で、自分よりも10センチも20センチも背の高い選手を次々と破り、金メダルを獲得したアガイエフの姿に、西村少年は虜になった。軽やかで素早いフットワークや、ここぞの瞬発力、畳の上を縦横無尽に動く姿に魅せられた。

 それから十有余年。五輪の頂点を狙うまでに成長した西村にとって、アガイエフは世界大会での最大のライバルとなっている。最近では19年9月のプレミアリーグ東京大会の決勝で西村がアガイエフを倒して優勝するなど、対戦成績は西村が上回るようになった。

 しかし、西村にとってアガイエフは今なお「憧れの人」であるという。

最近は憧れのアガイエフと並んで国際大会の表彰台に上がることが増えている(写真提供:空手道マガジン月刊JKFan)
最近は憧れのアガイエフと並んで国際大会の表彰台に上がることが増えている(写真提供:空手道マガジン月刊JKFan)

■アガイエフが背中で示す姿勢に「感銘を受けた」

 今年1月。西村は監督と2人きりでアゼルバイジャンに向かい、アガイエフのいる道場を訪れた。

「目的の一つは、普段とは違う環境に身を置くことで自分自身にストレスをかけて、そのストレスの中で実力を発揮できるようにすること。完全に自分の修行のために行きました」

 練習ではアガイエフ選手とも手合わせをした。けれども、直接の対峙以上に胸を衝かれることがあった。

「ウォーミングアップの時からアガイエフ選手が一番汗をかいている。誰よりも練習している。年齢(当時34歳、現在35歳)は僕より10歳も上。そろそろ体もきつくなっているでしょうし、ケガもたくさんあるのではないかと思う。その彼がこれほどの練習をできている。それが素晴らしいと思いました」

 たっぷり練習した翌日に完全オフを入れるなど、自制に徹して日々のスケジュールを立てていることが窺えた。さらに、背中で見せる姿にも心を動かされた。

「後輩たちに対して、言葉で『やれ』と言うのは誰でも簡単にできると思うんです。でも、アガイエフ選手は行動で示していました。これはなかなか真似できるものではない。練習に向き合う姿勢、チームをまとめる姿勢にも感銘を受けました」

 西村は「東京五輪の決勝に誰が来るかはもちろん分かりませんが、願うならばアガイエフ選手と対戦できればうれしいです」と思いを深めた。

上段回し蹴りを繰り出す西村拳。相手と距離を保った状態から技を決められるのも強さの秘密だ(写真提供:空手道マガジン月刊JKFan)
上段回し蹴りを繰り出す西村拳。相手と距離を保った状態から技を決められるのも強さの秘密だ(写真提供:空手道マガジン月刊JKFan)

■「子どもがやりたい習い事の一つにしたい」空手界の夢を担う覚悟

 東京五輪は武道の聖地である日本武道館が舞台となる。昨年9月に行われた世界最高峰のプレミアリーグ東京大会に集ったトップ選手たちはこぞって、「この会場で試合をすると特別な感情が湧く。東京五輪でまたこの舞台に立てるのを楽しみにしている」と話していた。

 聖地での試合が特別だという思いは西村にとっても同様だが、それだけではない。

「東京は空手競技にとって初めての五輪ですから、空手道界で初の金メダリストになるという、他の競技とは違う意味合いも含まれています。その中で1位を獲ることに僕は意味があると思います」

 空手一家に育ち、競技を愛する気持ちが人一倍強い西村にとっては、その先に繋げたいという思いも明確にある。

「空手の競技人口は多いのですが、どうしても日本ではマイナーな部類に入ります。子どもがやってみたい習い事の一つとして、野球やサッカーと同じように『空手』と言ってくれればうれしい。それは僕だけではなく、空手界全体の夢です」

 現時点で空手はパリ五輪での採用が見送られているが、メジャー競技に引き上げることで五輪競技に復活させ、定着させたいという夢もある。プリンスの拳に懸かる期待はとてつもなく大きいが、それも力に変えようとしている。

「プレッシャーがないと言えば嘘になるのですが、多くの方々の思いを背負っていることを重荷としては捉えていません。僕にしか与えられていない幸せだと捉えて、プレッシャーすらもプラスへと変えていきたい。そうすれば、自分の求めている強い選手になれると思っています。あと1年、時間はたっぷりあるので、しっかり調整して、最高の状態で本番を迎えたいです」

 日本武道館で金メダルを掲げているイメージを既に頭の中に持っている。少年時代の西村を夢中にさせた憧れの人と描いていく東京五輪のストーリー。今度は西村が少年たちの憧れの人になる番だ。

思うように練習をできない日々が続く中、瞬発能力と体幹の強化に時間を注いだと、リモート取材で語った(撮影:矢内由美子)
思うように練習をできない日々が続く中、瞬発能力と体幹の強化に時間を注いだと、リモート取材で語った(撮影:矢内由美子)

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【連載365日後の覇者たち】1年後に延期された「東京2020オリンピック」。新型コロナウイルスによって数々の大会がなくなり、練習環境にも苦労するアスリートたちだが、その目は毅然と前を見つめている。この連載は、21年夏に行われる東京五輪の競技日程に合わせて、毎日1人の選手にフォーカスし、「365日後の覇者」を目指す戦士たちへエールを送る企画。7月21日から8月8日まで19人を取り上げる。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを一部負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】