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五輪初の卓球3冠「つかみ取る」 “大魔王”の異名・伊藤美誠が見据える1年後の自分

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
真剣な表情でサーブに入る伊藤美誠。東京五輪で卓球史上初の3冠を狙う(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

「東洋の魔女」(女子バレー)が1964年東京五輪のシンボルなら、2度目の東京五輪の“顔”となるのは「大魔王」かもしれない。卓球の3種目で代表に内定している伊藤美誠(19=スターツ所属)だ。今年4月に女子シングルス世界ランキングで日本勢として初めて2位となった伊藤は、卓球王国・中国の強豪選手を相次いで破った2018年から、中国国内で「大魔王」の異名をとっている。そんな若きエースは今、1年後の自分の姿をどのように見ているのか。開催延期の影響はあるのか。本人を直撃した。

■五輪が今年だったら優勝できたのか、問いかけに「すぐに返答できなかった」

「五輪が1年延期になったことについては、決定する少し前から薄々、そうなるかもしれないと思っていたので、発表された時の衝撃はそれほどありませんでした。でも、いざ練習をしてみると、体が重たくなるような感じがありましたね。この1年間、これだけ五輪のために頑張ってきて、さらにもう1年頑張るということだよな、と思って、重苦しい気持ちになりました」

 新型コロナウイルス対策の中、限られた相手とだけ打ち合う毎日。外出もできない日々を過ごしながら、伊藤は体も心もどんよりしていくのを感じていた。普段がアクティブなタイプだっただけにストレスがたまった。

 延期発表から約2週間が過ぎた4月中旬頃、松崎(崎はつくりの上部が「立」)太佑コーチや母・美乃りさんとの話し合いでハッとさせられた。

「もしオリンピックが今年あったら本当に優勝できたの?」

 母やコーチの問い掛けに、伊藤ははっきりと言葉を返すことができなかった。

「確かに、分からない……。そう思いました。それまでの私は『目標はオリンピック優勝!』といつも言っていましたが、実際に『本当に100%優勝できるか』と聞かれたら、すぐに返答ができなかったんです。そう思うと、1年後の方が優勝できる確率が上がるし、むしろ100%を超えているかもしれない。『あ、これは成長できる1年間だ』と思いました。自分を律し続ければ大丈夫だと自信を持っています」

■「強い女性になりたい」コロナ禍で再認識した理想像

「強い女性が好きなんです」と語る伊藤美誠。自分で意思決定して道を切り開く。そんな人生を歩みたいという(撮影:矢内由美子)
「強い女性が好きなんです」と語る伊藤美誠。自分で意思決定して道を切り開く。そんな人生を歩みたいという(撮影:矢内由美子)

 緊急事態宣言による自粛期間中は、人生観と向き合う時間でもあったという。伊藤は2年前に訪れた相田みつを美術館で、ある言葉に感銘を受けたエピソードを明かした。

「美術館で、『道はじぶんでつくる 道は自分でひらく 人のつくったものはじぶんの道にはならない』という詩を見た時に、これが一番好き、まさにこれだと思ったのです。自分の気持ちにビタッ! ビビッ! ときました。その時に、試合でも練習でもこの言葉を思いながら臨んでいけたら、絶対に強くなれるなと思って、それ以来、この詩をずっと心の中に置いてやっています」

 自粛期間中、旅行にも買い物にも出かけられず、悶々としていた時期に、気分転換で見たテレビドラマの『ドクターX(米倉涼子主演)』や『奥様は取扱注意(綾瀬はるか主演)』からも心地良い刺激を受けたという。

「自分の意思で決めて、自分でしっかり行動できる方を見ると、私自身も、自分で決めて、道を自分で切り開いて進んでいくことが好きなのだと共感を覚えます。私は強い女性が好きですし、強い女性、格好いい女性になりたいと思っています」

 理想像を熱く語る伊藤は、実際にこれまでの卓球人生で選択肢がいくつかある時には、つねに自分で意思決定をして道を選んできた。参戦するリーグや大会、使用する道具……。

「綺麗な女性、美しい女性にも憧れますが、それ以上に、自分の意思や意見を持っている強い女性に惹かれます。自分らしく生きたいという思いは日頃から持っているのですが、コロナの間にその思いが強まりました」

18年秋に訪れた相田みつを美術館。伊藤は感銘を受けたこの詩を、スターツのCMで朗読している(スターツコーポレーション提供)
18年秋に訪れた相田みつを美術館。伊藤は感銘を受けたこの詩を、スターツのCMで朗読している(スターツコーポレーション提供)

■「大魔王」と呼ばれるのは光栄  世界ランキング1位やリオ五輪金メダリストを破った18歳

 五輪初出場の2016年リオ五輪の時は日本卓球勢で最年少の15歳だったが、この4年間で実力的にも大きく飛躍した。

 18年10月にあったスウェーデンオープン。準々決勝で世界ランキング6位(当時)の劉詩文、準決勝では同2位でリオ五輪金メダリストの丁寧、決勝で同1位の朱雨玲を次々と破った伊藤は、中国から「大魔王」というニックネームをつけられた。18歳(当時)の乙女に対してこの愛称はどうなのだといぶかる向きもあったが、伊藤は笑い飛ばした。

「中国の方々にそういうふうに言われたのは嬉しかったですね。卓球では中国人の観客が多いですし、選手もすごく強い。そういう方たちから『大魔王』と呼ばれるということは、印象に残る選手なのだろうと思いました。すごく光栄です」

「大魔王」と呼ばれて警戒されるようになってからは、伊藤と対戦する時の中国勢の様相がガラリと変わった。試合の時、対戦相手の近くには監督やコーチ、スタッフたちがズラリと陣取っていた。まさかの光景に、伊藤は唖然とした。

「1人対10数人みたいな感じで、え? と思ったほどです。でも、それぐらい本気で倒しにきているのだということが伝わってきましたね。だから、何人が束になってきても、しっかり自分のプレーをして、自分で倒そう と思いましたね」

なんともキュートな「大魔王」(撮影:矢内由美子)
なんともキュートな「大魔王」(撮影:矢内由美子)

■五輪は「勢い」で制する 卓球初の3冠を目指して

 1988年ソウル五輪から採用された卓球は、04年アテネ五輪までは男女シングルスと男女ダブルスが行われていた。その後の3大会は男女シングルスと男女団体。伊藤はリオ五輪に福原愛、石川佳純と3人で組む女子団体に出場し、銅メダルを獲得している。

 東京五輪では新たに混合ダブルスが加わった。伊藤は女子シングルス、女子団体、混合ダブルスの3種目で代表に内定している。リオ五輪では女子団体のみの出場だったが、一気に3冠を狙える立場となっている。

「卓球が五輪で3種目を行うのは初めて。(3冠の)第1号になれるチャンスがあるので、しっかり自分で掴み取りたいですね」

 3種目の中で真っ先に決勝が行われるのが混合ダブルスだ。ちょうど1年後の7月26日に決勝がある。

「ここで結果を出せたら勢いに乗っていける。混合ダブルスで優勝してシングルス、そして団体戦という流れでいきたいです」

 伊藤自身、「3種目に出るのは初めてなので」と話しているように、期待もプレッシャーも背負った中で過酷な日程をこなしていくのは未知の領域でもある。しかし、ひるむ様子はない。

「オリンピック期間に入ったら調整とかじゃなくて勢いだと思うんです(笑)。その場所に立ったら、今持ってるすべての力を出し切ることが一番大事。それをしっかりとやっていけたらと思っています」

 東京五輪で混合ダブルスのペアを組むパートナーが、同じ静岡県磐田市生まれ、家も近く、同じ卓球クラブ出身の水谷隼であることも心強い。年齢は11歳離れているが、互いに気心は知れている。ペアを結成した19年夏からまだ1年しか経っていないが、裏を返せばこの先の1年間でもっと伸びていけるポテンシャルもある。

 伊藤は20歳で出る東京五輪を、どのような位置づけととらえているのだろうか。

「東京で開催される五輪に出られるのは一度しかないと思うので、どんな感じだろうとワクワクしています。卓球を見たことがない方も応援に来てくれると思うので、すごく楽しみです」

 伊藤は3種目に出場することもあり、東京五輪の主役の一人となるのは間違いない。7月24日に始まって26日が決勝の混合ダブルス、7月24日から7月29日の女子シングルス、8月1日から5日に行われる女子団体。大会の序盤から終盤まで、毎日のように伊藤の姿を見られそうだ。

「勝てば勝つほど見てもらう時間が長くなりますね。いろいろな方に見てもらえるよう、私自身もしっかり頑張って、勝ち続けて、最終的に『一番多く見たのが伊藤美誠だった』と思ってもらえたらいいですね」

(画像制作:Yahoo!ニュース)
(画像制作:Yahoo!ニュース)

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【連載 365日後の覇者たち】 1年後に延期された「東京2020オリンピック」。新型コロナウイルスによって数々の大会がなくなり、練習環境にも苦労するアスリートたちだが、その目は毅然と前を見つめている。この連載は、21年夏に行われる東京五輪の競技日程に合わせて、毎日1人の選手にフォーカスし、365日後の覇者を目指す戦士たちへエールを送る企画。7月21日から8月8日まで19人を取り上げる。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを一部負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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