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【体操】初代ハイバーマスター(後編) 植松鉱治の未来

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
2010年世界選手権の鉄棒の演技後、内村航平に力強く言葉を掛ける植松鉱治(写真:アフロスポーツ)

 最も得意としていた鉄棒を武器に世界一を目指し、「ハイバーマスター」と名乗って観衆を魅了してきた植松鉱治。2015年の現役引退後は、二代目ハイバーマスターとして齊藤優佑(元徳洲会体操クラブ)を指名した。

 鉄棒を得意とする選手が多い中、植松が二代目として齊藤優佑を指名した理由はどこにあるのだろうか。その理由は明確だ。

「僕が彼に二代目を託した理由は、良い演技をするだけではなく、見ている人が、面白い、ドキドキするような演技をする人が齊藤優佑だったからなんです。いろいろなことに挑戦し続けるという姿勢も感じられました」

 齊藤と言えば超大技のブレットシュナイダーに挑んでいたイメージが強い。ときには失敗することもあったが、演技に臨む姿勢はつねにアグレッシブだった。

「見ている観客もドキドキハラハラさせてくれるような演技をしてくれるのが彼なんです。初めて彼がブレットシュナイダーをやったときは、すごいな、勇気があるな、僕だったら絶対できないなと思って見てました」

 植松が齊藤に対して抱いた敬意は、難しい技をものにした能力の高さだけではない。

「人間って面白いもので、1人ができると、どんどんできていくんですよね。だから、誰が最初にやるかが大切になってくると思うんです。アグレッシブな人がいて挑戦するから、他の人も挑戦できるようになる」

 齊藤の果敢な姿勢が後続の選手たちに与えた勇気にも、植松は感服している。

■ロンドン五輪1年前に右ひざ前十字靱帯を損傷

 2010年秋のロッテルダム世界選手権に出場して手応えをつかんだ植松は、同年12月に「ハイバーマスター」という肩書きを考え出し、鉄棒という武器を前面に出していくべく、日々の練習に打ち込んでいった。もちろん、その先に見つめていたのは2012年夏のロンドン五輪である。

 ところが悪夢が植松を襲った。2011年4月。鉄棒の練習中に下り技の着地に失敗し、右膝の前十字じん帯を損傷する大けがを負ったのだ。

 けがをしたときの下り技は、伸身2回宙返り2回ひねり降り、通称「ルドルフ」。内村をはじめとする世界トップクラスの選手だけが使える大技である。

 この日、植松はあまり体調が良くなかった。しかし、翌年のロンドン五輪のことを考えると、このタイミングで鉄棒の演技を完璧なところまで仕上げておきたいという思いがあった。ひねりを1回にするか、2回にするか。迷いながら2回ひねった末のアクシデントだった。

「ひねりが不足してしまって、膝が外の方にポンと飛び出てしまいました。迷いがケガにつながったのです。ケガをしたのが全日本個人総合選手権の1週間前だったので大会には出場できず、5月20日に手術。世界選手権の最終選考会であるNHK杯にも当然ながら出られませんでした。」

 植松の胸の中には、あのとき、下り技のひねりを1回に留めておけばという後悔がある。そのくすぶりは今もなお続いている。

「あそこでもしもケガをしていなかったら、今とは違う道を歩んでいたかもしれません。けがが自分の体操人生を変えました。ですから、頑張ってる人には、迷ったらやめるべきということは、ちゃんと伝えたいと思っています。けがというものは大体そういう時に起きるもの。迷った瞬間があるのなら、もうやめるべきなんです」

 植松が手術後のリハビリで血のにじむような努力を重ねたことは、あと少しのところでロンドン五輪代表の座をつかめるところまで行ったことからも明らかだ。しかし、あるいはだからこそ、五輪代表を逃した悔恨は深かった。

 植松は「このままではいけないと、セカンドキャリアについて考えるようになったのがこの時期でした」と言う。

2018年11月の全日本団体選手権では選手会の一員としてファンイベントにも参加。OBとして体操の盛り上げに一役買う(後列右)(撮影:矢内由美子)
2018年11月の全日本団体選手権では選手会の一員としてファンイベントにも参加。OBとして体操の盛り上げに一役買う(後列右)(撮影:矢内由美子)

■アスリートをメンタル面から支える仕事を

 植松と言えば、2015年9月の全日本シニア選手権の鉄棒で4連続の離れ技を成功させた演技を思い出すという体操ファンは多いだろう。現役最後となったこの試合、植松は「屈身コバチ、コバチ、コールマン、抱え込みゲイロード2」という圧巻の離れ技4連発に挑み、見事に成功した。

 実はこのとき、植松はそれまでと違う試みをして大会に臨んでいた。

「スポーツ心理学者の人を付けて、大会に挑戦したんです。自己分析をし、自分をコントロールし、今やらなければいけないことや、何が必要なのかというのを見極めながら大会に臨んだら、会心の演技をすることができました」

 このときの成功体験が植松のセカンドキャリアの道しるべとなった。2015年に現役を引退した後は日本スポーツ振興センターの助成により、アメリカに渡って日本の体操の普及活動に繋がる研究を行い、昨年12月に無事に終了。現在は、新たな目標に向かって次の一歩を踏み出しているところだ。

 新たな目標とは何か。それは、アスリートをメンタルの側面から支え、その選手の最大の力を発揮する手助けとなることだ。日本ではまだあまり認識されていない分野である。

「今はアメリカで仕事をしながらスポーツ心理学を研究する大学院に進むための準備をしています。いずれは日本に戻り、体操を中心にいろいろなスポーツで、選手の能力を引き出すための手助けとなる活動をしたいと考えています」

 初代ハイバーマスターが見つめる未来。進取の気鋭で切り開く道が、実に楽しみだ。

2016年にはリオデジャネイロ五輪出場メンバーとともにファンイベントに参加(後列右)(撮影:矢内由美子)
2016年にはリオデジャネイロ五輪出場メンバーとともにファンイベントに参加(後列右)(撮影:矢内由美子)

 

 ◆植松鉱治(うえまつ・こうじ) 1986年8月30日、大阪府生まれ。6歳で体操を始め、29歳で辞めるまで体操一筋の日々を送り、中学から社会人まで全カテゴリーの大会(全国中学生大会、高校選抜大会、インカレ、全日本社会人選手権)で個人総合1位になった。中でも植松が仙台大4年だった2008年のインカレ個人総合では日体大2年の内村航平と優勝争いをして、最終種目の鉄棒で逆転勝利。内村はその次の大会から2017年まで国内外で40連勝したことで知られている。すごいと思う選手はエプケ・ゾンダーランド(オランダ)とアレクセイ・ネモフ(ロシア)。

(※敬称略)

植松鉱治オフィシャルブログ

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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