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【湘南ベルマーレ】だから梅崎司は30代でも成長する

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
梅崎司(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

■2018年11月。浦和戦で鮮やかなゴールを決めた

 そのゴールは力強く、なおかつアイデアにあふれていた。2018年11月24日、Jリーグ第33節湘南ベルマーレ対浦和レッズ。J1残留争いのまっただ中にいた湘南の梅崎司は前半20分、2008年から2017年まで10年間所属した古巣を相手に、鮮やかなカウンター攻撃から先制ゴールを決めた。

 左サイドのスペースへ抜け出すと、味方のパスを受けてドリブルで運びながら2タッチ。大分トリニータ(ユース含む)時代と浦和時代の盟友であるGK西川周作の間合いを外すようにつま先でシュートした。

「もう一個前でもシュートを打てたのですが、瞬時に判断を変えて、足裏で転がして前へ運びました。そこでアイデアが浮かんだので、タイミングをずらしてトーキックでうまく蹴ることができました」

 長い距離を走り、DF2人に対応されながらGKとの駆け引きでも工夫を見せつけた姿には、自分が決めるのだという覚悟がほとばしっていた。

 31歳にしてなお成長している。そう思わせるシーンだった。

 J1残留がまだ決まっていないために表情がほころぶことはなかったが、自信のみなぎる口調でこう言った。

「きょうまでの1週間は、僕が湘南に来た意味をもう一度自分に問いただした時間でもありました。レッズを相手に今の自分を見せたいという思いもあったし、それをベルマーレの梅崎司として仲間と表現できたのがうれしかったです

■2017年、リハビリ中に迎えた30歳の誕生日

 浦和時代からつねに「成長」を意識している選手だった。それは30歳を境により強くなっていると感じられた。

 16年8月31日のルヴァンカップ神戸戦で左ひざの前十字じん帯を断裂したことで、梅崎が30歳の誕生日を迎えた17年2月23日は、まだリハビリの最中だった。しかし、30歳になって間もないある日に聞かせてくれた言葉には、心を突き動かされるような活力があった。

「誕生日が近づいて来るにつれて、早く30歳になりたいと思っていましたね。楽しみだったので、やっと30歳になれたという気持ちです」

 復帰にはまだしばらくかかりそうなタイミングではあったが、ピッチに戻ったときのイメージを聞いた。

「プレーのイメージはケガをする前とは違っていて、以前よりも自分に軸を持っていこうと思っているんです。人に合わせるのではなく、“自分軸”で物事を考えてやっていきたい

 自分に変革を課していることが伝わった。

「今までの僕は、人に合わせすぎていたなと感じているんです。30歳になって、ここからもう一つ、勝負したい。もちろんチームですから、人に合わせることも大切ですが、空気を読みすぎると自分を突き上げていくことは難しいと思っています。これからは、30代の新しい梅崎司をつくっていきますよ。30歳になっても変われるというところを見せていきたいんです

 梅崎の公式戦復帰は2017年5月10日のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)FCソウル戦。アウェイの韓国で行われたこの試合の後半33分からピッチに立つと、その後は長期離脱後のままならない感覚と格闘しながら徐々にコンディションを上げていき、9月以降はリーグ戦、カップ戦など公式戦すべてにベンチ入りした。先発こそ少なかったが、大半の試合で後半途中からピッチに送り出され、特にACL決勝ではホーム、アウェイとも途中出場し、浦和にとって2度目のアジア制覇に貢献した。FIFAクラブワールドカップでもしっかりと出番を得た。

■「自分はなぜ湘南に来たのか」

 2019年1月。湘南に移籍して2年目の梅崎を平塚市に訪ねた。それは、昨年11月の浦和戦で言っていた「自分がなぜここに来たのかを自問自答した」ことについて詳しく聞きたかったからだった。

 梅崎は丁寧に順を追って説明してくれた。まずは、浦和を離れると決意するまでの思い。

「レッズ時代の僕には波があって、うまくいかない時期には安定したプレーを見せるとか、別の部分でチームを助けるとか、そういうところに頭が向きがちでした。もちろん、それも能力といえばそうですし、レッズ時代はそれでやって来られたという自負もあります。でもやっぱり自分のやりたいところはそこじゃないなと気づきました」

 そして、こう続けた。

レッズから湘南への移籍を決めた一番の理由は、勝負する自分に戻りたい、勝負する自分になりたいという思いでした。チョウキジェ監督からそれを強く求められた感覚もありました」

 その時期に振り返ったのは、若い頃の自分の姿だったという。

「十九、二十歳ぐらいの頃の自分は、ヒーローになりたいという気持ちがベースにあることで成長して来られたのだと思います。大分ユースに入れたのもそうだし、プロに上がれたのもそうだし、試合に出られることになったのもそういう意識があったからだし、日本代表になれたのもそういう意識が強かったから。それはレッズに来た時も同じでした。もっと上に行くんだという思いでした」

 話はさらに進んだ。

「思い返すと、ステップアップしている時の僕は必ずそういう意識だったと気づいたし、それが一番自分で居心地がいい。気持ちもいい。自分が生き生きするのはそういうプレーをするとき。なりたい自分ってこれなんだなと思いました

 気づきが確信に変わったのは、湘南で過ごした2018年シーズンである。

「レッズには強烈な個性を持つ選手がいたので、僕はそういう選手を補助する感じでもやっていけたというのがあるし、それも一つの生きる道、生きる術でした。でも、湘南でチームが徐々に良くなっていく過程の中で1年間やって、こういう時だからこそ自分はどういうプレーをしなければいけないのかということに意識を向けられたというのもあるんです」

 ルヴァンカップ優勝を果たすという歓喜を味わった一方で、J1残留争いに巻き込まれたことも、考えをより明確にさせる一助となった。

「残留するためには絶対に勝利が必要というシチュエーションもあったから、その気持ちになることができた。状況が自分に気づかせてくれたという一面があります」

■原口元気との関係。そして気づかされたこと

 なりたい自分を追い求めようと決意した背景にある、浦和時代のエピソードについても言及した。

「僕が22、23歳の頃に、(原口)元気(現ドイツ・ハノーファー)が出てきて、すげーなと思ったんですよね」

 浦和の育成組織に所属していた原口は、まだ17歳だった2009年1月に浦和とプロ契約し、多くの若手を抜擢したフォルカー・フィンケ監督(当時)の下ですぐに頭角を現した。梅崎は、指揮官が替わろうが戦術が変わろうが、つねに1対1の勝負にとてつもないエネルギーを注ぐ一本気な原口を前に、知らず知らずのうちに気圧されていた。

「元気は何年経っても姿勢が変わらなかった。もちろんプレーの幅は広がっていったけど、仕掛ける姿勢をずっと貫いていたし、時には監督との衝突があっても貫いていた。それを見て純粋にすごいなと思っていた半面、少し冷めている自分がいました。年齢もあるし、今の俺にはできないな、俺はもっとうまくやらなければいけないな、と。当時の僕はまだ24、25歳だったんですよ。でも、一つ引いて見てしまっているところがあった。それが駄目だったと、今になって気づいています

 とはいえ、浦和時代の自分をすべて否定している訳ではない。特に、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督時代(2012年~2017年7月)には左右ウイングバックにシャドーと多くのポジションで使われ、さらには攻守のバランスを取ることや状況判断でも高いクオリティーを求められたことでプレーの幅が広がり、それによって生き残ることができたのだという実感もある。

 けれども、30歳になってからさらなる成長を自身に望んだときに気づいたのが、原点とも言うべき部分を失いかけていることだった。

「当時も僕なりに元気に挑んでいたつもりではあったのですが、元気ほどには貫いていなかったと思う。でも、今の僕は年齢的にもここから先がすごく長い訳ではありませんからもうまわり道はできない。これからの何年かを本当に充実したものにできるかどうか。そのために大事なことが何であるかを分かった今は、どれだけその意識を貫けるかで、その先にもっと面白い景色や世界があるのではないかと思っています

■「ロジカルに悟った」

 昨年1年間をかけてプロサッカー選手としての自身の存在意義を突き詰めて考えたことにより、今の梅崎には新たな悟りもあるという。「より自分にフォーカスすることでチームが発展する」という考えである。

「以前の僕は、チームと自分は別物だと考えていて、チームのためにやるということを、少し犠牲的な感じ、ネガティブな感じで捉えていたんです。でも湘南での1年間のプロセスを経て気づいたのは、自分を思いっきり表現していくことがこんなにチームのためになるんだということでした

 梅崎は、「前から分かっていたことではあるんですけどね」と言って穏やかな笑みを浮かべた。多くの指導者から教わってきた、フォアザチームの精神。それはほどなく32歳になろうとする今の梅崎が思っていることと同じではある。しかし、自問自答によって導き出した答えには格別の重みがある。梅崎はそれを「ロジカルに悟りました」と表現する。

「僕にはベテランという気持ちはないですね。そうだったらダメだと思う。うまくやろうと思っちゃいますから」

 30代になってなお成長する。その術をライトグリーンの7番が教えてくれる。

チームウェアの左胸には「楽しめているか」のロゴ(撮影:矢内由美子)
チームウェアの左胸には「楽しめているか」のロゴ(撮影:矢内由美子)

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サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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