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細貝萌、30歳。柏レイソルにもたらそうとしているもの

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
7シーズンぶりにJリーグに復帰した細貝萌(写真:アフロスポーツ)

【細貝の加入前は1勝3敗。加入後は5勝1敗】

5月6日、午後。快晴の空の下、満員の観衆で埋まった日立柏サッカー場に、黄色のユニフォームをまとった細貝萌(柏レイソル)がいた。

J1リーグ第10節、柏レイソル対セレッソ大阪。ベンチスタートの細貝に出番が訪れたのは1点をリードした後半31分だった。手塚康平と交代してボランチの位置に入った背番号37は、残りの約15分間を無失点のまま閉じ、勝利に貢献した。

チームは4連勝で、暫定4位に浮上。連続無失点勝利は3に伸びた。

7シーズンを過ごした欧州から3月に帰国した細貝にとって、柏でのJ1リーグ出場はこれで5試合目だ。5試合中4試合がリードした試合の終盤に入る「クローザー」としての役割。プレータイムは短いが、細貝が加入するまで1勝3敗と苦しんでいたチームが、細貝の移籍加入後は5勝1敗の好成績を残しており、細貝が出た試合は全勝していると聞けば、彼がチームでしっかりと機能していることに疑いはない。

「クローザーと言われますが、試合では毎回相手も違えば、ピッチに入るときの戦況も違いますからね。今は途中出場の難しさを感じていますよ。もっとゲームを読んでいく力をつけないと」

勝ってもまずは反省の弁というあたりは、向上心の塊だった若い頃から変わっていない。ただ、課題を口にしながらも表情は非常に明るく、そこに“2度目のJ舞台”に期する思いの強さがにじみ出ている。

【大野敏隆に夢中だった】

前橋育英を卒業した2005年、浦和レッズでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた細貝は、浦和で天皇杯連覇(05、06年度)、リーグ優勝(06年)、AFCチャンピオンズリーグ優勝(07年)を経験。08年北京五輪には大会直前の肋骨骨折を押して出場した、ファイタータイプのボランチだ。

ザックジャパンが発足した2010年に初めて日本代表に選出されると、2010年12月末に欧州へ移籍し、ドイツとトルコでプレー。ところが、ドイツ2部のシュツットガルトでプレーしていた16―17シーズンは出場機会が減り、Jリーグが開幕した後の3月に柏に移籍し、7シーズンぶりにJリーグへ復帰した。

Jリーグ復帰に際しては、複数のクラブからオファーを受け、その中から柏を選んだ。最大の理由については移籍会見で「熱心に誘ってくれたことと、チーム状況を見て自分が何か役に立てると思ったから」とコメントしているが、もうひとつ、心の中に秘めていた子供のころの思い出があった。

1986年生まれの細貝が少年時代に憧れていたのが柏だった。なかでも、ナビスコカップに優勝した99年やリーグ年間最多勝ち点となった00年に背番号10をつけて大活躍していた司令塔・大野敏隆に夢中だった。

大野に憧れたこともあり、中学時代は司令塔としてプレーしていた細貝だが、高校の途中からボランチに転向。プロになってからは対人プレーに強い選手として最初はセンターバックやサイドバックでも重用された。177センチと身長はさほど高くないが、空中戦の強さも兼ね備えている。そして何より、闘争心が素晴らしい。

【背番号37が暗示するのは】

柏でつけている背番号37は、浦和時代に6年間つけていた3番と、ドイツ時代に最も長くつけていた7番を合わせた番号であり、3と7を足すと、かつて大野がつけていた10にもなる。

「背番号にはそこまで深い意味はないですよ。でも、大野さんにはまだ会っていないので、会いたいですね」

細貝は軽やかに微笑むが、今、思っているのは、自分が持っている経験のすべてが柏の若手選手の糧になってほしいということであり、その心意気を聞けば、経験のすべてが凝縮されたような37という背番号は、偶然の数字ではないように思える。

「浦和にいたころの僕は若く、上の選手に必死になって追いつき、レベルアップすることがチームの助けになると思ってプレーしていました。今は当時とは年齢が違っています。自ら若いチームを選んで柏に来たのだから、今度は自分のことだけではなく、ピッチ外のことでもいろいろと伝えていくべき立場だと思っています」

細貝が考えているのは、例えば「勝ちグセをつけること」である。「今日も、前半は苦しかったけど、ラッキーゴールを守って勝ち点を取っていくことがいかに大切かというのがあった」。ギリギリのところをおろそかにせず、しっかりと勝利をものにしていくチームがタイトルを取るのだということを身を以て知っている選手ならではの考えだ。柏のはえぬきにもキャプテンの大谷秀和をはじめ、タイトル経験者はいるが、チームが若返っている今、細貝に求められている役割は大きい。

【30歳の胸にみなぎるもの】

「今、試合に出ている選手には、僕が入ることによって『細貝には負けられない』というプレッシャーを与えられるし、若手にはピッチ外のことでも影響を与えられる。いろいろあって日本に戻ってきましたが、次の挑戦の場が日本のクラブだったのだと僕は思っています。若返っているチームに入ることで、僕も成長していきたい」

柏に加入し、チームに合流したとき、「18歳の選手から『小学生のときに埼玉スタジアムに行ったことがあります』と言われたんですよね」としみじみ言った。

思えば、プロ1年目で本職ではないセンターバックで起用され、無我夢中にプレーしたのはもう12年も前のことだ。

08年には「ボランチで勝負したい」と監督に直訴し、10年12月にドイツへの移籍が決まると、「(ACL優勝後にドイツへ移籍した)長谷部(誠)さんのようにタイトルを置き土産にできずに、申し訳ない」と涙を流して浦和を去った。

欧州で過ごした7シーズンには、強豪のレバークーゼンで出場機会を得るために歯を食いしばった時期があった。良かった時期もあれば、あと少しのところでブラジルW杯メンバーから漏れるなど悔しいこともを少なくなかった。

今は、これまでの12年間がすべて自分の経験となっていることを実感している。そして、そのすべてを新天地の柏で出し尽くし、自らももう一段階成長したいという思いが、30歳の胸にみなぎっている。細貝の新たな挑戦が今まさに始まっている。

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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