Yahoo!ニュース

【フィギュアスケート】浅田真央 勇気・希望・挑戦のメッセンジャー

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
ソチ五輪女子フリースケーティングの浅田真央(写真:青木紘二/アフロスポーツ)

4月上旬の晴れた日、原宿駅のホームで、スマートフォンを手に、駅の看板広告を写している女子高生がいた。

何を写しているのかと思い、看板に目を向けると、それは浅田真央だった。赤いドレスの裾にはらんだ風が豊かな黒髪をなでるようにそよぎ、その目は遠くを見つめていた。

美しく気品あふれる女性が、厳しさを内包する自然の中で、りりしく前を見据えている。広告が発しているメッセージ的なものに胸を衝かれたのと同時に、女子高生が撮っておきたいと思ったことも肯けた。フィンランドで行なわれたフィギュアスケート世界選手権の取材から帰国した翌日の出来事だった。

世界選手権で、日本女子シングル勢は苦戦を強いられ、その結果、来年2月の平昌五輪の日本の出場枠はトリノ五輪、バンクーバー五輪、ソチ五輪と3大会続いていた3枠から1つ減り、2枠になっていた。

来季の女子シングルの戦いはどうなるのだろう。フィンランドからの帰り道、ずっと考えていたタイミングで目にした原宿駅での光景は、浅田が若い女性の勇気の源になっていることや、彼女の持つとてつもない求心力をあらためて感じさせるものだった。

■SP16位から立ち上がって挑んだソチ五輪フリーの演技

浅田が引退を表明したことを知った4月10日の夜、真っ先に思い出したのは、やはり、ソチ五輪のフリーの演技だ。

今なお記憶に鮮明なソチの夜。セルゲイ・ラフマニノフ作曲『ピアノ協奏曲第2番』に乗って滑り出した浅田は、魂を込めて踏み切った冒頭のトリプルアクセルを完璧に決めて勢いをつかむと、6種類計8回の3回転ジャンプをすべて成功させ、終盤は音楽の盛り上がりに合わせたステップシークエンスを情熱的に踊り切った。フィニッシュの瞬間、天を仰いだまま肩を震わせる姿に、万雷の拍手が降り注いだ。

前夜に行なわれたショートプログラム(SP)で16位と大きく出遅れてからわずか21時間後。浅田は不屈の精神で自らを奮い立たせ、「覚悟を決めて立ち上がった」(浅田)。そして、最高の演技を見せた。フリーではこれまでの自己最高スコアだった136・33点を上回る142・71点をマークし、SPから10人を抜き、6位まで順位を上げた。

8つの3回転ジャンプを決めたのは女子では初めて。その中の一つは彼女の代名詞であり、アイデンティティでもある「トリプルアクセル」だった。

浅田のソチでのフリープログラムの基礎点は66・34点。これは、金メダルのソトニコワ(61・43)、銀メダルのキム・ヨナ(57・49)、銅メダルのコストナー(58・45)を大きく上回る点である。さらには、ソチ五輪以降の世界選手権の優勝者であるエリザベータ・トゥクタミシェワ(15年59・26)、エフゲニア・メドベージェワ(16年、17年とも62・33)よりも上。バンクーバー五輪のSPとフリーで計3回のトリプルアクセルを成功させたことがギネスブックに載ったように、浅田は記憶に残る選手であるのはもちろんのこと、記録にも残る選手なのだ。

■15歳の若手選手がスタンディング・オベーション

ソチ五輪の1カ月後に行なわれた世界選手権(さいたまスーパーアリーナ)。女子シングルSPで、浅田が冒頭のトリプルアクセルを成功させたときの光景も決して忘れられない。

スタンドの関係者席で思い切り拍手をしていたのは、すでに自身の演技を終えていた米国の新鋭ポリーナ・エドモンズ(当時15歳)だった。エドモンズと同様にすでに演技を終えていたロシアのアンナ・ポゴリラヤ(当時15歳)も浅田のジャンプが決まるたびに拍手をし、最後は大勢の観客と一緒にスタンディング・オベーションを送っていた。失敗するたびに立ち上がり、目指すことへの挑戦を諦めない浅田は、世界中に勇気や希望を与える選手だった。

■輝きは永遠に

今回、久々にソチ五輪のフリースケーティング後の取材エリアでの質疑応答の音声を聞き直してみた。フリーの試合前に食べたのが赤飯だったこと、SPの前から続いていた寝不足のためにフリー当日の朝練習は寝坊で少し遅刻したこと、佐藤信夫コーチから、以前の五輪で発熱した選手に「倒れたらリンクの中まで助けに行くから、全力を出して滑るんだ」と言って送り出したら良い演技ができた、浅田も倒れたら助け起こすから大丈夫だと勇気づけられたことなどを、フランクな口調で話していた。そして、最後の涙と笑顔の意味についてはこう説明した。

「終わった直後の涙は、『やった!』と思った、うれし泣きでした。昨日の悔しさも少しあったのですが、支えて下さったたくさんの方に、自分の中での最高の演技ができたので良かったと思った、そういう涙でした。おじぎのときの笑顔は、たくさんの方から『笑顔を見たい』と言われていたので、それに応えた笑顔。涙と笑顔の意味は同じでした」

可憐な中に意志の強さを感じさせる声とともに、どんなときもピンと背筋の伸びた、美しい立ち姿が、目の前に甦ってきた。銀盤で咲いた名花一輪。その輝きは永遠に褪せない。

ソチ五輪の代表メンバー
ソチ五輪の代表メンバー
サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

矢内由美子の最近の記事