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【体操】コナミ主将・小林研也 内村航平も学ぶ“成長のための思考”

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
コナミスポーツクラブ体操競技部主将・小林研也選手

■27歳で世界選手権初出場

あん馬は「好きではないけど得意」
あん馬は「好きではないけど得意」

世界王者の内村航平らが所属するコナミスポーツクラブ体操競技部。10人中4人が五輪メダリストという超ハイレベル軍団で、2010年からキャプテンを務めてきたのが31歳のベテランの小林研也だ。

五輪出場経験こそないが、得意のあん馬やつり輪を武器として2010年に27歳で世界選手権初出場を果たし、その年と翌2011年に2年連続で日本の団体銀メダル獲得に貢献した。コナミでは26歳のときの初優勝を皮切りに、全日本団体選手権で4度優勝。20代前半がピークとも言われる体操競技に於いて20代後半からメキメキ頭角を現した、晩成型の努力家である。

小林は大阪府富田林市出身。コナミスポーツクラブの前身であるピープルに両親が務めていた縁で、2歳ごろから体操教室や水泳教室に通い始め、6歳で選手コースに入った。小学校低学年で水泳をやめて体操一本に。清風高校から日体大という体操界の王道を歩んできた。

けれども、10代のころは特筆するような成績を残す選手ではなかった。

「他の選手に比べたら、僕はジュニアのナショナルチームのようなところに入ったことがなく、将来有望という選手ではありませんでした。オリンピックを目標にしたことはなく、大学までで体操をやめるつもりでした」

コナミに入ったきっかけは、子どものころ、ピープルスポーツクラブで体操をしてた時のコーチである長谷川靖氏(現コナミスポーツクラブ体操競技部部長)に声を掛けられたことだ。誘いを受けたのは、ちょうど選手として芽が出始めた日体大4年のとき。この年初めてナショナル強化選手になり、東アジア競技会に出た小林は「社会人でやってみよう」と針路を転向し、コナミに入った。

ちなみに、内村がナショナル強化選手になったのは高校3年生のとき。コナミの同僚である田中佑典や、白井健三は高2でナショナル強化選手になっている。大学4年生で初選抜というのはかなりの遅咲きと言える。

得意ではなかった平行棒は、努力の甲斐あって得意種目に
得意ではなかった平行棒は、努力の甲斐あって得意種目に

“瞬発筋力”には元々自信を持っていた小林だが、大学時代までは試合でそれをコントロールできず、失敗が多かった。ところが社会人になってからは、それまでの練習嫌いから一変。「人一倍努力しないと上にはいけない」との自覚を持ち、毎日コツコツと練習するようになった。

すると、今までできなかった技が徐々にできるようになり、楽しさも増した。社会人3、4年目に初めて平行棒のD難度技「ヒーリー」ができたときは、胸が躍るようなうれしさを感じた。力をコントロールできるようになってからは技の種類がさらに増え、得意種目も広がった。学生時代まで不得意だった平行棒は、今では得意種目の一つだ。

■“逆転の発想”が25歳からの成長を可能にした

2014年11月の全日本団体選手権で優勝したコナミ勢(左から内村、小林、田中)
2014年11月の全日本団体選手権で優勝したコナミ勢(左から内村、小林、田中)

25歳を過ぎてから成績を伸ばしてくことができたのはなぜか。秘密は、「逆転の発想」にあった。

小林によると、年齢が上がると筋力は徐々に低下していくが、グラフで表すとしたらそれは右肩下がりの直線ではなく、何年か横ばいを保ってあるときガクッと下がるという線になる。

「人によって違いはありますが、社会人になってから2回ぐらい、今までと同じじゃダメという時期が来ます。僕の場合は、25歳くらいと29歳くらいでした」

小林がすごいのは、数年おきに感じた「ガクッと落ちる悩み」を進化のきっかけとしたことだった。筋力の下降グラフと、体をコントロールする能力の上昇グラフが交われば、それは成績向上の分岐点になるのではないかと考えてのことだった。

つまり、瞬発筋力の低下を技術で補うことによって成績の下降をとどまらせるのみならず、筋力の低下によって体をコントロールしやすくなったことを逆手に取って、技の安定感を高めていったのだ。

「体操選手は、壁を越えることで成長していくもの。壁を乗り越えられれば上手くなるし、乗り越えられなかった人はそこで引退していくということです。壁は成長へのステップになるから、多い方がいい。むしろ、壁がないと成長はないと思います」

「年齢によってどうなるのかを研也さんに聞いて、参考にしています」と話すのはロンドン五輪金メダリストであり、世界選手権5連覇中の“史上最強ジムナスト”内村航平だ。まもなく26歳。ケガや疲労との闘いに腐心する年齢を迎えつつあることを自覚しながら、新たな境地へ足を踏み入れるべく、常に進化を続けている。そんな内村が頼りにしているのが小林なのだ。

今年4月のこと。内村は「25歳で1回“来るよ”と先輩に言われたんです。だから今年が一つのヤマだと思っています」と明かした。助言の主は小林だった。

コナミでの日ごろの練習では、内村から質問があれば、過去の自分の引き出しをあけながら「何歳のときにはこうだった」という話をするそうだ。2020年東京オリンピックのときには、内村は31歳になっており、現在の小林の年齢になる。コナミの体育館には、小林の言葉に真剣に耳を傾ける世界王者の姿がある。

「ガクッと来たときは、今までの感覚とも変わってくるので、そこをどう乗り越えるかが試されます。でも、(内村)航平はそういうときの乗り越え方が上手い。航平は痛みが出たときに、通常と違う筋肉を使って技をやってしまうんですよ。それは普通の選手にはできないことです。もちろん精神力は半端ない」。小林は後輩の計り知れない強さに目を細める。

そんな小林の願いは、幼い頃から続けてきた体操の魅力を、東京オリンピック世代やその後に続く子どもたちに知ってもらいたいということ。充実の31歳。体操の道の追求は続いていく。

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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