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「反対した官僚は異動」は岸田・石破両氏も発言していた 元最高裁判事インタビューに見る政治報道の問題点

楊井人文弁護士
9月13日フジテレビの番組で橋下氏の質問に答える菅義偉官房長官(当時)=筆者撮影

 9月30日の朝日新聞朝刊に内閣法制局長官、最高裁判事を歴任した山本庸幸氏のインタビュー記事が掲載された。山本氏は2013年8月に安倍政権が内閣法制局長官に抜擢した駐仏大使の小松一郎氏の前任者。交代を聞かされた時の様子や小松氏に挨拶回りをした時の様子などを証言している。

 このインタビューの中に、非常にミスリーディングな報道の影響を受けたと思われる発言があった。菅義偉首相が自民党総裁選の際に「政権の決めた政策の方向性に反対する幹部は異動してもらう」と発言したことについて「気になる」と指摘した部分だ。実はこの「反対したら異動」発言は菅氏だけではなく、総裁候補の岸田文雄氏と石破茂氏も同様に発言していたのだ。だが、あたかも菅氏だけがそうした発言をしたかのように報じられてきた。事実を見極めるプロ中のプロであるはずの元最高裁判事も、こうした報道の影響下から逃れられないことを示す例だ。

橋下氏が3人の候補者に質問 メディアはどう報じたか

 朝日新聞のインタビュー記事は「人事の不文律破り 異論遠ざける交代 安倍政権の手法」と題し、冒頭、次のような書き出しで始まっている。

自らの考えに近い人物を置くことで政策を実現する――。安倍政権の7年8カ月は、「人事慣行」を破ることで、法治のありようまでを変えうることを示した。象徴的だったのが、安保法制の制定を目指し、「法の番人」といわれる内閣法制局長官を退任させた人事だった。山本庸幸さん(71)が見た、その政治手法の本質とは。

出典:朝日新聞2020年9月30日付朝刊

 政策を実現するために人事権を従来以上に行使した安倍政権のあり方を批判的に捉えるトーンであることは明らかであるが、私が気になったのは次の部分だ。

 「菅政権が誕生しました。『安倍政権の継承』を掲げる菅首相は、安倍首相の行政手法も継承するのでしょうか」という記者の質問に対し、現在、弁護士である山本氏が次のように答えていた。

「個性が異なるので、行政の手法も違うと思いますが、気になるのは菅氏が首相就任直前のテレビ番組で『政権の決めた政策の方向性に反対する幹部は異動してもらう』と発言されたことです

「そうなると、首相の耳に痛いことを申し上げる部下はいなくなり、そのうち周囲は阿諛追従(あゆついしょう)のやからばかりになりかねない。部下は法制度や行政法の原則を踏まえて見識をもって意見を言うわけですから、そういう多様な意見をよく聞いてとりまとめ、組織一丸となって行政を遂行していってほしいと思います」

出典:朝日新聞2020年9月30日付朝刊

朝日新聞9月30日付朝刊の山本庸幸元最高裁判事へのインタビュー記事(筆者撮影)
朝日新聞9月30日付朝刊の山本庸幸元最高裁判事へのインタビュー記事(筆者撮影)

 「政権の決めた政策の方向性に反対する幹部は異動してもらう」発言は、自民党総裁選の最中の9月13日に放送されたフジテレビ「日曜報道 THE PRIME」でのものだ。この発言は、次のように報道された。反響の大きかった共同通信の記事(東京新聞が転載)が短いので、全文引用しておく。

菅氏、内閣人事局は変えず 「政策反対なら異動」

 自民党総裁選に立候補した菅義偉官房長官は13日のフジテレビ番組で、中央省庁の幹部人事を決める内閣人事局に見直すべき点はないと明言した。政権の決めた政策の方向性に反対する幹部は「異動してもらう」とも強調した。石破茂元幹事長、岸田文雄政調会長と出演したフジテレビ番組で発言した。

 内閣人事局は2014年5月に内閣官房に新設された。幹部人事を掌握するため、官邸主導の意思決定を後押しする一方、官僚の忖度を生む要因と指摘される。

 続くNHK番組でも、菅氏は、査証(ビザ)の要件緩和が訪日外国人増加につながったとして「官邸主導でなければできなかった」と語った。

共同通信2020年9月13日、太字は筆者)

 見ての通り、記事は、石破、岸田両氏も出演していることに触れているが、菅氏だけが「政策反対なら異動」と発言し、強調したかのように報道されている。この報道は、菅氏と官房長官記者会見で対決してきたで知られる東京新聞の望月衣塑子記者がTwitterで引用し、ネット上でかなり大きな反響があった。

岸田・石破両氏が「異動」発言した事実は一切報道されず

 私はこの時の番組を確認したが、菅氏が「政策反対なら異動」と発言したこと自体は事実だ。だが、実際は、総裁候補者3人に対して質問する役周りで番組に出ていた橋下徹氏が「政権の決めた政策の方向性に反対する幹部は異動してもらうのか?」と尋ねたのに対して、3人ともYESと答えていた。3人とも聞かれたからそう答えたのであって、菅氏を含め自ら積極的にそう発言したわけではない。報道されたように、菅氏がこの考えを「強調」したようにも見えない。

 橋下氏の質問に対する3人の回答は、次のようなものだった(回答順)。

菅義偉氏「私ども選挙で選ばれたんですから、何をやるか方向を決定したのにですね、やはり反対するなら、それは異動しますよね

岸田文雄氏「まずは説得する努力をしなければならない。しかしながら決めたことは貫かなければならないので、必要なら異動する、させる、それはあると思います

石破茂氏「それは異動させることはあります。これが組織を萎縮するものであってはならない。あの人はあそこで異動したんだね、そういうことなんだね、その人が反対したことが自分の信念に基づくものであれば不利な取り扱いをしてはいけません。そうすると組織が萎縮しちゃいますよね

 このように、それぞれトーンはやや異なるが、「反対した官僚を異動させる」という人事権行使を否定した候補者は一人もいなかった。

元大阪市長の橋下徹弁護士が3人の候補者に同じ質問をしていた(9月13日放送フジテレビ日曜PRIMEより、筆者撮影)
元大阪市長の橋下徹弁護士が3人の候補者に同じ質問をしていた(9月13日放送フジテレビ日曜PRIMEより、筆者撮影)

 調べたところ、共同通信だけでなく、時事通信、朝日新聞、毎日新聞も、同様に菅氏が「政策反対なら異動」と発言したことを報じていたが、岸田、石破両氏も同様に答えたことについては報じていなかった。興味深いことに、読売、産経、日経の各紙はこの発言自体を報道していなかった。

 おそらく、山本氏は、3人の総裁候補が出ていたこの番組を見ておらず、報道で知ったのではないだろうか。岸田、石破両氏も「異動させる」と答えた事実は、私が調べた限りどこにも報道されていなかったので、番組を見ていなければ知りようがないのだ。

 もし実際に番組のやりとりを見ていれば「異動させる方針」が菅氏に特有のものでないことがわかるので、わざわざこの発言に言及しただろうか。元内閣法制局長官・元最高裁判事といえども、報道の影響は免れないことを示している。

憲法15条「公務員の任免は国民固有の権利」

 山本氏は官僚出身であり、当然、官僚側には政治家に人事権を行使されたくないという思いがある。朝日新聞のインタビュー記事には、人事権の行使を「内閣法制局の文化を壊した」と批判する政治学者のコメントも載り、山本氏や官僚側の思いを代弁する構成になっている。

 だが考えてみれば、「政策を決めた後」に政治家が人事権を行使して政策を実現することは、主要メディアがずっと主張してきた「官僚支配の打破」「政治主導への転換」の一つの帰結であった。

 もちろん「政治主導」に弊害が全くないわけではなく、行き過ぎは是正されるべきだろう。だが、日本国憲法は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」(第15条1項)と定めており、これは「あらゆる公務員の終局的任免権が国民にあるという国民主権の原理を表したもの」とされている(『新基本法コンメンタール 憲法』)。官僚の幹部に対する人事権は、官僚自身が決めるのではなく、民意に支えられた政治家が決めるというのが、民主主義国家の大原則のはずだ。

 内閣法制局長官・最高裁判事を歴任してきた山本氏へのインタビューはそれ自体、もちろん非常に大きな意義がある。だが、それに全く留保をつけず、無批判的に取り上げたのは残念だった。

弁護士

慶應義塾大学総合政策学部卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHooを運営(〜2019年)。2017年、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年、共著『ファクトチェックとは何か』出版(尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー)。2023年、Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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