「方針固めた」訴訟 メディアは勝訴したがエゴスクープ問い直すとき

「前打ち報道」の真実性について、裁判所は一審と控訴審で逆の事実認定をした(写真:アフロ)

今年2月、東京地方裁判所で出た一つの判決が新聞業界を震撼させた。「影響は非常に大きい」―何人かの現役の新聞記者に判決の感想を求めると、異口同音にそうした反応が返ってきた。今月、控訴審でその判決が覆った。逆転勝訴に、メディア関係者はさぞかし胸をなで下ろしていることだろう。だが、メディアはこの訴訟を契機に「スクープ」報道のあり方を見直すべきではなかろうか。

なぜ一審と控訴審で判決が逆になったか

訴訟の詳しい経緯は過去の記事に委ねるが、要約するとこうである(詳細は【GoHooトピックス】課徴金勧告「方針固めた」訴訟 メディア側逆転勝訴課徴金勧告の事前報道に賠償命令 共同通信など控訴【注意報】「ファンド代表に偽計で課徴金」 虚報として提訴)。

まず、共同通信が、証券取引等監視委員会(以下「監視委」)が海外在住の投資会社代表の男性に対し、金融商品取引法違反の「偽計」容疑で課徴金納付命令を出すよう金融庁に勧告をする「方針を固めた」と報道。翌朝刊で毎日新聞が共同通信の配信記事を掲載し、産経新聞も共同の記事を参考にしつつ独自の取材を踏まえて記事化した。すると、男性側が「虚報」だとして名誉毀損で提訴。報道から約1ヶ月半後、監視委は報道の内容とほぼ同じ勧告を行った。「方針を固めた」報道は結果的に正しかったといえメディア側有利にも見えたが、東京地裁は、報道の時点では「方針を固めた」事実は認められないと判断し、メディア側に賠償を命ずる判決を下した

メディア側はすぐに控訴。原告の男性側も賠償額が低かったことなどを不服として控訴した。そして、一審判決から約5ヶ月後、東京高等裁判所は男性側全面敗訴の判決を言い渡した。一審の認定と逆に、報道の時点で「方針を固めた」ことは真実、と認定したのである。

訴訟の経緯(判決文で認定された事実などを含む)

  • 2010年3月  アジア・パートナーシップ・ファンド(APF)のグループ傘下のウェッジホールディングス(WH社)が、同じグループ傘下のA.P.F.ホスピタリティー(APFH社)が発行する転換社債を引き受ける決議、第三者割当てによる新株発行の決議を行い、公表。
  • 2010年5月~8月  共同通信と産経新聞の記者が監視委幹部への取材で、WH社の取引、公表について金商法違反(偽計)で課徴金納付命令を金融庁に勧告することを検討していることを把握。8月下旬、両記者は取材の結果、勧告の方針をほぼ固めたと認識。
  • 2013年9月11日ごろ  監視委担当者がAPF代表の男性側弁護士と面談の約束。
  • 同年9月16日  共同通信が「ファンド代表に課徴金数十億円、監視委が方針」を配信。
  • 同年9月17日  毎日新聞や一部地方紙が共同通信の記事を掲載。産経新聞は独自に「ファンド代表に課徴金 偽計適用、金融庁に勧告へ」の見出しで記事化。
  • 同年9月18日  監視委担当者がAPF代表男性側弁護士と面談し、「結論はまだ決まっていない、調査を踏まえて決める段階にある」旨発言。このときに正式な委任状取得を承諾。
  • 同年9月24日  APF代表男性が共同通信、産経新聞に損害賠償などを求め、東京地裁に提訴。弁護士が記者会見で「虚報」と指摘。10月には毎日新聞にも追加提訴。請求額は3社で計1650万円。
  • 同年11月1日  監視委がAPF代表の男性に対し、約41億円の課徴金納付命令を金融庁に勧告。審判手続開始決定(2015年8月現在も審判手続進行中)。
  • 2015年2月25日  東京地裁が共同通信に66万円、毎日と産経にそれぞれ55万円の賠償を命じる判決。双方控訴。
  • 同年8月20日  東京高裁が一審判決を取り消し、請求を全部棄却する判決。
一審を破棄し、請求を棄却した東京高裁の判決文
一審を破棄し、請求を棄却した東京高裁の判決文

なぜ一審判決と控訴審判決の結果が逆になったのか。

一審判決は、共同通信の取材では監視委幹部から「方針はほぼ決まった」との情報を得ていたが、報道後に男性側代理人と面談し、質問状を送るなど、監視委の資料収集や調査が完了していなかったことに着目。報道時点ではまだ「方針を固めた」とまではいえないと判断していた。

控訴審判決によると、監視委が男性側弁護士との面談を決めたのは、実は報道の約5日前で、この時点で弁護士はまだ男性側から本件に関する委任状もなく正式な代理人ではなかった(この事実は一審判決には明確に記されていなかった)。これは「方針を固めた」と矛盾するメディア側に不利な事情にみえる。だが、控訴審の東京高裁は、監視委が海外に在住し直接連絡がとれない男性側に「質問をしても方針変更につながるような重要な事情が明らかになることは見込んでいなかった」と推認。報道直後に監視委担当者が男性側弁護士にまだ結論を出していないと発言したことも、正式決定前なのでそうした発言は不合理でなく、このことから直ちに「方針を固めた」事実を否定することはできないと指摘。取材内容や記事内容が勧告と重要な部分で一致していることを重視して、監視委が調査完了前に勧告の方針を固めていたと判断したのである。

要するに、控訴審判決は、監視委が男性側弁護士を介した質問手続は形だけの調査にすぎず、監視委の担当者が報道後にまだ方針は未定と告げたのもウソと言ったに等しい。たしかにそうかもしれないが、判決も指摘するとおり、法律上、勧告前に本人に聴聞や弁明の機会を与えることは必須とされていない。にもかかわらず、監視委の方からわざわざ男性側弁護士との面談の機会を設け、質問調査のために委任状の取得を求め(弁護士はこの面談時に委任状の取得を”承諾”した)、質問を出していた。正式に弁護士が付いた以上、男性本人と直接面談できなくても、監視委にとって不利な事実関係や証拠が出てこないとも限らない。この質問調査が形だけのものにとどまると事前に見通せたという控訴審の判断は、やや無理がある気がする。控訴審判決の事実認定をもとにすると、報道時点で監視委の調査が続いていたことは否定できず、勧告の方針の「内部的な決定」に至る前の段階であったようにもみえるのだ。

ところが、控訴審判決はメディア側に有利な事実認定になった。そうなったのは、東京高裁が「方針を固めた」の定義を一審判決よりも「主観」的に解釈したからだと考える。一審判決は「方針を固めた」の意味を「内部的な決定、確定」ととらえ、今回の事案は報道時点で調査途中であったからまだ「内部的な決定」には至っていないと結論づけた。他方、控訴審判決は「方針を固めた」の意味を「方針に影響を及ぼす新たな事態が発生しない限りでの、内部的な事実上の決定」ととらえた。方針変更の余地や最終決定の時期については流動的な面を含むものとして理解し、「決定」より「意向」に近い解釈をとったのである。だから、監視委は調査途中であっても、よほどのことがない限り勧告するという組織としての意向自体はすでに固まっていたととらえ、逆の結論が出すことができたのであろう。

たしかに、「方針」という言葉は語感としても「目指す方向性」という意味合いがあるが、「方針を固めた」という表現は一般読者に「内部的な決定」(内定)と理解する可能性が高いという一審・東京地裁の判断基準にも一理がある。おそらく、東京高裁は、報道内容が結果的に現実化しているのにメディアを敗訴させるという結論はよくないとの考慮も働き、真実性の判断基準をやや緩和したのではないかと思われる。

ところで、共同通信、毎日新聞はなぜか今回、真実性の抗弁だけしていて、真実相当性の抗弁を主張していなかった。メディアの名誉毀損訴訟では、仮に真実でないとしても真実相当性(真実と信じた相当な理由)を立証すれば免責されるため、念のためこの主張もしておくことが多い。現に、別の弁護士を立てた産経新聞は真実相当性の抗弁もしていた。もし共同と毎日が真実相当性の抗弁もしていれば、「方針を固めた」=「内部的な決定」という判断基準のもとで真実性の立証まで認められなくても、真実相当性の立証を認めてメディア側敗訴の結論を避けることができたのではないか、とも思える。

いずれにせよ、共同の取材で監視委幹部から「ほぼ決まった」との情報を得て最終的な勧告の時期についても不明確ながら情報を得ていたのだから、「内部的な決定」の立証が困難だとしても、真実相当性は認められてしかるべき事案だったと考える。そのため、東京高裁判決の結論部分は妥当だった、と私は考えるのである。

エゴスクープ合戦からの脱却契機に

日本のメディアでは当局などの正式決定・発表前に「方針固めた」と報じることが非常に多い。「前打ち報道」とも呼ばれる。多くの場合、事前の報道どおり「方針」は「発表」へと現実化する。他社に先駆けて「発表」前に報じることはスクープとして業界内、社内で褒賞される。いかにインサイダーに食い込んでいるかの証とされる。逆に「抜かれた」側の他社の記者は、上から怒られ、「追いかけ」つまり前打ち報道の「裏付け確認」に走る。そうしたスクープ合戦が日本の記者生活の日常の一コマであり、「持ち場」をもつ記者の多くのエネルギーがそこへ注ぎ込まれている。しかし、今回の訴訟は、それだけの価値があるのか考え直す機会ではなかろうか。

今回の訴訟の逆転勝訴でメディアの関係者は安堵しているだろうが、この判決でも依然として「前打ち報道」の訴訟リスクが高いことを見逃してはならない。

第一に、「方針を固めた」報道において、真実性の立証対象はあくまで報道時点における「方針を固めた」事実である、という点である。したがって、結果的にその「方針」が現実化したとしても、報道時点での真実性または真実相当性の立証ができなければ敗訴するリスクをメディアは背負っていることになる。

第二に、結果的にその「方針」が現実化しなかった場合、仮に報道時点で「方針を固めた」事実があったとしても、方針の前提事実(今回のケースでいえば、金融商品取引法違反の容疑内容)の真実性が問題となり得る、と控訴審判決は指摘した。つまり、前打ち報道が、その時点で間違っていた場合は当然として、正しかった場合でも、その後の何らかの事情(その前打ち報道が行われたことを含む)で方針が変わってしまい結果的に外れた場合は、敗訴するリスクが高くなるのである。

今回の事案のように「方針を固めた」報道のとらえ方自体が裁判所によって判断がわかれる。内部的、主観的な要素が入りやすく、事実認定も微妙なさじ加減で変わりがちである。つまり、「方針を固めた」報道を訴えられた場合、メディアにとって予測可能性が低い訴訟となりやすい。

そもそも、「方針を固めた」に代表される「前打ち報道」は、いずれ近いうちに正式発表などで知れ渡る情報にすぎない。いずれ出てくる情報をどこが先に報じるかなど読者の関心事ではない。そのため、「エゴスクープ」(米ニューヨーク大学のジェイ・ローゼン教授)あるいは「自己満スクープ」(牧野洋・元日本経済新聞編集委員)とも呼ばれる。今回の訴訟で問題となった報道はまさに、典型的な「エゴスクープ」であろう。成功したとしても社会的には大して評価されず、失敗したときのダメージは大きい(スクープの形態について詳細は、牧野洋氏の記事「『真犯人』の存在を明らかにした“調査報道のバイブル”」参照)。

もちろん現場記者は、業界や企業の評価基準に沿って成果を出しているのだから、何も悪くない。ただ、そうした早い者勝ち競争にエネルギーを注いでいることが、すごくもったいないし、(今回の訴訟で明らかになったように)割にあわないと思うのだ。情報源である当局者に接近しすぎ、メディアが利用される危険性もある。国民の知る権利に貢献するということは、放っておいては出てこない事実を見つけ、あるいは、明るみになった情報を表層でとらえずに分析し、掘り下げ、独自の視点を提供することであろう(ローゼン教授はジャーナリズムの見地から価値あるスクープを「エンタープライズスクープ」「ソートスクープ」と呼んでいる)。

事前に「前打ち報道」できるだけの取材情報を得ていたとしても、いずれ発表されるなら「ハズレ・リスク」をとって記事化を急ぐ必要はないのではないか。発表までの間に深掘りして、発表時点で他が書かないような事実や視点を盛り込み、単なる発表モノでない厚みのある報道をした方が価値があるのではないか(もっとも、今回の共同の記事は、きちんと解説記事も付けて配信されていたことは付言しておきたい)。「前打ち報道」にそそぐエネルギーをもっと違った方向に使えば、より社会的意義の高い、読者の関心を引きつける報道が増えるのではないか。

実は、現場でも「前打ち報道」が自己満足にすぎないことは気づいていて、疑問を抱きつつも出世のためと割り切ってやっている記者が多いのではないか。今の評価基準や取材体制、報道のしくみ自体を、企業や業界の単位で変えていかなければ、記者の取材・報道スタイルも変わりようがない。

今回の「方針を固めた」報道訴訟の結果に安堵するだけでなく、スクープ報道のあり方を見直す契機にしてもらえればいいのだが。