私のもとに1本の動画が届きました。

 海外の大学へと旅立つ息子を空港で見送る、わずか25秒間の映像です。

 しかし、これが家族にとっての、今生の別れとなりました。

 9か月後、この動画に映る林俊徳さん(当時18)は棺に納められ、留学先の台湾から成田空港経由で、横浜の自宅に無言の帰宅をしたのです。

 父親の林英明さん(58)は語ります。

「私のスマホの中には、2020年8月、新型コロナウイルスの影響で閑散とした羽田空港から息子が出国するときの動画が今も残っています。あの日は、妻と次男の3人で見送りに行きました。コロナ感染の収束が見えない中、俊徳は現地で大学の入学手続きをすませ、10月8日には一旦帰国する予定でした。しかし、帰国できず……。あれが僕の見た俊徳の最期の姿になったことが悲しくて仕方ありません」

<林俊徳さん、羽田空港で両親が見送った最後の姿>

「握手をするわけでも、ハグをするわけでもなく、『じゃ…』と一言だけ残してすーっと搭乗ゲートに姿を消した俊徳。あれが、あいつらしい、『さよなら』の言葉だったのだと思うしかありません。息子がもうこの世にいないことは、頭の中ではわかっているんです。でも僕は、彼が事故死したことはあえてフリーズさせ、今も搭乗ゲートの向こうにいるんだ、という感覚をもって自分をコントロールし、心の置き場にしています」(英明さん)

 台湾での事故発生から間もなく9か月、この動画を公開してでも、伝えたいこととは何だったのでしょうか……。

事故直後の現場。俊徳さんは左のスクーターに乗車していた(林さん提供)
事故直後の現場。俊徳さんは左のスクーターに乗車していた(林さん提供)

■海外の留学先で突然起こった交通事故

 台湾で発生したこの事故については、Yahoo!ニュース個人でたびたび報じてきました。

「息子が、今、脳死状態です…」台湾でのバイク事故。母が求める情報提供(柳原三佳) - 個人 - Yahoo!ニュース

 事故は2021年2月に発生。大型バイクに乗っていた相手側のライダー(当時24)とスクーターに乗っていた俊徳さんが山道で衝突するというものでした。 

 相手はほぼ即死。俊徳さんは脳死状態で、意識不明のまま台北の病院に搬送されました。 

 コロナ禍で国境を越えた渡航が制限される中、海外で危篤状態となっている我が子を直接見舞うことは容易ではありませんでした。台湾への入国を許可されたのは母親の里美さん一人。英明さんは日本からLINE動画などで我が子の容体を見守り続けるしかなかったのです。

 しかし、俊徳さんは事故から45日後、一度も意識を回復することなく、息を引き取りました。

父親の英明さんはLINE動画を使って、台湾で闘病中の俊徳さんに日本から呼びかけを続けた(林さん提供)
父親の英明さんはLINE動画を使って、台湾で闘病中の俊徳さんに日本から呼びかけを続けた(林さん提供)

 事故の本格的な捜査は俊徳さんが亡くなってから始まりました。

 そして6月、新北市車両運転事故鑑定委員会が下した結論は、『双方に事故発生原因がある』というものでした。

 その決定にどうしても納得できなかった林さん夫妻は、日本で作成した鑑定意見書を添えてすぐに異議申し立てを行いました。

 それを受けた再審査会は8月、当初の判断を取り消し、俊徳さんの側に事故の原因はなかったと判断したのです。

「大型二輪のライダーが、前方の状況に注意を払うことなく、且つ法定速度を遥かに上回る高速度で走行したため、左折車両(俊徳さん)の反応時間が短くなったことが事故発生の原因である。林俊徳は不意を突かれたのであり、事故発生要因がない」

 その内容は、以下の記事で報じた通りです。

【台湾バイク死亡事故】相手ユーチューバーの速度超過が原因と認定、両親の執念実る(柳原三佳) - 個人 - Yahoo!ニュース

入国規制がかかる中、台湾に駆け付けた母親の里美さんは、時間の許す限り俊徳さんに付き添った(林さん提供)
入国規制がかかる中、台湾に駆け付けた母親の里美さんは、時間の許す限り俊徳さんに付き添った(林さん提供)

■事故の相手は峠を攻めるユーチューバーだった

 英明さんは振り返ります。

「息子が突然の事故に遭い、気が動転する中、まず僕が気になったのは、相手はいったいどんな人なのか? ということでした。そこで、言葉もわからない中、知り得た情報から何か手掛かりはないかと、ネットで相手の情報を徹底的に調べ始めたのです」

 英明さんはまず、事故現場の住所や相手が乗っていたヤマハのR3というバイクを検索しました。

「すると、驚いたことに、相手のライダーとみられる名前が入った複数のYouTube動画が出てきたのです。そこには、俊徳が事故に遭った峠道をかなりのスピードで走行する自撮り映像も映っていました。追い越し禁止のカーブにもかかわらず前車を何台も追い抜き、レースのようにバンクさせながらコーナーを攻めていく……。その映像を見たとき、このままいくと彼のゴールは、『死』しかないと感じました。危険な走りを続けていたら、いつか自爆事故で死ぬか、誰かを殺めてしまうのではないかと……。結果的に彼は、相手も殺して自分も死ぬ、という最悪の最期を迎えました。そしてたまたま、その最期に俊徳が巻き込まれたのです」

英明さんがネット検索で見つけた相手のライダー(左)のYouTube映像。事故はまさにこの道路上で発生した(林さん提供)
英明さんがネット検索で見つけた相手のライダー(左)のYouTube映像。事故はまさにこの道路上で発生した(林さん提供)

■コロナ禍に翻弄された海外留学

 北京大学、清華大学にも合格していた俊徳さんは、新型コロナウイルスの蔓延がなければ、中国へ留学していたはずでした。

 しかし、中国の大学は完全オンライン授業になると聞き、急遽、コロナ禍においても新入生を受け入れることになった台湾大学への入学を決めたのです。

 この時期はどこの国も国境閉鎖をされていたため、台湾に入国できるだけでも幸運だったようです。

「俊徳は高校時代、中国に留学しており、みんなで中国の大学を目指していたので、台湾の大学に進学しても大丈夫だろうかという思いはありました。この年の大学入学は、国ごと、また大学ごとに例年とは異なっていました。中国の大学は1年間の入学保留制度ができるなど、初めての対応ばかりだったようで、俊徳自身も短期間で結論を出すことは難しかったと思います。でも、18才のチャレンジ精神と、根っからの行動力で台湾に行ってみようと急遽決断したようです。コロナ禍だからこそ、台湾での経験も楽しんでいたと思います」

 英明さんは悔しそうに続けます。

「上昇志向はあったようですね。彼は中国語が堪能だったので、日本と中国の架け橋になれるような仕事に就きたいと言っていました。そして、台湾に行くときには『日本人の俺が、中国と台湾の両方に住んで勉強していた経験って、いいと思わない?』とも……。そんな俊徳のこれからを見たかったですが、一瞬の事故がすべてを奪いました。でも、大好きな中国語を使って中国での高校生活も、台湾での大学生活も楽しんでいたようなので、彼にとっていい18年間だったと思いたいです」

 俊徳さんの死から半年がたち、今、林さん夫妻は賠償問題にも直面しているといいます。外国で起こった事故の場合、賠償基準も異なるため難航も予想されます。

「子どもの命は金銭に置き換えられるものではありません。それでも、子どもの尊厳を守るために彼の生前と向き合わないといけないことがいろいろあり、とても辛いです。また、人の命の算定が国によってこんなに違うなんて、事故の前には気づきもしませんでした。本当に想定外の出来事でしたが、海外へ出るということはこういうリスクもあるということですね。それだけに悲惨な交通事故は撲滅しなければならないと思います」(母・里美さん)

野球が好きだった俊徳さんの祭壇には、野球ボールをかたどった花が飾られていた(筆者撮影)
野球が好きだった俊徳さんの祭壇には、野球ボールをかたどった花が飾られていた(筆者撮影)

■遺族が声を上げなければ何も変わらない

 英明さんは今回、俊徳さんの最後の動画を公開することで、伝えたいことがあると言います。それは、残された遺族が、自ら動き、声を上げなければ、何も前に進まないということです。

「被害者とその家族の間にはいろんな別れがあると思います。突然、とり残されて肩を落とし、怒っても、恨んでも、たとえ裁判で勝ったとしても、本人が帰ってこないことはわかっています。なかなか冷静になれない中、 あきらめてしまったほうが落ち着くという人もおられることでしょう。でも、それでは事故はなくなりません。気持ちをしっかり持って、帰ってこない我が子のために頑張るのが親だと思うんです」

 今回、林さん夫妻が再審査請求を行った理由のひとつとして、相手のライダーがバイク系のユーチューバーとして、日常的に違反行為を繰り返し、その映像をYouTubeに配信していたという事実がありました。

 里美さんは語ります。

「事故時もカメラは回っていたそうですが、今回その動画は飛んでしまったそうです。もし、残っていたら、彼がどんな走りをしていたかがもっと正確に明らかになっていたと思います。俊徳が携帯していたカメラも事故の衝撃でデータが破壊され、日本から発つときに購入したビデオカメラにも台湾で過ごした映像が残されていたはずですが、それも一瞬で消えてしまいました。今回はそれほどの衝撃のある事故だったようです」

 英明さんは、今回のような悲惨な事故を二度と繰り返さないためにも、今後はユーチューバーをはじめとするこうした暴走行為を食い止めていきたいと言います。

「制限速度40キロの峠道を100キロもの速度で走行されたら、脇道から本線へ出ようとする車やバイクは永遠に右左折することができません。安全確認をして発進しても、2秒後には突っ込まれてしまうのです。そんな状況で、理不尽な過失を被害者にかぶせていいわけがありません。私たちはまず台湾から、こうした走りをなくしていこうという風を吹かせられればと思っています。日常をぷっつりと断ち切られる交通事故の現実。夢をいっぱい抱き、搭乗ゲートの向こうに消えていった息子の最期の姿を多くの方に見ていただき、二度とこうした事故が起こらないよう、一緒に考えていただければと思っています」

事故後、台湾の現場の路上にはこのような黄色いペイントがなされた(林さん提供)
事故後、台湾の現場の路上にはこのような黄色いペイントがなされた(林さん提供)