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【追悼】エディ・ヴァン・ヘイレン(1955 - 2020) / ギターと邸宅とエディ・スマイル

山崎智之音楽ライター
Edward Van Halen (1955 - 2020)(写真:Shutterstock/アフロ)

2020年10月8日、エディ・ヴァン・ヘイレンが65歳で亡くなったというニュースは、世界を悲しみのどん底に叩き落とした。

エディは1978年にヴァン・ヘイレンでデビュー。全米ナンバー1ヒット曲「ジャンプ」を筆頭にロック史に冠たる名曲の数々や、キンクスの「ユー・リアリー・ゴット・ミー」やロイ・オービソンの「プリティ・ウーマン」など斬新なアレンジのカヴァー曲をヒットさせるなど、アメリカを代表するハード・ロック・バンドの花形ギタリストとして活躍した。

チャック・ベリー、ジミ・ヘンドリックスと並んで、彼はロック音楽史上、最も大きな影響力を持つギタリストの1人だった。そのリフとバッキング、ソロのフレーズとテクニックが超一流だったのはもちろんだが、やはり彼の名を世界に轟かせたのは右手の指でギターの弦を押さえるタッピング奏法だった。「暗闇の爆撃 Eruption」での無伴奏ソロはまさに“革命”で、「スパニッシュ・フライ」「大聖堂 Cathedral」などアルバムごとに繰り出すスーパー・プレイを聴いた世界のギター・キッズは自室に引きこもり、ひたすらコピーに励んだ。マイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」での壮絶なソロも衝撃的だった。

タッピングの技術について、エディ自身も「自分より前から大勢のギタリストがやっていた」と認めていたが、その大胆かつ斬新なプレイは唯一無二であり、彼はギター神(ゴッド)として崇拝された。

<エディ・スマイルと毒舌>

ファンにとって、タッピングと共に印象的だったのが、エディ・スマイルだった。その屈託のない笑顔には、無条件で人を惹きつけるものがあった。

筆者(山崎)がエディと対面インタビューを行ったのは1995年10月、1997年12月の2回。どちらもエディ・スマイルを満喫することが出来たが、その笑顔は大らかな包容力よりも、イタズラっ子らしさを感じさせるものだった。

“永遠のギター少年”だったエディだが、まるで子供のようにニコニコしていたのが強く印象に残っている。

彼が上機嫌だった理由として、どちらのインタビューも2歳年上の兄アレックスが同席していたことがある。頼りになるお兄ちゃんが隣にいて、ジョークを飛ばし合いながら取材を受けることで、エディは相当リラックス出来ただろう。

1995年のインタビューは『バランス』に伴う来日公演、1997年は『ヴァン・ヘイレンIII』プロモーションでの海外取材。どちらも元バンドのシンガー、デイヴ・リー・ロスへの悪口大会で大いに盛り上がった。アレックスはわざわざ立ち上がって、「あいつがいる頃はライヴ・アルバムを出せなかったんだ。これ(デイヴの珍妙なポーズを真似する)をテープに収められないからな!」と言えば、エディは「デイヴは俺たちを漫談ショーのバック・バンドだと考えていた。奴のポリシーは“俺のやり方が気に入らなきゃ出ていけ my way or the highway”なんだ。そんな奴はgo awayだよ」と応じる。スマイルどころか、兄弟の爆笑をたっぷり味わうことが出来た。

ただ、決して暗くネガティヴになってしまうのでなく、2人は実に楽しそうに悪口のキャッチボールを続ける。そんなカラッとした毒舌ぶりも、彼らの魅力だった。

<広大な邸宅とホーム・スタジオ>

1997年のインタビューは、ロサンゼルス郊外のエディ宅に隣接したホーム・スタジオ“5150スタジオ”で行われた。

門の呼び鈴を鳴らして開けてもらい、しばし車で曲がりくねった道を進むと、エディ宅がパッと姿を現す。少しばかり驚くのは、平屋だということだ。土地と家屋があまりに広大なため、2階建てにする必要がないのだ。屋上はラケットボール(スカッシュに似たアメリカの球技)のコートになっており、ゴルフの打ちっ放しにも使える。

ホーム・スタジオといっても、バンド全員とインタビュアーが入っても余裕がある大きなもの。ちょうど刊行されたばかりのデイヴの自伝『Crazy From The Heat』の話題でアレックスとエディがウケまくり、ベーシストのマイケル・アンソニーは困った笑みを浮かべ、バンドに加入したばかりのゲイリー・シェローンは言葉少なで、エクストリーム時代のステージでの圧倒的な存在感は抑えめである。

「“アレックスは首が悪くて30分以上インタビューを受けられない?”とんでもないデタラメだ。あいつは1分だってマトモに歌えない。俺の首より重症だぜ!」とアレックスが笑えば、エディも「何故ゲイリーが加入したかって?俺たちに必要なのは最高のシンガーだからだ。キャバレー・ダンサーではなくてね」「バンドは結婚生活みたいなものだけど、あいつが結婚してたのは自分自身だけだった」と手厳しい。

エディ・スマイルは必ずしも無邪気なものではなかったが、周囲も笑顔にしてしまうマジックを持っていた。

ヴァン・ヘイレン兄弟の凄いところは、それだけボロカスに批判していたデイヴとあっさり和解する器の大きさだ。2013年6月には東京ドーム公演を含むジャパン・ツアーが行われており、その模様はアルバム『ライヴ・イン・ジャパン』(2015)で聴くことが出来る。

デイヴ復帰に伴い、兄弟の毒舌の矛先は元メンバーのサミー・ヘイガーとベーシストのマイケル・アンソニーに向けられた。残念ながらその時期、彼らにインタビューする機会はなかったが、楽しそうに悪口大会を繰り広げるエディのスマイルをもう一度見たかった。

(晩年のエディは彼らとも和解していたそうで、そんなオープンなところも魅力だった)

天才ロック・ギタリストであり、極上のスマイルの持ち主、そしてカラッと楽しげな毒舌家。そのすべてがひとつになったのが、エディ・ヴァン・ヘイレンだった。

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ヤマハ音楽ライター記事

『ヴァン・ヘイレンが2013年6月に来日。世紀のロックンロール・パーティーは”血統”を祝う祭宴でもある』

https://www.yamaha.com/ja/journalist/news.php?no=14399

『ライヴ・レポート: ヴァン・ヘイレン/東京ドーム 2013年6月21日』

https://www.yamaha.com/ja/journalist/news.php?no=14428

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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