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【インタビュー前編】2019年4月来日。ジェイク・E・リーがレッド・ドラゴン・カーテルを語る

山崎智之音楽ライター
Jake E. Lee / courtesy of M&I Company

ジェイク・E・リー率いるレッド・ドラゴン・カーテルが2019年4月、来日公演を行う。

オジー・オズボーン・バンドとバッドランズで1980年代を席巻したギター・ヒーローのジェイクだが、2013年に新バンド、レッド・ドラゴン・カーテルを結成して復活。アルバム『レッド・ドラゴン・カーテル』を発表、2014年7月と2015年9月にはジャパン・ツアーも行われた。

その後の去就が注目されてきたジェイクだが、2018年には『パティナ』を発表。今回の来日が実現することになった。

ジェイクに電話をしたのは彼の住むラスヴェガス時間の午後4時。「さっき起きて、コーヒーを飲んでいるところだよ」という彼は、“夜行性”なのだという。

「昔からなんだ。12歳ぐらいの頃、午前1時に寝室の窓から出て散歩したこともある。親にこっぴどく叱られて、止めたけどね」

当初はちょっと眠そうだった彼だが、徐々にその口調は熱を帯びていき、日本でのライヴや現在の音楽性、また過去の知られざる逸話などについて雄弁に語ってくれた。

ジェイクとの談話を全2回の記事として掲載。前編では現在の彼の音楽性と日本公演への抱負を語ってもらった。

<最優先なのは良い音楽を生み出すこと>

●2013年にレッド・ドラゴン・カーテルで復活してから5年以上が経ちますが、音楽シーンに戻ってきた感想を教えて下さい。

もうそんなに経つの?信じられないな!本当にあっという間だった。ステージで演奏するのはエキサイティングだったよ。日本に戻ってショーを出来たのも嬉しかった。ただ、いわゆる音楽ビジネスには相変わらず溶け込めずにいるよ。ほとんど1980年代と変わらないし、音楽より金儲けが大事な業界だからね。俺が常に最優先するのは、良い音楽を生み出すことなんだ。金儲けやパーティーには正直あまり関心がないんだよ。

●そんな状況で、あえてセカンド・アルバム『パティナ』を作ったのは何故ですか?

アルバム『PATINA』ジャケット(マーキー/発売中)
アルバム『PATINA』ジャケット(マーキー/発売中)

ベーシストのアンソニー(エスポシート)がすごく熱意を持っていたんだ。「新曲を書こうぜ!スタジオに入ろう!凄い良い曲だよ!」と、俺をプッシュしてくれた。彼がいなかったら、アルバムを作ることはなかったかも知れない。結果として良いアルバムになったし、『パティナ』を作って本当に良かったね。音楽、特にロックというのは本来、若者のものなんだ。俺自身、若い頃の方がアルバムを作る意欲に満ちていた。でも歳を取ると、腰が重くなってしまうんだ。若い頃の方がエネルギーがあるし、逆境に向かっていく闘志があるからかな。俺はもう62歳だし、体力が続かないんだ。とは言っても、俺はかなり早い段階からロックンロール・ビジネスに疲れていた。それで表舞台から身を退いたんだ。

●レッド・ドラゴン・カーテルで復帰して、世界各地をツアー、フェスへの出演、船上クルーズ・ライヴなどを行ってきましたが、同世代の仲間たちとも再会しましたか?

フェスやクルーズでは他のミュージシャンとあまり交流することがなかったんだ。フェスだとそれぞれのバンドにテントが用意されているし、そんなにバックステージを出歩かないからね。自分たちの出番のちょっと前に会場入りして、終わったらさっさと撤収する。それほどパーティーをしたいわけでもなかったし...古い仲のテスラやクイーンズライクのメンバー達とちょっと話した程度かな。あとプロレスラーのクリス・ジェリコと初めて会うことが出来たのが楽しかった。残念だけど、再会したかったミュージシャンの中には、もう会うことの出来ない人も多いんだ。ゲイリー・ムーアやレミーとは1980年代に何度か話して、また会いたかったけど、それは不可能になってしまった。幸いウォーレン・デ・マーティニとはずっと友達で、ずっと連絡を取り合っていた。彼と初めて会ったとき、彼はまだティーンエイジャー、俺は20歳そこそこだった。それからずっと友人だったし、俺が音楽をやっていなかった時期も、電話で話したりしていたよ。

●ウォーレンとは“元ラット”仲間でもありますね。

ああ、俺がラットから脱退したとき、ウォーレンを推薦したんだ。「ウォーレンを知っているだろ?彼を試してみなよ。最高のギタリストだから」ってね。LAのシーンは決して広くなかったし、誰もがお互いのことを知っていた。ラットはサンディエゴに住んでいたけどLAのシーンで活動していたから、みんな既にウォーレンのことを知っていたんだ。当時、彼は大学に行くつもりだった。「君は素晴らしいギタリストだ。今LAでは新しい流れが盛り上がっている。きっと成功するよ」と説得したよ。「俺はラットを脱退したばかりだけど、君だったらきっとピッタリはまる」ってね。「大学は来年でも再来年でも行ける。ラットでやるなら今しかない。やらないと後悔するよ!住むところがなければ、俺のアパートのソファで寝ればいいし」そういう意味で、彼の人生をおかしな方向にねじ曲げてしまったのかも知れない。それで彼はLAにやって来て、俺がラットの曲を教えた。今から考えると、彼がラットで成功を収めて本当に良かったと思う。もしパッとしなかったら、大学進学を諦めさせた俺が悪役になっていただろうからね。

Red Dragon Cartel / courtesy of M&I Company
Red Dragon Cartel / courtesy of M&I Company

<スポットライトを浴びたくてやっているのではない>

●あなたが復活したことで、世界中のファンと再会することにもなりました。彼らの前で再びプレイするのは、どんな気分でしたか?

とてもエモーショナルな気分になった。感動したよ。俺が歳を取ったのと同様に、彼らも歳を取った。ずいぶん長いあいだ留守にしてきたし、ロック・ファンは移り気だったりする。それでも大勢の人たちが俺のことを待っていてくれたんだ。正直、その理由は判らない。でも最高に嬉しかったよ。ライヴの後にファンがやって来て、少年少女時代の彼らにとって俺の音楽が重要な位置を占めていたと話してくれた。驚いたのは、1980年代や1990年代にまだ生まれてすらいなかった若いファンがライヴ会場に来たことだ。俺の音楽が彼らのハートに触れたとしたら、すごく光栄だよ。

●ステージで演奏を行うことに対する思い入れには変化がありましたか?

まったく変化はないよ。レッド・ドラゴン・カーテルの初のライヴはLAの“ウィスキー・ア・ゴーゴー”でのショーだった。ステージに上がって、大きな声援があったときは、とても光栄に感じた。正直ボロボロのライヴで、このバンドはもうダメだと思ったほどだったけどな(苦笑)。でも、それでストップしようとは考えなかった。長いあいだライヴから離れていたのに、自分がステージにいることに違和感はおぼえなかった。すごく自然に感じたんだ。「ステージが自分の居場所だ」とかそういうのではないけど、音楽をプレイするのが自分のやるべきことだという感覚があった。俺は音楽を書いて、レコーディングして、プレイするのが好きなんだ。それ以外のことは、オマケでしかない。もちろん、自分の音楽を世界中の人々が聴いてくれるのは嬉しいけど、スポットライトを浴びたくてやっているのではないし、大儲けしようとも考えていない。そこそこの生活が出来れば、それで満足だ。LAでメタルをやっていた連中の中には、音楽の呼び声に突き動かされたのではなく、注目を集めて、金儲けをして、女の子にモテたいからやっていた奴らがいた。俺はそうじゃないんだ。もちろんレッド・ドラゴン・カーテルでライヴをやるのは楽しいし、日本でプレイするのが楽しみでならないけどね!

●レッド・ドラゴン・カーテルの曲はスタジオ・ヴァージョンとライヴでどのように変化しますか?

以前ゲイリー・ムーアと話したとき、彼はスタジオ・ヴァージョンはそのままライヴで演奏することを前提にしていると言っていた。でも俺のアプローチは違っている。ライヴで演奏することは考えず、とにかくスタジオ・ヴァージョンをベストなものにするんだ。後期ビートルズだってそうだろ?スタジオとライヴは別物だと考えているんだ。同じだったら、家でレコードを聴いていればいいわけだしね。ライヴはチャレンジなんだ。突然、弦が切れてしまうこともある。しかも1本だけでなく2本、3本とね。

●前回のツアーでもそんなポリシーを貫いていましたか?

前作『レッド・ドラゴン・カーテル』の曲はライヴではかなり異なったアレンジになったんだ。あのアルバムはバンドとして作ったのではなく、幾つものピースを繋ぎ合わせた作品だった。ゲスト・ヴォーカリストも入れたりしたしね。「ウェイステッド」で歌ってくれたポール・ディアノとは会ったことすらなかったんだ。彼に参加してもらったのは、アイアン・メイデンの最初の2枚のアルバムが最高だったからだ。ただヘヴィ・メタルなだけでなく、パンクのアティテュードもあって好きだった。ポールはイギリス、俺はラスヴェガスにいたから、音源をネットでやり取りしたんだ。未だに会ったことがないんだよ。そうやって、何人もゲスト・シンガーを迎えて作ったアルバムだったから、ライヴでは半分ぐらいの曲しかプレイ出来なかった。マリア・ブリンクが歌った「ビッグ・マウス」をダレン(スミス、ヴォーカル)が歌うのは変だろ?それで最初のツアーでは、過去の曲を引っ張り出すことになった。俺にとって初めての経験だったよ。例えば、バッドランズで「月に吠える」をやったことはなかったしね。

Red Dragon Cartel / courtesy of M&I Company
Red Dragon Cartel / courtesy of M&I Company

<オジー時代の音楽を今の自分と関連付けることは難しい>

●『パティナ』 は前作以上にブルージーなもので、バッドランズを思わせる要素もありますが、ライヴでバッドランズの曲はプレイしますか?

2、3曲はやるんじゃないかな。前回のツアーとは別の曲をプレイするようにするよ。大勢のファンが「ハイ・ワイヤー」「ドリームズ・イン・ザ・ダーク」を聴きたいのは判るけど、どうなるかな... とにかくリハーサルをしてみて、それでセットリストを組む予定だ。

●前回のツアーでオジー・オズボーンの「月に吠える」「罪と罰」などを久しぶりにプレイした感想を教えて下さい。

最初はけっこう楽しかった。オジーの曲は30年間プレイしなかったし、新鮮なフィーリングだったよ。ただ、そんな気持ちは急速に冷めていった。今回のジャパン・ツアーが楽しみなのは、自分の過去に頼らずとも現在のレパートリーでセットリストを組めることが理由のひとつだ。『パティナ』全曲をやっても良いかも知れない。ファースト・アルバムからの曲ももちろんプレイするし、エキサイティングなショーになるよ。

●今回のツアーではオジーとやった曲はプレイしますか?

常に自分自身を新鮮な状態に保たなければならないからね。前回のツアーでプレイして、最初は楽しかったけど、だんだん昔の自分のパロディになった気がしたんだ。曲を書いたのは俺でも。オジーと一緒に2万人の前でプレイするのと、オジー不在で数百人のクラブでプレイするのでは、まったく違う。もう大昔に書いた曲だし、今の自分と関連付けることが難しいんだ。前回のツアーでプレイしたし、今回はいいんじゃないか?...と思う。「月に吠える」を楽しみにしてチケットを買ったのに、プレイしなかったらガッカリするだろ?だから今のうちに言っておくよ。これから永遠にやらない、とは言わないけど、今はその気分ではないね。

●前回インタビューをしたとき、あなたはオジー時代の珍しい曲をプレイする可能性について触れていました。具体的には「スロー・ダウン」を挙げていましたが...。

オジー時代の曲は1曲だけやるかも知れない。俺がオジーのバンドにいた時期にも一度もライヴでプレイしていない曲だ。ただ、リハーサルしてみてダメだったらボツにするから、曲名は伏せておくよ。オジーとは2枚アルバムを作ったけど、「フール・ライク・ユー」とか、当時もライヴでプレイしなかった曲が幾つもあるんだ。オジーのライヴでは、必ずプレイする曲が多すぎた。ブラック・サバス時代の「アイアン・マン」と「パラノイド」とか、「クレイジー・トレイン」とか...当時、オジーに「もっと別の曲もやろうよ。ブラック・サバスのレア曲とか」と提案したこともあったよ。すぐに却下されたけどね!

●オジーのソロよりもブラック・サバスの曲にこだわりがあった?

それはもちろん、サバスを聴いて育った世代だからね。オジーのバンドに加入した直後、サバスの曲だけをプレイするツアーをやったんだ。ライヴ・アルバム『悪魔の囁き』(1982)ではブラッド・ギルスがギターを弾いているけど、俺が加入してからもライヴをやっている。「ウォー・ピッグス」「フェアリーズ・ウェアー・ブーツ」などをオジーが歌って俺がギターを弾くなんて、夢のようだったよ。

●ちなみにオジーは何故、全曲ブラック・サバス・ナンバーのライヴをやったのですか?

オジーが言っていたよ。サバスがライヴ・アルバム(『ライヴ・イーヴル』)を出すから、嫌がらせで自分も全曲サバスのライヴ・アルバムを出すってね。「あいつらが出すなら、俺も出す」と言っていたよ(苦笑)。当時オジーが契約していた『ジェット・レコーズ』との契約消化でアルバムを出す義務があって、パブリッシング印税で彼らを儲けさせないために自分のソロの曲をやらなかった...といういきさつもあったと思う。いかにもオジーとシャロン(オズボーン。オジーの奥方でマネージャー)らしいよな。

後編では自らのスタイルを形作ったさまざまな音楽ジャンル 、そして悪名高い“あの”幻のミュージシャンについて、ジェイクがじっくりと語る。

【JAKE E LEE'S RED DRAGON CARTEL PATINA Japan Tour 2019】

- 4月17日(水)渋谷クラブクアトロ

開場18:00/開演19:00

- 4月18日(木)梅田クラブクアトロ

開場18:00/開演19:00

- 4月19日(金)名古屋クラブクアトロ

開場18:00/開演19:00

各公演でミート&グリートも開催。

受付開始:各会場共15:30 スタート:15:45

内容:リハーサル鑑賞、ミート&グリート

特典:記念ラミネートパス・プレゼント

詳細はジャパン・ツアー公式ウェブサイトで。

http://www.mandicompany.co.jp/RedDragonCartel.html

記念ラミネートパス図案 / courtesy of M&I Company
記念ラミネートパス図案 / courtesy of M&I Company

2014年のインタビュー記事

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20140707-00037167/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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