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【インタビュー前編】タイガース・オブ・パンタン、36年ぶりの来日。ロブ・ウィアーが語る

山崎智之音楽ライター
Robb Weir / Pic by Takumi Nakajima

2018年11月、『JAPANESE ASSAULT FEST 18』でタイガース・オブ・パンタンが日本再上陸を果たした。

なんと36年ぶりとなる来日ライヴだが、2日目のヘッドライナーとして出演した彼らは新旧取り混ぜたステージで観衆を圧倒。「ヘルバウンド」「レイズド・オン・ロック」「ラヴ・ポーションNo.9」などのタイガース・クラシックスはファンを汗と涙まみれにさせた。

かつてイギリスを席巻したニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(NWOBHM)勃発から、2019年で40周年という節目を迎える。その代表バンドのひとつだったタイガースのオリジナル・メンバーでギタリストのロブ・ウィアーにインタビューを行った。全2回となるインタビュー記事の前編で、ロブはバンドの近況と、初期の思い出を語ってくれた。

<タイガースのアルバムは階段。1段ずつ上がっていく>

●36年ぶりの来日公演が実現したことはファンとして嬉しいです!

どうも有り難う。バンドは今、すごく良い状態にあるんだ。歴代最強のラインアップのひとつだと確信しているよ。みんな歳を取ったし、ミュージシャンとして成長した。音楽やライヴ・パフォーマンスに対する知識も増したんだ。36年前はまだ若かったし、みんな自分自身が何者かであることを証明しようとしていた。余裕がなかったんだ。だからバンド内がギスギスすることもあった。今ではコミュニケーションが取れているし、全員がハッピーだよ。

●みんな歳を取ったといっても、36年前から残っているメンバーはあなた1人ですよね。

うん、でも今のラインアップともけっこう長い付き合いなんだよ。ドラマーのクレイグ・エリスとはもう18年間一緒にやってきたし、シンガーのジャコポ・メイレとも14年やってきた。ミッキー・クリスタルは5年一緒にやっているけど、素晴らしいギタリストだ。彼はマルコ・メンドーサのソロ・バンドでもやっているんだ。この顔ぶれで、2019年1月からニュー・アルバムのレコーディングに入る。ニューカッスルのスタジオで、3週間をかけて録音する予定だ。レコーディングが終わったらトラックをデンマークのソレン・アンダーセンに送って、ミックスしてもらう。それを今度はカナダにいるハリー・ヘスに送って、マスタリングしてもらうんだ。

●ソレンはグレン・ヒューズやマイク・トランプと活動、ハリーはハーレム・スキャレムの一員と、タイガースとは若干世代が異なるミュージシャン達ですが、どのようにして交流が始まったのですか?

彼らのことは2年半ぐらい前から知っている。デンマークの『ターゲット・レコーズ』経由で紹介してもらったんだ。前作『タイガース・オブ・パンタン』(2016)は当初、自分たちでミックスするつもりだった。アルバムをニューカッスルの“ブラスト・レコーディング”スタジオでレコーディングしたんだ。エンジニアは元デュラン・デュランのアンディ・テイラーとよく一緒にやっているマーク・ブラウトンという人だった。彼はニューカッスルと、アンディのいるイビサ島を拠点にしているんだ。彼は優れたエンジニアだけど、一緒にミックスしていて、サウンドもフィールも、自分の求めるものが得られないと感じた。それでマネージメントと話し合って、ソレン・アンダーセンに任せてみたらどうか、ということになったんだ。彼はスタジオ・エンジニアで、グレン・ヒューズのバンドでギターを弾いている。タイガースと同じ『ターゲット・レコーズ』と契約していた縁もあって、コンタクトしてみた。最初に「ブラッド・レッド・スカイ」をミックスしてもらったけど、それがもう完璧だった。それで『タイガース・オブ・パンタン』全編をミックスしてもらったんだ。

●次のアルバムの音楽性はどのようなものになりますか?

タイガースのファンだったら納得のハード・ロックだよ。俺たちの音楽性は、実は初期からあまり変わらないんだ。いつだってタイガースの音楽をやってきた。新作でも同じスタイルだけど、幾つかサプライズもあるかも知れない。タイガースのアルバムは階段のようなものなんだ。1段ずつ上がっていく。下っていくつもりはない。ビッグなアルバムだし、楽しみにして欲しいね。

Tygers Of Pan Tang / Pic by Takumi Nakajima
Tygers Of Pan Tang / Pic by Takumi Nakajima

<パンタンの谷を護る虎たち>

●36年前、1982年9月の来日公演についてどんなことを覚えていますか?

すごく盛り上がったのを覚えているよ。お客さんもワイルドだったし、バンドもすごくハイになった。4,000人規模の会場がソールドアウトになったんだ(注:これはロブの勘違いで、東京公演は渋谷公会堂×1回、中野サンプラザ×2回というものだった。それでもホール規模の会場3回というのは凄い!)。日本の文化にも魅了された。誰もが礼儀正しいし、路上での暴力もない。たくさん自動販売機があるけど、破壊しようなんて馬鹿な奴はいない。イギリスだったらすぐに壊されているだろうね。秩序のある素晴らしい国だよ。東京で記憶に残っているのは、町を歩いていたら大きな水槽があって、泳いでいる魚を調理してもらえるというレストランがあったことだ。あと地下鉄の職員が白い手袋とスーツを着こなしていて、とてもスマートだった。それから36年が経って、“JAPANESE ASSAULT FEST”はソールドアウトになった。日本のファンが俺たちのことを忘れていないことが判って、本当に嬉しかったよ。

●1982年の日本公演ではオープニング・ミュージックにジェルジ・リゲティの「レクイエム」が使われていましたが、それは誰のアイディアでしたか?

えーと、確か俺のアイディアだったと思う。俺はSF映画の大ファンだから、『2001年宇宙の旅』で使われていた曲を流用したんだ。

●タイガース・オブ・パンタンというバンド名も、マイケル・ムアコックのSF小説から取ったものだそうですね?

その通り、ムアコックの小説『Stormbringer』が元ネタだよ。おそらくディープ・パープルのメンバーにもムアコックのファンがいたんだろうな(笑)。この物語で、王国に入るにはパンタンの谷を越えなければならないんだ。そして、その谷は虎に守られている。そこから名前を得たんだよ。このバンド名を考えたのは、結成当時のベーシストだったロッキーだった。 1977年、彼の実家で、結成したばかりのバンドの名前を考えていたんだ。そこでSFやファンタジー小説のファンだった彼が“タイガース・オブ・パンタン”はどうだ?と言ってきたんだ。あまりにクレイジーで、一度耳にしたら決して忘れないと思った。

●他にバンド名の候補はありましたか?

もう40年以上前の話で、具体的な候補は忘れてしまったけど、幾つかあったよ。あと、絶対に“〜er”で終わる名前は避けようと話していた。そのちょっと前、イギリスの音楽紙“サウンズ”の記事で、「〜erで終わる名前のバンドはコケる」と書いてあったんだ。だから俺たちもバンド名に〜erを付けるのは止めようと話していた。

●あなたは1980年代中盤にタイガー・タイガーというバンドを結成しましたが、やはり長続きしませんでしたね。

な、言っただろ?〜erが2つも付くバンド名だったから、すぐに解散したよ(苦笑)。

●タイガー・タイガーというバンド名はアルフレッド・ベスターのSF小説『虎よ、虎よ』から命名したもの?

いや、ウィリアム・ブレイクの詩「The Tyger」の“Tyger Tyger, burning bright...”という最初の1節から名付けたんだ。ベスターもブレイクからタイトルを取ったんじゃないかな?

●マイケル・ムアコックはホークウィンドに歌詞やナレーションで参加するなどロック・ミュージックと深く関わっていましたが、彼と面識はありましたか?

いや、直接会ったことはなかった。ホークウィンドもライヴを見たことはあったけど、接点はなかったよ。レミーとはモーターヘッド結成後に知り合ったけどね。彼は頭が良くてユーモアのある人だった。

Tygers Of Pan Tang / Pic by Takumi Nakajima
Tygers Of Pan Tang / Pic by Takumi Nakajima

<ジョン・サイクスは凄いギタリストだった>

●タイガースの初期3枚のアルバム『ワイルド・キャット』(1980)『スペルバウンド』(1981)『クレイジー・ナイツ』(1981)の作曲クレジットはバンド全員となっていますが、曲作りはどのようにして行っていたのですか?

『ワイルド・キャット』の曲はほとんど俺が書いたものだった。歌詞はロッキーとジェス(コックス/ヴォーカル)が主に書いて、俺も少しアイディアを出した。『スペルバウンド』と『クレイジー・ナイツ』では俺とジョン・サイクスが50%ずつ曲を書いて、ジョン・デヴァリルが歌詞とヴォーカル・メロディを書いていたよ。

●ジョン・サイクスがバンドに加入したときのことを教えて下さい。

1980年の春から夏、『ワイルド・キャット』をレコーディングしている頃から、ギタリストをもう1人加えることを考えていたんだ。その前から地元ニューカッスル周辺で、いろんなバンドの前座を務めてきた。サクソン、スコーピオンズ、デフ・レパード、アイアン・メイデン、ホワイトスネイク...いずれもツイン・ギターを効果的に使ったバンドだった。彼らを見て、ギタリストが2人いればライヴのサウンドがビッグになると思ったんだ。そのとき頭に浮かんだのが、ブラックプールのストリートファイターというバンドにいたジョン・サイクスだった。彼は建築現場でレンガ職人をしながらバンドをやっていた。ベーシストは後にFMを結成するマーヴ・ゴールズワージーだったよ。俺はニューカッスルのメイフェアでストリートファイターのライヴを見たことがあったから、ロンドンの“タワー・スタジオ”でオーディションをやった。彼は凄いギタリストだった。そうしてタイガースは5人編成になったんだ。それから1980年の暮れにジェスが去って、パージャン・リスクというバンドで歌っていたジョン・デヴァリルが加入したんだ。

●サイクスとデヴァリル、2人のジョンが加入したことで、タイガースはどのように変わりましたか?

当時は気付かなかったけど、後になって『ワイルド・キャット』にはパンクからの影響があったと気付いた。その後、2人のジョンが曲作りに加わって、よりメロディアスになったよ。デヴァリルが素晴らしいヴォイスと声域の幅広さを持っていたことも、メロディを強化することになった。当時2人のジョンはホイットリー・ベイでアパートをシェアしていたんだ。念のために言うけど、彼らが付き合っていたわけじゃないよ(笑)。彼らは共作することが多く、俺は1人で書くことが多かった。そんなアイディアをリハーサルに持ち寄って、全員で発展させていったのが2枚目のアルバム『スペルバウンド』だった。とにかくアイディアが溢れんばかりだったし、新しいラインアップで作品を早めに出したかったから、『スペルバウンド』は比較的すぐに完成したんだ。全英チャートでもかなり良いところに行ったし、ライヴの会場も大きくなって、すべてが順調な時期だったよ。

●2019年1月に発売となるライヴ・アルバム『ライヴ1981〜ヘルバウンド・スペルバウンド』はどんな性質の作品ですか?

『ライヴ1981〜ヘルバウンド・スペルバウンド』ジャケット(ワードレコーズ/2019年1月18日発売)
『ライヴ1981〜ヘルバウンド・スペルバウンド』ジャケット(ワードレコーズ/2019年1月18日発売)

『スペルバウンド』を発表した後のイギリス・ツアーで、“ノッティンガム・ロック・シティ”でのショー(1981年4月23日)を録音したアルバムだよ。レコード会社の『MCA』が『スペルバウンド』のプロデューサーだったクリス・サンガリーデスを雇って、ローリング・ストーン・モバイル・スタジオを使ってレコーディングしたんだ。普通はライヴ・アルバムをレコーディングするなら、最終公演に近いショーを録るんだけど、ツアーの前半(2公演目)だった。結局その音源は使われず、テープはずっと我が家のベッドの下にあったんだ。ずっと後になって公式リリースしたけど(『ライヴ・アット・ノッティンガム・ロック・シティ』/2001年)、今回はリマスタリングして音質が格段にアップしている。

●まだ『スペルバウンド』を出したばかりの時期、早くもライヴ・アルバムをレコーディングしたのは何故ですか?

『MCA』はとにかく新しい音源を求めてきたんだ。『スペルバウンド』ツアーの後、A&R担当から「次のアルバムはまだ?」と言われたよ。こいつは頭がおかしいと思った。まだアルバムが発売されて2、3ヶ月ぐらいしか経っていないのにね。でもまあ、とにかく新曲を書くことにしたんだ。

●3作目のアルバム『クレイジー・ナイツ』の制作はどのようなものでしたか?

前作が成功したことで、プロデューサーには大物のデニス・マッケイを起用することになった。デヴィッド・ボウイやトミー・ボーリン、ジューダス・プリーストなどを手がけてきた人だよ。アルバム作りには5箇所のスタジオを使ったけど、どうしてもうまく行かなかった。しかもデニスは俺たちのアルバムと並行してスタンリー・クラークのアルバムもプロデュースしていて、イギリスとアメリカを行ったり来たりしていた。それで片手間の作業になってしまっていたんだ。タイガースのアルバムに対して100%全力投球していたようには見えなかった。『クレイジー・ナイツ』の曲はすごく気に入っているんだ。ただ、プロダクションが良くなかった。テスト・プレス盤を受け取って、ドラマーのブライアンの家で聴いたのを覚えている。30秒後ぐらいして、「どうしてこうなったんだ...」とつぶやいた。ドラムスもギターも平坦になってしまっていた。正直ガッカリしたね。『スペルバウンド』は1981年の4月、『クレイジー・ナイツ』は11月に発売されたんだ。もっと時間をかけて、良いミックスにして出すべきだった。数年前、オリジナルの30周年を記念して『ワイルド・キャット』『スペルバウンド』『クレイジー・ナイツ』からの曲を新録リメイクしたEPを作ったんだ。『The Crazy Nights Sessions』(2014)はサウンドがずっと良くなっているよ。

●4作目のアルバム『危険なパラダイス The Cage』であなたの作曲クレジットが少なかったのは、どんな変化があったのでしょうか?

ああ、俺がクレジットされたのは「ザ・ケイジ」だけだった。短いインストゥルメンタルで、実質1曲も収録されなかったんだ。バンドが『MCA』を離れることになった原因が『危険なパラダイス』だった。俺たちはアルバム用の曲作りを始めていた。そんなとき『MCA』に呼び出されて、「これらの曲をレコーディングして欲しい」と、外部ソングライターの曲を提示されたんだ。タイガースをデフ・レパードみたいにアメリカ市場でブレイクさせたいって言われて、 首を傾げながら彼らの言うとおりにした。俺たちもまだ若かったし、メジャーのレコード会社と契約してまだ2年しか経っていなかったからね。彼らが最初に指定してきたのはサーチャーズの「ラヴ・ポーションNo.9」だった。1950年代のロックンロール曲をいきなり突きつけられて、ジョン・サイクスと俺は顔を見合わせたよ。「これをどうしろって言うんだ」ってね。それで俺がタイガース・スタイルのイントロを書いて、ジョンがリード・ギターのラインを書いた。「ラヴ・ポーションNo.9」は俺たちにとってヒット・シングルとなったけど(全英チャート45位)、俺の心にはわだかまりを残すことになった。それでもニュー・アルバムの制作に入ろうとしていたとき、サイクスが脱退することになったんだ。

まだまだ続くタイガース激動の足跡、そしてロブの語るNWOBHM総論は後編で!

Special thanks to:

Spiritual Beast

and Tom Noble.

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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