明智光秀ゆかりの地へ(その1) 光秀が居城にした亀岡を歩く
まずはJR亀岡駅から亀山城跡へ、内堀前には昨年完成した光秀像があります。
亀山城は織田信長の有能な家臣であった明智光秀によって1571年頃に築城され、光秀の丹波経営の拠点となりました。しかし、山崎の戦いで光秀が敗れると、豊臣秀吉の身内や家来が入り、秀吉亡き後、徳川家康もこちらを重視し、天下普請によって岡部長盛が、築城の名手である藤堂高虎の縄張りのもと近世城郭として大修築し、本丸には5重の層塔型天守が上がりました。その後、明治になって大本教の所有となりますが、戦時中の弾圧を経て戦後は再び大本教が修築に取り組み、現在は森林の中、石垣と城の土台が残っています。見学の際は、大本本部の総合受付に申し出ると入城が可能です(現在見学休止中)。今年3月より有料となりましたが、城址の石垣にも上がれるようになり、光秀お手植えとされる大銀杏も間近で見ることができます。
その後、古世(こせ)親水公園へ。こちらはかつての亀山城の外堀跡にあたり、市民の憩いの公園として整備されました。清らかな水が現在も流れており、野菜の洗い場なども残っています。
さらに寺院エリアを進み、聖隣寺(せいりんじ)へ。こちらは臨済宗の夢窓疎石の流れをくむ禅寺で、境内には羽柴秀勝(信長の四男で秀吉の養子となる)が亀山城主となった際に、本能寺で亡くなった父のために供養塔を建てたとされます。寺院は江戸中期には移転をして現在地に再建されましたが、周辺は現在も寺院街を形成しており、江戸時代の亀山城の防御の一端を見ることもできます。(寺院内は非公開)
このエリアの京町通りや呉服町通りは、毎年10月23日から25日に行われる亀岡祭(今年は中止)で豪華絢爛な鉾がずらりと建ち並びます。風情ある旧家の趣も感じられて、かつての城下町の面影を味わうことができます。
そのエリアの端に位置する形原神社は、寛延元(1748)年に丹波篠山から亀山藩に入封した形原松平信岑(のぶみね)を主祭神とし、歴代藩侯を祀る社として明治13(1880)年に旧藩主を偲んで創祀されました。まさにこの場所が亀山城の大手門跡になることから、城の入り口になった場所になります。
最後は亀岡駅に戻って反対側のサンガスタジアム by KYOCERAへ。こちらは1階特設会場が京都大河ドラマ館となっており、館内には、大河ドラマ「麒麟がくる」の衣装や小道具の展示、メイキング映像の上映、ストーリーやキャストの紹介、パネル展示などがあり、大河ドラマの世界観を体験できます。期間は来年の1月11日(月)まで、この期間内にぜひ光秀ゆかりの亀岡へ足を運んでみてくださいね。