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【立入勝義×矢萩邦彦】対談1「発達障害と教育(1)」~理想の学習環境を考える

矢萩邦彦アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授
左:立入勝義 右:矢萩邦彦(知窓学舎横浜本校にて)

教育業界でも「発達障害」という言葉を聞く機会が増えてきた。といっても、まだまだ専門的にケアに取り組んでいる学校関係者以外では、ホームスクールなどに興味を持つ保護者からの発信がほとんどだ。

潜在的には人口の10%弱がADHDを抱えているという話もあるが、まだまだ誤解や偏見も多く、トラブルに巻き込まれたり、窮屈な思いをしている人も少なくない。特に教育業界においては、たとえ診断を受けてもどのように対応したら良いのか困惑する現場教師や保護者も多く、対策が取れないまま不登校にも繋がるケースも多い。

今回は、ADHD診断を受けることで「自分を責めることなく実力を発揮」できるようになり、世界銀行の広報担当官やウォルト・デイズニーのデジタル・プロデューサーといったキャリアを歩む『ADHDでよかった』の著者、立入勝義氏と「発達障害と教育」というテーマで考えてみたい。

●発達障害と探究型教育の相性

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矢萩:こんにちは。今日は、「発達障害と教育」というテーマで、立入さんご自身の体験や知見から色々とお話を伺えればと思います。よろしくお願いします。早速ですが、「探究型」というキーワードで活動していると発達障害のお子さんを持つ保護者の方と知り合う機会が多いんですね。立入さんのご著書にも触れられていますが、とても才能に溢れているのに、コミュニケーションがうまく行かない生徒や、既存の学校の制度に合わない生徒が目立ちます。その点について、取り立ててどのような性質が起因していると思われますか?

立入:よろしくお願いします。そうですね、まず好奇心が強くて自尊心も強い。衝動的でもある。それらから来るものだと思いますが、権威に対する反抗心も強いですね。認めて欲しいという思いと、自分は不出来であるという思いを行ったり来たりする中で、どうしても割り切れず意地になるところがあるのでしょうか。普通は諦めてしまえるようなことが、諦めきれない。

矢萩:なるほど。「発達障害」と一括りにはできない個人差があるので難しいところだと思いますが、どんな教育の方法が向いているのか模索している保護者の方が沢山います。ホームスクールという選択をしたくてもできないという声も聞きます。具体的に学生時代のエピソードなどで今の自分に影響を与えたことなど在りますか?

立入:自分が知る限り、ADHDの人って博学の人が多いですね。頭の回転が速く、一を聞いて十を知る型の人。ただ、アウトプットという観点から言えば、論理力よりも暗記力の方が強い。本人の中では筋が通っているのだけど、飛躍が大きいので、まわりの人から見れば突飛に見える可能性があります。あとは、好奇心が旺盛なので、センター試験対策のような勉強とは外れた勉強の仕方をしてしまいがちですね。

矢萩:好奇心が旺盛で衝動的だと、どんどん外れて行ってしまう可能性がありますね。そういう意味では教科書通りに勉強するよりも、探究型のような学び方とは相性が良いですね。

立入:探究型との相性は良いと思います。 養老孟司先生とかそうですよね、明らかに探究的。(笑)そういう意味では、自分も学者に向いているとおもます。あと弁護士にもなりたかった。

矢萩:養老先生といえば昆虫ですよね(笑) 立入さんはどんな探究体験がありますか?

立入:自分は雲が好きなんですよ。 はじめは興味なかったんですけど 空に雲ができる過程を勉強したときに、水蒸気と気圧の関係でできることを知ったわけです。 で、過程を知ってから雲を見たときに「なぜ、あの形になっているのか」を理解できる。 「あ、今日風が強いんだな」「穏やかなんだな」とか。気圧の配置とかも分かる。 それを見せてくれている雲がいきなり、すごく幻想的に見えたっていうのがあって。昆虫好きの人だとかも そういうのなんじゃないですかね。学ぶ過程で何らかの法則を見出したときに、自分の中でなにかが起きた。

●大人の影響をダイレクトに受ける

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矢萩:教科書にない相関性のようなものを発見するのは楽しいですよね。でも教科書にないテーマやプロセスに興味が行ってしまうとなかなか理解されないですよね。立入さんの場合、周囲の大人の反応や影響などどうでしたか?

立入:まわりからは認められない場合が多いわけじゃないですか。 だけど、その才能を見出してくれるというか、「着眼点がすごい」とか褒め上手な先生はすごく自尊心をくすぐってくれていいですね。自分の場合は、賢い先生よりは、人間味のある先生、熱い先生に惹かれました。発達障害の子どもって単純なんです。 人生の話をしてくれるとか、そういうのがよかったですね。 逆に、一番合わなかったのは物理の先生で、まず計算をよく間違えるんですよ。簡単な筆算を間違えるから一切信頼できなくなったんですね。それでしばらくのあいだ物理自体がものすごい嫌いになりましたね。高校時代一番苦手な科目になりました。

矢萩:先生の影響はもの凄くありますよね。僕もよくどんな塾や学校が良いかと相談されるのですが、結局担当する先生次第なんですよね。先生に関しては「一に相性、二に実力、三に経験」だと考えています。

立入:先生との相性っていうのも一つだと思う。興味がなくなると急にやる気がなくなる。自分を持ち上げてくれるとか、興味を引きつけてくれる先生だといいんだけど、そうじゃないとすごい冷めちゃう。特徴があるかもしれないですね。特に発達障害の場合、変わった生徒が多いじゃないですか。だから、多様性を認めない先生、お前めんどくさい的な先生は無理ですね。決め打ちが多い先生とか権威的に振る舞われても反発したくなる。先生がいかに寛容なのかも重要かもしれないですね。

矢萩:僕の場合、中高時代「英数クラス」というのがあったんですよ。私立の進学校だとよくあるのですが、英数ができる生徒が優遇されるようなところがあるんですね。で、その対極にあったのが「私立文系クラス」(笑)そういうシステム自体に反発して、英語と数学が嫌いになったりしましたね。物理は今でもダメですか?

立入:それが自分の場合、アメリカの大学に行って、面白い先生に出会ったんです。その先生は、色々な事象を数学を使わずに物理で説明するんです。そうしたら、急にまわりの生活と物理の間に接点ができた。その授業でAをとってすごい自信ができた。 先生によって嫌いになって、先生によって戻ってきた。抽象的なことをやっていても、現実世界でなぜこれが必要なのかを常に戻してくれる先生だったのが良かった。単純に定理だから、とか、論理だからとかフレームにしていく思考の先生は合わなかったですね。

矢萩:吉田松陰も松下村塾での講義では、必ず現実的な問題、時事問題や生活の話題に結びつけていたと言いますね。そういう感覚って専門的になると忘れちゃうんですよね。養老先生も、学生を寝かせたければ話の抽象度を上げればいいと仰ってました。(笑)興味を持ってもらうには、如何に現実的で、リアルに想像できるように梯子をかけてあげるかが大事ですよね。

●区別をすることの意味

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立入:興味を見つけてあげること本当に大事です。そのためには区別してあげることも大事なんです。「この人は違うんだ」と認識してあげて、特性に応じた支援してあげることですね。その中で、興味をいかに持たせてあげるか、良さや強みを活用できる道筋をつくってあげるかっていうのが大事ですね。まあ、学校教育だと画一的にしないとだめなんで難しいと思うんですけど、 塾や個別教室だとそういうことができるんじゃないかって気がしますね 。

矢萩:区別するにためには診断が必要だと思いますが、保護者が認めていなくても複数の担当教諭が発達障害であろうという推測をしている生徒数のようなデータも存在しますよね。その辺について現場ではとても神経質になっているか、逆に無頓着すぎるといった二極化を感じます。その点に関して、どのような方針が良いと考えますか?

立入:診断をすることは、専門家がするべきだと思いますね。だけど明らかにそうなのであれば、臨床的に発達障害の子ども向けアプローチをした方が適切な場合もあるとは思います。ただ、自己診断で先に進むべきかというのはやはりセンシティブですね。

矢萩:僕自身は障害と診断すること自体の是非は、その子によると思っているんですね。診断されて楽になる子もいれば、ショックを受けてしまう子もいると思います。仰るとおり診断自体は専門家がするべきだと思いますが、一方で1人1人の個性をしっかりと見つめる教育者の目と、臨機応変で適切な対応ができるのであれば、少なくとも教育の現場においては、そういう診断がなくても問題はないというか、なんとかなることは多いと思うんですよね。もちろんみんな一緒に扱うのではなく、区別をするという意味ですが、発達障害であるかどうかだけでなく、全員の個性を知るという意味です。僕が実際に大人数クラスの中で教えた発達障害の生徒を思い出してみると、衝動的に怒り出してしまうことがよくありました。しかし、良く状況を観察してみると、決まった生徒の言動が彼を怒らせていることが多いんですね。とするとその生徒がなぜ怒らせるような言動を取るのか、性格や性質を知ろうとすることで解決策が出て来たりします。1人1人の個性に合わせられるかどうかは、単純にクラスの人数や関わる大人の数とモチベーションにかかっている気がします。

立入:そうですね。教育現場にいない自分ができることは、例えば本を書いたり、記事をSNSとかでシェアしてもらったり、もうちょっとカミングアウトしやすい世の中にすることで、自分がそうでも大丈夫だっていう認知ができる環境を広げることなので…… いざ教育の現場ってなると難しいですね。例えば発達障害のセミナーを定期的に開催するとか。

矢萩:知ってもらうための活動はまだまだ足りませんね。でもだいぶ発達障害という言葉を聞く頻度は増してきたので、引き続き地道に発信していくことが必要だと感じます。

(第2回に続く)

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来る7月8日(土)立入勝義氏が登壇するイベント、注意欠陥性多動性障害(ADHD)知識啓発講演『可能性を未来へ』(主催:NPO法人Pista 10:00〜13:00 目黒区中小企業ホールにて)が開催される。青山学院大学教育人間科学部教授で小児精神科医の古荘純一氏による講演「発達障害の最新の知見」に加え、立入氏を交えて治療する側とされる側が対談をするという試みだ。いまや小中学生の15人に1人は発達障害だとするデータもある。このようなフラットでオープンな機会が増えることで、より多くの生徒に居場所ができることを願う。

→NPO法人Pista

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アルスコンビネーター/知窓学舎塾長/多摩大学大学院客員教授

1995年より教育・アート・ジャーナリズムの現場でパラレルキャリア×プレイングマネージャとしてのキャリアを積み、1つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究するアルスコンビネーター。2万人を超える直接指導経験を活かし「受験×探究」をコンセプトにした学習塾『知窓学舎』を運営。主宰する『教養の未来研究所』では企業や学校と連携し、これからの時代を豊かに生きるための「リベラルアーツ」と「日常と非日常の再編集」をテーマに、住まい・学校職場環境・サードプレイス・旅のトータルデザインに取り組んでいる。近著『正解のない教室』(朝日新聞出版)◆ご依頼はこちらまで:yahagi@aftermode.com

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