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【能登半島地震】「こうてくだー。ぶりと かにと たこと いか」 絵本『あさいち』でよみがえる輪島朝市

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
絵本『あさいち』(絵:大石可久也、語り:輪島・朝市の人びと、福音館書店)

 石川県の「輪島朝市」を描いた絵本『あさいち』(絵:大石可久也、語り:輪島・朝市の人びと、福音館書店、1980年刊行)が2024年3月6日、能登半島地震の被災地復興を願って復刊された。活発な商いの様子や楽しいおしゃべりは44年を経ても色あせず、いきいきとして「そこ」にある。復刊を機に版元には復興を願う声が続々と寄せられている。発刊時に輪島朝市を訪ねた画家・大石可久也さん(故人)と当時の編集者のエピソードや、復刊の経緯、反響を聞いた。

輪島朝市は日本三大朝市の一つ

 輪島朝市は、岐阜県の「高山朝市」、千葉県の「勝浦朝市」とともに、日本三大朝市の一つに数えられる。定休日は第2、第4水曜日と正月三が日のみで、午前8時から昼ごろまで石川県輪島市中心部の「朝市通り」に新鮮な海産物や干物、野菜、民芸品などを売る露店が並ぶ。

2019年7月に筆者が訪問した当時の「輪島朝市」。多くの露店が並ぶ
2019年7月に筆者が訪問した当時の「輪島朝市」。多くの露店が並ぶ

 出店者の多くは女性で、朝市には「こうてくだー」の呼び声が飛び交う。値札が付いていない商品は、売り手・買い手のやりとりによって価格が決まっていく。活気あふれるやりとりは朝市の醍醐味で、遠方からの客にとっては人気の観光スポットでもある。

『あさいち』では出店する女性の1人が次のように語っている。

「もう なんねん こうして すわっとるやら。ああ うれた、よかったな、で まいにちが すぎてしもうわ」

 輪島市朝市組合によると輪島朝市の発祥は平安時代とされ、神社の祭日に開いていた市が定着した。アクセサリーや洋菓子など時代の変遷に伴って商う品々は多様になったが、女性がおしゃべりしながらいきいきと働く姿は1000年近く変わらぬ風景だった。2024年1月1日、能登半島地震が起こるまでは――。

「けさ おらちの ふねで とってきた、とれたてやぞ」

 『あさいち』は、福音館書店(東京都文京区)が1980年1月1日に子ども向け月刊誌「かがくのとも」として発行した。当時の編集者・森達夫さん(すでに退職、現在77歳)が、かねてより「輪島朝市をテーマにした作品を作りたい」と1977年ごろから現地に足を運んで取材を進めていた。そういった中で、以前から北陸の海沿いの町を旅して働く人々を描いていた大石さんの存在を知り、森さんは「ぜひ絵本の制作を」と依頼した。

 絵本の表紙には「かたり=輪島・朝市の人びと」とある。作品は全て話し言葉で展開されている。森さんと大石さんは 1978年から2年間で3~5日間の取材を3回、実施した。その間、2人は、テープレコーダーを手にインタビューをして多くの人の話を聞き取り、大石さんはスケッチも重ねた。

「輪島朝市」に出店する女性たちのいきいきとした会話を描いた絵本『あさいち』
「輪島朝市」に出店する女性たちのいきいきとした会話を描いた絵本『あさいち』

 ひらがなで書かれた地元の人々の語りに違和感がないか、森さんはインタビューした人々や、当時の輪島市朝市組合の組合長の方に確認を依頼したそうだ。その土地ならではの山海の幸の呼称など、石川県以外の読者が理解しにくい語句は避けつつも、「こうてくだー」という輪島朝市でおなじみのかけ声や、「け」「ね」「やぞ」といった北陸の、とりわけ能登地方の方言の語尾を生かしている。

 作品は、夜明け前の漁港のシーンで始まる。女性が、夫や息子が捕ってきた鮮魚を水揚げする。次の見開きでは、畑で雪の下から野菜を収穫して水洗いする姿が描かれている。続いて、夜明けとともに海・山の幸をリヤカーで朝市へ運ぶ様子を、山から町と海を俯瞰する視点で捉えている。この間、ずっと女性の語りが続く。いよいよ始まった朝市の描写も、話し言葉で構成されている。

「こうてくだ、こうてくだ。ぶりと かにと たこと いか。さっきまで うみで およいどった。
けさ おらちの ふねで とってきた、とれたてやぞ」

 絵を見ながら読み進めると、朝市で扱う魚種の多さが、よく分かる。例えば、いろいろな種類のフグが書かれている。干物、海藻のバリエーションも豊かだ。軽妙なセールストークや世間話が続き、余った品を顔なじみの出店者に「たべてくだ」とおすそ分けして帰る姿で締められている。

 読みながら買い物客として露店を巡っているような気分になり、「お疲れ様」と言いたくなった。

実際に聞いた会話を書き起こす

 印象に残ったのは、飼い犬が産んだ子犬のもらい手を探す女性の語り。孫に内緒で持ってきたので「けえってきたら なくだろな」と話す。試食した客がすぐに買わず「もどり(帰り)に かうよ」と言うと「このおばば だませば ばけてでるぞー」と返すところでは笑ってしまった。

語りからは冠婚葬祭の付き合いや、子犬のもらい手を探す女性の心境が分かる(福音館書店提供)
語りからは冠婚葬祭の付き合いや、子犬のもらい手を探す女性の心境が分かる(福音館書店提供)

 福音館書店宣伝部の岡﨑健浩さんによると作中のやりとりは、実際に聞いた会話を書き起こしたものだそうだ。商店の看板や電信柱に書かれた地名も当時、目にした風景である。宣伝部・岡﨑さんは次のように話す。

「(森さんは)『お金や商品の後ろに労働がある、ということが見えにくくなっていたので、それを子どもたちに一番直截に絵解きするなら市場がぴったりだと考えて、社会科学の絵本として企画した』と話していました。輪島朝市の交易と交流を、絵と語りによってそのまま伝えることで、労働の対価として収入を得ることと、生活の営みを感じ取ってほしかったのです」(宣伝部・岡﨑さん)

 高度経済成長期に経済規模が拡大し、交通網が発達して生産者と消費者の距離が遠くても地域の特産物が届くようになった。「地産地消」という言葉が出てきたのは1980年代であり、農林水産省による「産地で消費を推進する取り組み」も1981年以降である。今、『あさいち』を読めば、「産地直送」の交通網が拡大の一途をたどった時代に、地元で新鮮な野菜や鮮魚を消費する豊かさを先回りして教えてくれた絵本であると分かる。ちなみに、森さんは現在、都内で素材にこだわった手打ち蕎麦が楽しめるカフェを土日限定で営んでいる。

1月3日の時点で復刊を望む声

 月刊誌「かがくのとも」に収録された作品『あさいち』が好評だったことから、福音館書店は1984年に書店販売用のハードカバーの絵本として第1刷を発行、1984年に第2刷、1987年に第3刷、2008年に第4刷、2009年に第5刷と版を重ねていた。ただし、このたびの復刊により一般書店で販売するのは1987年以来である。

2024年3月に復刊された絵本『あさいち』。利益は義援金として寄付する
2024年3月に復刊された絵本『あさいち』。利益は義援金として寄付する

 『あさいち』が、今回能登半島地震の被災者支援を目的に復刊されたのは、読者からの要望があったからだ。2024年1月3日の時点で福音館書店には復刊を望む声が届いていた。仕事始めの段階から「できることはないか」と社内で検討し、火災による被害が大きかった「朝市通り」を描いた『あさいち』の復刊を決定した。利益を登半島地震災害義援金として日本赤十字社に寄付する。

 聞けば福音館書店は、もともと石川県に縁があるらしい。1916年、カナダ人の宣教師によりキリスト教関係の図書を扱う書店「福音館」として金沢市で創設され、昭和初期には一般書籍を扱う書店に移行。第二次世界大戦により、この宣教師が日本を離れるために1940年、日本人経営者へ譲渡された。戦後は出版へも事業を拡大し東京に進出すると、『ぐりとぐら』『はじめてのおつかい』などの創作絵本や、『いやいやえん』『魔女の宅急便』といった創作童話など多くの児童書を刊行してきた。

1950年代、金沢市中心部にあった書店「福音館」(福音館書店提供)
1950年代、金沢市中心部にあった書店「福音館」(福音館書店提供)

読者が40年以上『あさいち』を覚えていた

 編集部の岡﨑俊基さんは森さんと一緒に仕事をする機会はなかったが、復刊を機に『あさいち』制作時の仕事ぶりを知り、絵本作りへの思いを新たにしたようだ。

 絵本を作る場合、通常は作家がストーリーを考えて文章を書き、それに合わせて画家に絵を描いてもらうことが多い。しかし、『あさいち』では大石さんと森さんは文章の作家に依頼せず、語りを集めて「朝市の人びと」をあえて“作者”と表記した。編集部・岡﨑さんは次のように話す。

「地の文が一切なく、全て現地の人のおしゃべりで表現するという企画には、編集者の並々ならぬ覚悟を感じました。朝市の様子を、そのまま描いたことが作品の力になっています。だからこそ40年以上、多くの読者が『あさいち』を覚えていてくれて、復刊に至ったのだと思います」(編集部・岡﨑さん)

大石さんは阪神・淡路大震災で被災

 ところで、画家・大石可久也(かくや)さんとは、どんな人だったのだろうか。

 大石さんが造った「アート山 大石可久也美術館」を運営するNPO法人「淡路大磯アート山を創る会」によると、大石さんは兵庫県淡路市釜口で1924年に生まれた。小学校教員として教鞭を執りながら画家活動を続け40歳を前に退職して創作に専念した。妻の鉦子(しょうこ)さんも画家である。大石さんは2018年に94歳で亡くなった。

淡路市にある「アート山 大石可久也美術館」(同美術館提供)
淡路市にある「アート山 大石可久也美術館」(同美術館提供)

在りし日の大石さん(左)。「アート山 大石可久也美術館」にて(同美術館提供)
在りし日の大石さん(左)。「アート山 大石可久也美術館」にて(同美術館提供)

 大石さんは、小学校の図画工作の授業や画塾で教える時には「面白いね」「天才やな」と教え子の長所を見つけ、「褒め上手な先生」と慕われた。海を愛し、北海道の荒波や淡路島の穏やかな水面など各地の風景を描いた。編集者の森さんと出会ったころは北陸の海や海沿いで働く人を題材としていた。これらの作品の一部は富山県立近代美術館(現在は富山県美術館)や福井県立美術館に収蔵されている。中には能登半島地震で被害を受けた富山県氷見市を描いた「氷見の海」という作品もある。

 若いころは故郷を離れていたが1988年に淡路島へ戻った。1995年の阪神・淡路大震災で自宅に置いていた作品が破損したため倉庫が必要となり、「収蔵するだけでなく鑑賞する場にしたら」と知人に勧められて「自然に調和したアート空間」として美術館を建てた。構想は1999年からスタートし、大石さん夫婦は地域の人と一緒に大阪湾を見下ろす急斜面の草刈りから始め、オブジェを築くなどして創作の喜びを共有した。

「アート山 大石可久也美術館」では4月27日「輪島あさいち展」を開催、5月19日には能登半島地震のチャリティーコンサート開催も予定している。

「東北の市場は少しずつ戻った所もあります」

 今、福音館書店には『あさいち』復刊への反響が続いている。はがきの隅々までびっしりと書かれた読者カードが何十枚も届き、ホームページにも多くの感想が書き込まれている。

「輪島朝市の活気ある声が聞こえてきます。匂いもします。おばあちゃんまた必ず来るね、という声がします。涙が出てきます」

「輪島の朝市が復活したら、いつか現代版の『あさいち』も生まれるといいなと思います」

「輪島の朝市のみなさん、今はどうされているのでしょうか。東北の市場は少しずつ、少しずつ戻った所もあります。お元気でいて下さい」

「朝市を一度は訪れたことのある皆さんにとってアルバムのような存在である絵本ではないでしょうか。復刊、本当にありがとうございます」

 復刊前、編集部では「輪島朝市の関係者は喜んでくれるだろうか。(被災前と現状を比べて)複雑な思いを抱かせてしまうかもしれない」という意見もあった。しかし、復刊してみると否定的なコメントはほとんどない。かつて森さんや大石さんの取材を受けた人からの声も伝わってきた。「昔は商品をリヤカーに積んで持ってきていたよね」などと昭和の風景を懐かしむ被災者からの声もあった。

「目をとじたらすぐ思い出せる朝市の町並、どこに誰のお店があり何を売っていたかも…それがもうありません。3ページ目のイロハ橋の風景は、はじめつらすぎて見ることができなかった。でも私ももう70歳になり、だんだん記憶もあやしくなってゆくだろうことを思うと、こうやって残して下さったことに感謝です。今度ようやく全壊した家の罹災証明の手つづきに行きます」

 少しずつ前に進もうとする被災者の心情が伝わってくる。

絵本『あさいち』の裏表紙(福音館書店提供)
絵本『あさいち』の裏表紙(福音館書店提供)

※2024年3月24日には金沢市内に避難している出店者らが金沢市金石港で「出張輪島朝市 in 金石」を開催した。5月4日にも開催される。ホームページは次の通り。

https://s-wajima-asaichi.com/

※「アート山 大石可久也美術館」のホームページは次の通り。

https://www.eonet.ne.jp/~artyama/

※クレジットに撮影・提供の記載がない写真は筆者撮影。

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「東洋経済オンライン」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

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