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視覚障害の川渕大成さんが描く「見る人の心に寄り添う」アート

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
「坂のまちアートinやつお2018」。川渕大成さん(右)と高畑宏さん(筆者撮影)

 視界は、電波状態が悪いテレビ画面のようだという。しかし、描くパステル画は彩り豊かで温かみがある。川渕大成さん(28)=富山県高岡市出身、埼玉県志木市在住=が3年ぶりで10月8日に開幕する富山市八尾町で開催されるアートイベント「坂のまちアートinやつお2022」に出展する。16歳で目が不自由になったにもかかわらず、「絵の道で大成したい」と夢を追い続ける川渕さん。二科展の準入選作を含めたパステル画と木炭画を展示する。どんな思いを絵に託してきたのか。

原因不明の難病で視界は砂嵐

 川渕さんは高校入学時、漠然と「絵の道に進み、自分の作品を多くの人に見てもらいたい」と考えて美大を志望し、将来は美術の教員になることを目標に掲げていた。1年経った高校1年生の3月、目に異変を感じた。両眼の視力低下や中心部の視野欠損が起こり、原因不明の指定難病の「レーベル病」と診断された。重度弱視、中心暗点、色覚障害、視界砂嵐症候群などの症状に見舞われた。急に視界が暗くなった当時の心境をこう語る。

晴眼者と川渕さんの見え方の違いを表した写真。左の風景が川渕さんには右のように見えている(本人提供)
晴眼者と川渕さんの見え方の違いを表した写真。左の風景が川渕さんには右のように見えている(本人提供)

「字がゆがんで見えて、片目の異変がすぐに両眼ともに広がりました。自分の目に何が起こっているのか分からず、うずくまっている状況が続きました。高校は退学せざるを得ず、若い自分にとっては社会と決別させられたような気がしました。明るい未来など全く想像できませんでした」

「指先水彩画家」高畑宏さんとの出会い

 発症から1カ月後、転機となる出会いに恵まれる。視覚障害者の高畑宏さんによる作品展を鑑賞して直接、「絵を諦めてはいけない」と励ましを受けた。当時60代後半だった高畑さんは20年前から目が不自由になったが、指先に墨を付けて絵や文字を表現する「指先水彩画家」として活躍していた。川渕さんが自身の境遇を伝えると、絵を描き続けることを勧められた。

 川渕さんは高畑さんと出会って絵画制作の原点に戻り、表現方法から検討した。まずクレヨンを選んだが、創作の幅に限界を感じた。悩んだ末に、高畑さんのアドバイスでパステルを用いた。パステルを削って指で広げると「クレヨンよりも表現の可能性がある」と思った。また、高畑さんが墨(炭)をうまく使って描いていたので真似をするうちに木炭画も習得。いずれも絵を写真撮影し、タブレットで拡大して確認しながら描いている。

 本人曰く、「現在はパステル画と木炭画の“二刀流”」とのこと。パステル画は自分の世界観を追求するために描き、木炭画においては画力の向上を目指している。二科展などに応募する際は木炭画である。客観的に評価してもらうことで技量のレベルアップにつなげている。

「坂のまちアートinやつお2017」の会場、「杉風荘」の前で川渕さんと高畑さん(川渕さん提供)
「坂のまちアートinやつお2017」の会場、「杉風荘」の前で川渕さんと高畑さん(川渕さん提供)

「高畑さんとの出会いがなければ、再び絵を描いていなかったでしょう。しかも共同出展を提案してくださったのです。『坂のまちアートinやつお2013』への初参加は(レーベル病)発症から2年7カ月が経っていました。その間、いろいろな変化があったけれど作品を発表したいという願いが、こんなに早くかなうとは思いませんでした」

 2014年9月には高校卒業程度認定試験に合格し、茨城県内の大学へ進学。はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の資格を取得し、大学卒業後は行政職、医療福祉職を経て現在は都内の盲学校で教育職として働いている。

「にもかかわらず笑うこと」

 筆者が川渕さんの作品に出合ったのは、「坂のまちアートinやつお2017」だった。大胆なタッチの木炭画に描かれた人物の表情がすべて笑顔であることに「どんな思いを込めたのか知りたい」と興味を持った。手渡された名刺の裏には「にもかかわらず笑うこと」という言葉が書いてあった。視覚障害“にもかかわらず”絵を描くことを諦めなかった川渕さんに創作の原動力について尋ねると、「ユーモア」と回答が返ってきた。

「坂のまちアートinやつお2017」。高畑さんの作品の前で語る2人(川渕さん提供)
「坂のまちアートinやつお2017」。高畑さんの作品の前で語る2人(川渕さん提供)

川渕さんの木炭画
川渕さんの木炭画

川渕さんの名刺の裏には「にもかかわらず笑うこと」とある
川渕さんの名刺の裏には「にもかかわらず笑うこと」とある

 2018年に再び「坂のまちアートinやつお」を訪れると、カラフルな作品が増えた印象を受けた。愛らしいパンダのキャラクターを描いた温かいタッチのパステル画が来場者の人気を集めていた。川渕さんは「絵を見る人の心に、少しでも寄り添いたい」と話した。

「それでも、絵を描きたい」という思いを励みに

 ちなみに「寄り添いたい」という作品の意図を知り、川渕さんのパステル画を会社のロゴマークにした女性がいる。富山県射水市出身で埼玉県志木市在住の橋本菜生美さんは、同郷である縁で川渕さんの作品展に足を運び、絵に込めた思いを知ってロゴマークの制作を依頼した。橋本さんは高齢者・障害者・子どもが同じ空間で過ごせる介護・自立・育児の支援のためのスペースを都内に作ろうと今年2月に起業した。出会う人に名刺を渡すたび、川渕さんの活動を紹介している。

 ロゴマークを依頼するにあたり、さまざまな作品を検討したそうだ。川渕さんから「オリジナルのデザインを描きましょうか?」と言われたが、あえて10代のころに描いた作品を選んだ。「目が見えなくなってから2年以上の葛藤を経て『それでも、絵を描きたい』という思いがそこに詰まっているので励みになる」と話す。ただし、暗闇の中にいるような色合いだったので、明るいピンク色に変えてもらって名刺に大きく印刷した。温かい雰囲気の作品だが、「優しさの中にある悲しみを感じる」と話す。

川渕さんのパステル画をロゴマークとして印刷した橋本さんの名刺(本人提供)
川渕さんのパステル画をロゴマークとして印刷した橋本さんの名刺(本人提供)

 川渕さんと高畑さんの「坂のまちアートinやつお」への共同出展は2018年が最後となった。2019年、病身の高畑さんは会場を訪問こそしたものの川渕さん1人での展示となり、その後、高畑さんは病が悪化して2020年8月に75歳で他界した。同年の「坂のまちアートinやつお2020」は新型コロナウイルスの感染拡大で開催されず、2021年もコロナ禍で展示内容が限定されたため、川渕さんは参加できなかった。2022年、恩師の高畑さん亡き後、川渕さんは初めて「坂のまちアートinやつお」に帰ってくる。パステル画23点、木炭画7点を展示する予定である。

「坂のまちアートinやつお2017」での川渕さんと高畑さん。右壁面や中央に展示されているのは高畑さんの作品
「坂のまちアートinやつお2017」での川渕さんと高畑さん。右壁面や中央に展示されているのは高畑さんの作品

「美術の教員になりたい」という思い

 かつて川渕さんが抱いた「絵の道で大成したい」という思いには二つの意味があった。一つは創作を続けて作品を多くの人に見てもらうことであり、既にあるレベルでは実現している。より上を目指し、二科展で国立新美術館に展示される「入選」が今の目標である。

 もう一つの思いは美術の教員になることだ。安定した職を得ても諦めきれなかった。そこで盲学校に勤務しながら通信教育で必要単位を取得しようとしたが、希望する私立大学は入学できる態勢を整えることができなかった。2021年に障害者差別解消法が改正され、民間の事業者も障害者への合理的配慮の提供が「3年以内」に義務付けられるようになったにもかかわらず、である。

「大学側と根気よく交渉を続けましたが、『生徒と同等に近い視覚認識を持ちえないとするならば、指導が成立しない可能性があるのではないか』と厳しい見解が示され、諦めざるを得ませんでした」

 川渕さんは2022年2月までに「美術の教員への挑戦は、ひと区切りつけた」とし、その後は「坂のまちアートinやつお2022」の準備をすることで前進してきた。最近は文字を取り入れた作品が増えている。新たな創作の方向性について聞いた。

「キャラクターのパンダと文字を合わせた作品は2019年から描いています。例えば『追い』と書かれたパステル画のタイトルは『老い』。どう言葉を使うかが面白いと感じます。言葉による変幻自在の面白さを楽しみ、その一環としてブログもやっています」

文字を書いた川渕さんのパステル画。2022年3月に富山市内の信用金庫で作品展が開催された。上段の右から二つ目の絵が「老い」
文字を書いた川渕さんのパステル画。2022年3月に富山市内の信用金庫で作品展が開催された。上段の右から二つ目の絵が「老い」

 文字を添えた川渕さんの作品は、高畑さんの晩年の作風と似ているように思われた。本人も「意図せずして近づいている」と感じるそうだ。

故郷で再会したい人のために描く

 川渕さんにとって「坂のまちアートinやつお」は特別な場である。2013年、視覚障害者になったにもかかわらず初めて人前で絵を見せることができた。参加し続けることで「自分の中で浮かんだものを描くだけではなく、人に見てもらえるように、もっと精進していきたい」と思うようになった。恩師・高畑さんの死やコロナ禍があり、転職もした激変の3年間を経て「八尾で再会したい人のために描いた」と話す。

「昨年度から新しい職場に変わったため、なかなか創作活動ができませんでした。でも『坂のまちアートinやつお2022』に出展することを決めて徐々に描き始めました。チャコールペンシルという新たな画材を用いた作品や、自身にとって過去最大となるB1の紙に描いた二科展の準入選作『VEGA(ベガ)』を初めて展示します。好評の絵はがきは36種類を用意しました。再会した故郷の方に楽しんでいただきたいです」

川渕さんのパステル画の絵はがき
川渕さんのパステル画の絵はがき

 そもそも視覚に訴える芸術である絵を描くということにおいて、目が不自由になったにもかかわらず、挑戦を続けられているのはなぜか。相反する思いを貫く理由について、あらためて聞いてみた。

「伝えたいものがあって、『思いやりの心と寄り添い』が自分のテーマです。『にもかかわらず笑うこと』という気持ちで描き、人の心に寄り添うことができたらいいと思います。それを伝えるために絵を描いているのです。表現の手段がほかにあるのであれば絵でなくてもいいと思う。でも、今の自分にとって必要な表現方法は絵を描くことなのです」

10月8日から「坂のまちアートinやつお2022」

 目が不自由にもかかわらず「視覚表現は自分のアイデンティティー」と語る川渕さん。「坂のまちアートinやつお2022」は10月8日から3日間、「おわら風の盆」で知られる富山市八尾町の中心部で開催され、川渕さんの作品は杉風荘で展示される。

※クレジットのない写真は筆者撮影

「坂のまちアートinやつお2022」に3年ぶりで出展する川渕さん(本人提供)
「坂のまちアートinやつお2022」に3年ぶりで出展する川渕さん(本人提供)

川渕 大成(かわぶち・たいせい) 1994年7月生まれ、28歳、富山県高岡市出身、埼玉県志木市在住。2011年3月、高校1年生の時に突発的な眼疾の発症により視覚障害者となる。2014年9月に高校卒業程度認定試験合格、2015年4月に筑波技術大学保健科学部へ進学し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師と保健の教員の資格を取得。卒業後は行政職、医療福祉職を経て現在は都内の盲学校で教員職を務める。アート活動ではパステル画、木炭画、デザインを手掛け、二科茨城支部展で入選、県議会議長賞、努力賞、埼玉二科展で25周年記念賞、二科展は2022年度までに準入選5回。一般財団法人「一枝のゆめ財団」のロゴマーク作成、日本弱視者ネットワークの機関誌「弱視者ネットつうしん」の表紙デザインなどを担当。富山市の「坂のまちアートinやつお」に出展のほか富山、茨城、東京、埼玉の各都県で作品展を開催。

※富山市の「坂のまちアートinやつお」のホームページ

https://www.bunanomori.com/art/

※川渕大成さんのブログ

https://ameblo.jp/kawabuchitaisei/

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「東洋経済オンライン」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

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