テレビ朝日『アメトーーク!』で「高校野球大大大好き芸人」としての知名度を高めたかみじょうたけしさん(44)。地方の球場にも足を運び、年間100試合以上の試合を観戦する。スポーツ紙やネット媒体の連載では、球児とその家族との交流のエピソードが人気を集め、独特の語りと優しい視点に魅了される読者は多い。著書『野球の子』(二見書房)を出版したばかりのかみじょうさんに第104回全国高等学校野球選手権の開幕直前、甲子園に集う「野球の子」への思いを聞いた。

――かなり長い球歴をお持ちかと思ったら「学童野球だけ」とのこと。ほかのスポーツの経験は? 

 野球は小学校4年生から3年間だけ。めっちゃ下手くそでした。でも今も昔も野球が大好きです。中学に入ってからは姉や近所の子に誘われてソフトテニスを始めました。高校2年生の時、兵庫県大会で優勝し、近畿大会で4位になっていれば全国大会へ行けたのですが5位でした。阪神大震災の2、3日後が試合だったこと、覚えています。高校3年生の夏の県大会は準優勝でした。だからインターハイには行けてないんです。

――初めて球場で高校野球を見たのはいつですか? 初の甲子園での観戦の思い出は。

 1989年です。11歳の時でした。全国高校野球選手権の兵庫県大会の準決勝で、後に自分が進学する津名と神戸弘陵の試合です。津名に勝った神戸弘陵が甲子園に初めて出場したので、父と2人で応援に行きました。1971年、1972年生まれが3年生で、元木大介さん(大阪・上宮高校。現在は巨人ヘッドコーチ)などがいた第71回大会です。

尽誠学園・宮地投手のファンに

 神戸弘陵は2回戦から登場し佐賀商を6-2で退け、3回戦で尽誠学園(香川)に1-3で敗れました。尽誠学園は宮地克彦投手(西武-ダイエー。現在は女子硬式野球クラブチーム・九州ハニーズ監督)がエースでファンになりました。大阪出身だけど「香川代表だ」と堂々と話す姿に、すごく「かっこいい!」と思い雑誌「週刊ベースボール」を買ってきて切り抜き、透明な下敷きに入れていました。当時、みんなアイドルの写真を入れていたんですけれど、僕は宮地さんの白黒写真だったのを覚えています。

1989年の全国高校野球選手権で力投する尽誠学園の宮地克彦投手。現役引退後もユニホームを1度も脱ぐことなく女子野球の指導者として今に至っている
1989年の全国高校野球選手権で力投する尽誠学園の宮地克彦投手。現役引退後もユニホームを1度も脱ぐことなく女子野球の指導者として今に至っている写真:岡沢克郎/アフロ

 後に仕事で先輩の森脇健児さんとソフトバンクの取材に出向いてベンチに入れてもらった時、当時の王貞治監督(現会長)から「会いたい選手がいたら呼んであげるよ」と言われ、迷わず「宮地さんをお願いします」と言いました。宮地さんは当時、すでに引退していてスタッフだったので「え! 俺ですか?」と驚きながらやって来て、帽子のつばにサインをしてくれました。

――甲子園で1番印象に残ってる試合は?

 2009年の夏の大会の決勝。日本文理(新潟)が中京大中京(愛知)と対戦した試合です。4-10で迎えた九回表、日本文理が2死走者なしから、切手孝太君が四球を選んで出塁。最終的には9-10で敗れるわけですが、「九回2死でも、まだ勝ちを諦めてないんだ!」と思いました。最後のアウトを見届けないで帰ったお客さんもいて。その人、悔しかったと思いますよ。切手君の粘りから1点差まで追い上げた球史に残る場面を見逃したんですからね。

2009年の全国高校野球選手権決勝、日本文理-中京大中京。九回の猛攻も及ばず、準優勝の日本文理
2009年の全国高校野球選手権決勝、日本文理-中京大中京。九回の猛攻も及ばず、準優勝の日本文理写真:アフロ

 新潟に縁もゆかりもない僕と日本文理の縁は偶然でした。この年の春、大阪のミナミにある高校野球関係者が集まるバーでアルバイトをしていた時、お客さんとセンバツに出場している投手の話をしていたんです。日本文理と清峰(長崎)の1回戦の前日でした。「清峰の今村(猛、後に広島へ。2021年で引退)はすごいぞ。楽しみや」という声に「いやいや、高校野球はやってみないと分かりませんよ。日本文理の伊藤(直輝)もすごいです!」と応じました。

「伊藤は、うちのせがれです」

 そしたらカウンターの端から声が掛かったんです。「伊藤って知っとるんか。うちのせがれですよ」と。嘘みたいな話でしょ。その晩は、そりゃ盛り上がりましたよ。翌日は伊藤君のお父さんと一緒にセンバツを観戦し、「また夏に会いましょう」と約束しました。

――すごい! 偶然ってすごい。ご縁ですね!

 夏は日本文理の全試合をアルプススタンドから観ました。当時、中京大中京は優勝候補の筆頭でしたから試合前の雰囲気は相手にのまれていたんです。だからでしょう。伊藤君のお父さんに「芸人やったらネタをやれ!」と言われてアルプススタンドで板東英二さんのものまねをしたこと、今も覚えています。

「野球は九回2死から」を存分に知らしめてくれた決勝の後、甲子園から帰った伊藤君のお父さんから新潟の米30キロと準優勝を報じた地元紙「新潟日報」の号外、それから伊藤君の名前が入った甲子園の記念タオルが届きました。「まだ食えない芸人なんだろう。なのに全試合、一緒に応援してくれてありがとう」と。『アメトーーク!』に出演した時、この号外とタオルを見せたら新潟で話題になったそうです。

(日本文理の)大井道夫監督が勇退された2017年夏、新潟のテレビ番組にも呼ばれました。その時、2009年の準優勝メンバーが食事会を開き、その場にいない選手とも電話で連絡を取ってくれて……。初めてちゃんと伊藤選手と話ができたんです。

2009年の全国高校野球選手権決勝、日本文理-中京大中京。九回表、日本文理2死満塁。伊藤直輝が適時打を放ち2点差に詰め寄る
2009年の全国高校野球選手権決勝、日本文理-中京大中京。九回表、日本文理2死満塁。伊藤直輝が適時打を放ち2点差に詰め寄る写真:アフロ

 お父さんお母さんとはすっかり仲良くなっていたけれど、選手とはその時が初対面でした。当時、伊藤君は社会人野球のヤマハに在籍していて、後に「今まで応援ありがとうございました」と引退の連絡をもらいました。伊藤家にとっては「応援してくれるおじさん」みたいな。何だか親戚のような感じになってますね。

アルプススタンドで応援団と観戦

――「アルプススタンドで保護者と一緒に」が、かみじょうさんの観戦スタイルなんですね。取材のポリシーなど、あるのでしょうか。

 スポーツ紙の仕事で甲子園球場に行くことも多く、その時はバックネット裏の記者席に行きます。取材以外はアルプススタンドで応援団に混じって試合を観るのがすごく熱くて、楽しいです。球種や球数などにこだわって試合を記録しながら観るわけではないのでスコアブックも付けていません。

――取材費は自己負担ですか?

 もちろん。どこからも出ませんよ。交通費も宿泊費も全部、自腹です。だって野球観戦はあくまで趣味ですから。自分で勝手に全国各地へ行っています。でも、行く先々で皆さん、取材に協力してくださり、ご飯を食べたり飲んだり……。そんなことをしていると、また交流の輪が広がります。

7月26日に刊行された『野球の子』(かみじょうたけし著、二見書房)全国書店・ネット書店で発売中(筆者撮影)
7月26日に刊行された『野球の子』(かみじょうたけし著、二見書房)全国書店・ネット書店で発売中(筆者撮影)

――7月26日に刊行された『野球の子』(二見書房)は15人の球児のエピソードを集めた野球ノンフィクションです。かみじょうさんが全員の野球人生に関わっています。中でも独立リーグ・福井ワイルドラプターズの三染真利選手は個人スポンサーにまでなっていますね。

 出会いは本当に偶然で、これまた「お酒の席」の縁でした。沖縄で卒業旅行中の三染君と出会い、「野球をやり切ってみたら」と言ってしまったのです。彼は敦賀気比(福井)から関東学院大に行き、就職を前に「野球をやめていいのか」と迷っていた。著書には抑え気味で書きましたけれど、オリオンビールを13杯ぐらい飲んで、僕はすっかり酔っ払っていて実際はもっと、いろいろ言いました。「『もう野球せんでもええ。ありがとう野球』と思えるまで野球をやってみろ。もしやるんなら応援するよ」って。

ホンマかっこいい「もうやり切りました」

 三染君は就職が決まっていたにもかかわらず、独立リーグの福井で3年、神奈川フューチャードリームスで「あと1年だけ」と頑張りました。NPB(日本プロ野球機構)のドラフトには届かなかったけれど、野球人生を完全燃焼できたのです。僕が何かしてあげたわけじゃない。彼が1人で立ち上がり、成長し、自分で決めた道を歩んで言い訳せず、野球人生を全うした。最後に「もうやり切りました」と。ホンマにかっこいいと思いました。

福井のユニホームには「三染真利を勝手に応援する会代表かみじょうたけし」と入っている(かみじょうさん提供)
福井のユニホームには「三染真利を勝手に応援する会代表かみじょうたけし」と入っている(かみじょうさん提供)

――小園海斗投手(広島)の報徳学園(兵庫)時代の同期、岡崎星輝君のエピソードも印象深いです。お母さんたちとの交流から、かみじょうさんの人柄が伝わりました。

 中学生のころに出会った野球少年が、1人は甲子園でスターとなり「ドラ1」で広島入り。すごいですよね。もう1人は故障やけがに苦しみながらもベンチ入りを果たし、チームでの役割を全うしました。これもまたむちゃくちゃかっこいい! 小園君のお母さんが泣きながら「かみじょうさん! (岡崎)星輝がもらったの! 背番号17もらったの」と電話してきてくれました。

「書くなら普通、小園の話でしょ」

 小園君、岡崎君とも同じ時期に知り合いましたが、著書には岡崎君のことをメーンに書いているので本人から「書くなら普通、小園の話でしょ」と言われました。著書に甲子園球場前で僕と一緒に撮った写真を使う了解をもらうために岡崎君へメッセージを送ったら、写っている全員から快諾の返事をすぐにもらってくれました。「小園はナイターなんで連絡、ちょっと遅いと思います」という返事でしたが、小園君からもナイター終了後15分でOKの返事が来ましたよ。

――野球をあきらめなかったからこそ、再び輝く物語を紡ぐ場合もあれば、紡いだ後であきらめる選手もいます。球児やその家族との関わり方は、野球部保護者会の一員みたいですね。“親心”が伝わります。

 たまたまどこかの球場で声をかけてもらい、一緒に写真を撮った小・中学生が成長して、お父さんお母さんからSNSのダイレクトメッセージが届き、「うちの子が今度、甲子園行きますんで」「あの時のくりくり坊主(原文ママ)が甲子園に出ます」と。今回も僕と縁のあった選手では、八戸学院光星(青森)の2年生遊撃手・中澤(恒貴)君、大阪桐蔭の捕手・松尾(汐恩)君が出場しています。ほんまに育つのが早いですね。

高校球児の保護者との記念撮影に応じるかみじょうさん(本人提供)
高校球児の保護者との記念撮影に応じるかみじょうさん(本人提供)

 甲子園に来て姿を見ることができる選手もいますが「地方大会でベンチ入りもできませんでした」という話を聞くこともあります。プロ野球選手になれなかったとか、社会人や大学野球の途中で選手生命が絶たれたとか、そういう話もあります。でも必ずしもバッドエンドじゃない。外から見たら「挫折した」と言われるかもしれないけれど、彼らは敗者ではない。勝ち負けは本人以外つけられません。「みんな、やり切っている。すごいなぁ」と思っています。

――指導者やプロ球団の選手・OB・スカウトなどとの交流も深いのに、あえて「親きょうだいの視点」から球児の日常を描いているのは、なぜでしょうか。

 僕が書くコラムには技術的なことはほとんど書かず、家族との絆など「自分にしか書けないものを書こう」と思っています。なぜかというと、人が読んだら「誰が言ってんねん」みたいになってしまうから。専門家にはかないませんし、そこを目指す必要はないと思っています。

星稜・山下名誉監督「読むとほっこりする」

 でも僕の書く原稿を「好きだ」と言う専門家もいるんですよ。星稜(石川)の名誉監督・山下智茂さんは「僕らじゃ、あそこまで深く入っていけないし、知り得ないことが書いてある。ありがとう。読むとほっこりする」と言ってくださいました。球場で会ったら「暑いから塩飴を」と気にかけてくださったりもします。励まし、とても嬉しいです。

 高度な技術論やスーパースターの話は、自分が書かなくても必ず世に出ます。でも一生懸命、頑張ってもベンチ入りできるかどうかという球児のネタを拾ったら「自分が書かなきゃ」と思っています。彼らを見ていて思うのは「うまくいってる時・人なら誰でも頑張れる」ということ。褒めてくれる人もいるし、注目されますから。

球場で高校野球を観戦するかみじょうさん(本人提供)
球場で高校野球を観戦するかみじょうさん(本人提供)

 すごいのは「うまくいっていないのに頑張ってる球児がいる」という事実です。故障で苦しんだり、結果が出なくて悩んだりしていても、好きなら、自分がやると決めたらそれを続けている。頑張りを知っているのは家族や仲間だけ。僕も人生うまくいっていないことが多いので、球児より年長だけれども尊敬の思いも込めて、そういった物語を書きたいと思うのです。

――文学部出身とのこと。やはり、たくさんの本を読んでこられたのでしょうね。ノンフィクションや小説はどんな作品を読みますか? 

 文学部ですけれど仏教系の大学で、卒業論文は仏教の『唯識二十論』をテーマに無理矢理、書いた記憶があります。修了の関門になる口頭試問を担当したのは現学長の入澤崇先生でした。再会の機会に「君、あん時の卒業生か!?」と言われ、コロナ禍のオンラインの講演で龍谷大学の学生に話をしたことがあります。やっぱり野球のことをしゃべりました。

 小説はそんなに読まないですね。でも野球のノンフィクションは読んでいます。最近だったら『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著、文藝春秋)、『投げない怪物 佐々木朗希と高校野球の新時代』(柳川悠二著、小学館)、『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(加藤弘士著、新潮社)とか……。どれも読み応えがありました。『投げない怪物』は球数制限と本人の気持ちについて「議論が必要だ」という視点を提示していると思いました。これらの本は、ほんとにスポーツジャーナリズムの世界です。

――『野球の子』の担当の編集者によると、15本のエピソードは締め切り前に原稿が届いたとのことでした。本のできばえは?

「15人の物語を書く」となった時点で半分ぐらいはすぐに浮かびました。残りはスポーツ紙に書いていたことを思い出しながら考えました。15人の野球人生を書き切ったことが100点満点の200点です。自分でも「よう書いた」と思います。途中、「書くの、しんどいわ」と思ったりもしたけど「投げたらあかん」と。「この子ら頑張っているんだから」と。

球児のように「約束を守る」

 高校球児って時間に遅れないとか、礼儀正しいとか、約束を守るとか、そういうことができる存在です。僕が書いた15人は「きちんとする子」ばっかりでした。だから自分もできるだけ、ちゃんと守ったんです。でも、どうしても書けなくて「1日待って下さい」とお願いしたことが1度だけありましたが……。

――今年も全国高校野球選手権が始まりました。甲子園に集う「野球の子」にエールをお願いします。

 コロナ禍が続く大変な世の中だけど「出せる自分を仲間と完全燃焼してほしい」と願っています。甲子園で野球ができることが喜ばしいです。今の3年生が入学した年の3年生は実力があっても甲子園でプレーすることができなかったんやから。

2021夏の甲子園決勝は一般客を入れないで行われ、智弁対決となった
2021夏の甲子園決勝は一般客を入れないで行われ、智弁対決となった写真:アフロ

 2年前は都道府県ごとに高野連が独自大会を開催しました。奈良県の大会では天理の選手が勝ってニコニコしていたんですけれど、片付けをしている時、三塁側のベンチで下林源太主将がずっと泣いてました。天理の現主将・戸井零士選手はその思いも知った上で戦うわけです。「優勝しても喜べない3年生の背中を見てどう思ったんだろう」って当時は思っていました。

 代表校の皆さんは「存分に甲子園で野球ができる喜び」を感じてほしいですね。

「高校野球大好き芸人」のかみじょうたけしさん(本人提供)
「高校野球大好き芸人」のかみじょうたけしさん(本人提供)

 かみじょう・たけし 1977年12月生まれ。兵庫県淡路市出身。津名高校、龍谷大学文学部卒。松竹芸能所属のピン芸人。漫才コンビ「ロビンス」解散後、板東英二のモノマネなどで活躍。地方大会を含め年間100試合を観戦。2014年にテレビ朝日『アメトーーク!』の「高校野球大大大好き芸人」に出演し、話題になる。「高校野球発祥の地・豊中市」の応援団長。デイリースポーツで「かみじょうたけしの内にズバッと!!」、2017年から文春オンラインで「文春野球コラム ペナントレース」などの連載を執筆。Facebook、Twitter、Instagram、YouTube「かみじょうたけしの高校野球物語」などで情報を発信している。