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是枝監督の『ベイビー・ブローカー』に描かれなかった韓国の〈赤ちゃんポスト〉の実情

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
映画『ベイビー・ブローカー』。左からカン・ドンウォン、イ・ジウン、ソン・ガンホ

 6月24日に公開された是枝裕和監督の映画『ベイビー・ブローカー』は、子どもを育てられない人が匿名で赤ちゃんを置いていく「ベビー・ボックス〈赤ちゃんポスト〉」を巡る物語である。日本でも論議を巻き起こしている〈赤ちゃんポスト〉は、韓国でどのように運用されているのか。ソウル出身で、韓国の大学を卒業後に日本へ留学し、子ども家庭福祉を主な研究テーマとする目白大学人間学部准教授の姜恩和さんに話を聞いた。韓国の実情や日本との違いなど〈赤ちゃんポスト〉の課題とは?

 ストーリーは次の通り。クリーニング店の経営者で借金に追われるサンヒョン(ソン・ガンホ)と、〈赤ちゃんポスト〉がある施設で働く児童養護施設出身のドンス(カン・ドンウォン)は、子宝に恵まれない夫婦に赤ちゃんを売る「ベイビー・ブローカー」である。若い母親ソヨン(イ・ジウン)が〈赤ちゃんポスト〉の前に置いていった赤ちゃんを連れ去るも、ソヨンが翌日に引き返して来たので、2人はブローカーであることを白状する。サンヒョン、ドンス、ソヨンの3人は成り行きから養父母を探して旅に出ることに。彼らを尾行する刑事のスジン(ぺ・ドゥナ)と後輩のイ刑事(イ・ジュヨン)は現行犯で逮捕しようと一行を追い続ける。

韓国〈赤ちゃんポスト〉11年間で1939人

 姜さんによると〈赤ちゃんポスト〉は韓国に3カ所ある。2009年にソウル、2014年に京畿道といずれもキリスト教系の教会に設置され、2019年には釜山の仏教寺院によって設けられた。預けられた子どもの数は2010年に4人、2011年に37人、2012年に79人だったが、2013年は252人と急増、以降は2018年まで200人超えで推移し、2020年までの11年間に1939人もの赤ちゃんが預けられている。

韓国の〈赤ちゃんポスト〉は3カ所にあり、11年間で1939人が預けられた。相談内容や置き手紙などによって報告書が作成され、月齢が分からない場合は発育状態やへその緒の状態によって推定
韓国の〈赤ちゃんポスト〉は3カ所にあり、11年間で1939人が預けられた。相談内容や置き手紙などによって報告書が作成され、月齢が分からない場合は発育状態やへその緒の状態によって推定写真:ロイター/アフロ

韓国の「ベビー・ボックス」に預けられた子どもの人数の推移(姜さん提供)
韓国の「ベビー・ボックス」に預けられた子どもの人数の推移(姜さん提供)

 日本では熊本市にある慈恵病院(蓮田健院長)がドイツの事例を参考に、2007年に「こうのとりのゆりかご」という名称の〈赤ちゃんポスト〉を設置した。開設から15年間で預けられた子どもは161人だ。預け入れの推移は2008年度の25人をピークに2011年度以降は10人前後で、2020年度は4人だった。

 日韓を比較すると日本の4割程度の人口の韓国において、日本の約10倍の赤ちゃんが預けられていることになる。姜さんは「11年間で1939人」という実態について「放っておけない数字」と指摘する。

2013年以降、預け入れが急増

 韓国で2013年以降、預け入れが急増した背景には、2012年に子どもの権利擁護を重視した「改正入養特例法(以降、特例法と表記)」が施行されたことがある。いくつか改正点がある中で、子どもの「出自を知る権利」を尊重し、それまで慣例化されていた養親による出生届が認められなくなり、実親が届けを出すことが養子縁組の手続き上、欠かせなくなった。これにより、妊娠・出産を知られたくない多くの女性は〈赤ちゃんポスト〉へ救済を求めたと考えられる。

「特例法以前は女性のプライバシーを守る一定の仕組みとして機能していたのに、改正にあたり、その点を踏まえた論議は不十分なままでした。〈赤ちゃんポスト〉は、とても分かりやすい手段です。だから困難を抱えた女性が子どもを抱えて集まるのは、やむを得ないでしょう。預け入れが増え、報道件数が増え、注目されて寄付が集まり、また預け入れが増える――というサイクルができてしまっているように思います」

預けた女性の9割以上が面談へ

 姜さんは今年3月、「韓国のベビーボックスに関する一考察――相談機能と匿名性の共存が示す子ども家庭福祉の課題」という論文を発表した。韓国の〈赤ちゃんポスト〉の実情を紹介している。2010年1月19日から2017年6月30日までのケースについて、預け入れ先が作成した日誌や遺された手紙をもとに、地元の研究者が調査して報告書を作成、姜さんはその内容を分析した。

韓国の〈赤ちゃんポスト〉に預けられた赤ちゃんのDNAサンプルを採取する警察官
韓国の〈赤ちゃんポスト〉に預けられた赤ちゃんのDNAサンプルを採取する警察官写真:ロイター/アフロ

 韓国は〈赤ちゃんポスト〉の扉が開くとブザーが鳴り、職員が赤ちゃんを保護する間に、別の相談担当の職員が預け入れにきた人と接触する。運用の仕方に、日本との違いはあるのだろうか。

「日本ではドアが閉まると赤ちゃんは児童相談所の管轄ですが、韓国の場合は赤ちゃんを預けた女性の9割以上が面談を受け、そのうち約15%は自分で育てます。預け入れ全体のうち、16-19%は養子縁組に託すことを決断します。十分に考えてから『やはり育てられない』と判断してはじめて警察と管轄区の職員に通告されます」

 姜さんが〈赤ちゃんポスト〉を利用した女性に話を聞いたところ、子どもを預けに行っても拒まれることはなく、ベビーベッドやソファー、シャワー室などを利用してゆっくりと心身を整え、安心して相談できる場がある。子どもとの別れを急かされることはなく「自分で育てる」と決断した場合、一定期間は育児用品の寄付や住宅支援も得られる。育てられない場合は区の職員に引き取られ、公的病院で健康診断を受けた後に一時保護、施設へと移管される。

 ちなみに、姜さんによればソウルの〈赤ちゃんポスト〉で相談に応じるのは女性職員で、ドンスのような男性職員はいない。映画のように置いていった赤ちゃんが見つからないといったトラブルは絶対、起こらないように管理されているそうで「そこは、安心してほしい」とのことである。

映画『ベイビー・ブローカー』より、刑事のスジン(ぺ・ドゥナ)。不妊治療を経て夫と2人で暮らす
映画『ベイビー・ブローカー』より、刑事のスジン(ぺ・ドゥナ)。不妊治療を経て夫と2人で暮らす

 映画の冒頭、刑事スジンが発する「捨てるなら産むなよ」という言葉は、「育てられないのになぜ産むのか?」という疑問を観客に投げかける。スジンの「産む前に殺したほうが罪は軽くなるの?」というセリフも強烈なインパクトだ。姜さんは「産前産後に適切なケアが受けられない女性が抱える孤独には万国共通の普遍性を感じる」と話す。

「ソヨンの『自分1人ではどうしようもなかった。もっと早く出会えていたら』というセリフが印象的です。映画ではソヨンが経済的に困窮し、孤独で支えてくれる人がいないことが子どもを預けた背景として描かれています。しかし、経済的に困窮したからといって、その受け皿が〈赤ちゃんポスト〉でいいのでしょうか?」

「つながるべき支援」につながっていない

 韓国では、赤ちゃんを連れて街に出かけると、見知らぬ人が声をかけてきたり、食べ物を分けてくれたりするそうだ。子育てをする女性に対するまなざしは温かく、孤立感は少ない。そのような状況で子どもの養育を断念せざるを得なくなった場合、第一選択を〈赤ちゃんポスト〉とするのは、「つながるべき支援につながっていないから」と指摘する。

 韓国において、親が子どもを育てられない時の支援が不足していることは長い間、課題だった。「家庭への支援を最大限投入し、それでも難しい場合には短期間の保護、その後に里親や養子縁組を考えるべきという方針でやっと整備されてきている」と姜さん。2019年に国を挙げて、保護が必要な子どもは国が責任を持って自立まで支援する「包容国家児童政策」を打ち出した。しかし、社会の片隅で生きるソヨンが、自ら公的支援につながる行動を起こすことは考えにくい。

映画『ベイビー・ブローカー』より、赤ちゃんを〈赤ちゃんポスト〉に預けたソヨン(イ・ジウン)。子どもを育てられない事情を抱える
映画『ベイビー・ブローカー』より、赤ちゃんを〈赤ちゃんポスト〉に預けたソヨン(イ・ジウン)。子どもを育てられない事情を抱える

 あるいは、支援を求められる家族などがいない、いたとしても、家族に受け入れられない子どもだからこそ「存在を隠したい」と考えている――などの可能性も考えられる。つまり匿名性が担保される〈赤ちゃんポスト〉を必要とする理由は、単なる貧困だけではない。

「韓国も日本も父系中心の家族規範の下で、夫婦の間に生まれた子どもは自動的に父の家に入籍し、父系の姓を名乗ることが当たり前であるために、父親がわからないという出自は子どもにとって不利です。韓国においては伝統的に夫婦別姓で、2005年には民法改正により戸主制度、戸籍制度とも廃止されました。にもかかわらず、父の不在が子どもに不利益をもたらすという指摘が、今もなお続いているように思います」

 姜さんによると、〈赤ちゃんポスト〉に子どもを預けた女性の婚姻状況は「母婚姻外」の「未婚」が68.2%を占める。次は「母婚姻中」の「非嫡出子」である。日本の場合は未婚が32.9%、既婚が27.1%となっており、韓国の方が未婚の割合が高い。母親の年齢は20代が半数を占め、最も多い。

不安を募らせ〈赤ちゃんポスト〉へ

〈赤ちゃんポスト〉に入れられた子どもの月齢は生後0~3日(31.1%)よりも、生後4~10日(35.4%)の方が多い。月齢が上がるにつれて減っていくが、1歳以上も6人いる。障害がある子どもの割合は生後11~30日が42.2%と最も多い。「産んだ直後から手放すつもりだったわけではなく、子どもの診療などを経て『養育が困難』と判断し、預け入れる意思を固めたのではないか」と指摘する。

〈赤ちゃんポスト〉の子どもは13.8%が病院以外で生まれた。8割以上が病院で生まれているが、母親が10代の出産を理由に差別されたり、通院の負担が大きくなったりして不安を募らせていったことも考えられる。姜さんは「自分と子どもの将来が見通せない人に対して医療機関がいかに丁寧なアプローチをしていくかが課題」と話す。

日本は「母子一体」の育児?

 姜さんは27年前に来日し、日本には韓国以上に長く暮らしてきた。20数年前、「日韓で大きく違う」と感じたのは、家庭における母子の距離の近さである。

「母子一体で、子育てにおいて男性の顔が見えないというのが日本にきた当時の印象です。妊娠した女性は個人としてのアイデンティティーよりも母親が上になる気がします。育児がうまくいかず、うつになってしまう女性が多いことや時短料理の普及は、女性が家事育児を一手に引き受けていることに起因しているのではないでしょうか」

 韓国では2001年に女性庁が誕生し、2005年には家族法が改正されて戸主制度や戸籍制度が廃止された。国会議員全体に占める女性の割合も多く、政策や運動によって少しずつ社会が変わってきている。

映画『ベイビー・ブローカー』より、クリーニング店を営むサンヒョン(ソン・ガンホ)。離婚し、娘と離れて暮らす
映画『ベイビー・ブローカー』より、クリーニング店を営むサンヒョン(ソン・ガンホ)。離婚し、娘と離れて暮らす

映画『ベイビー・ブローカー』より、一行を追うイ刑事(イ・ジュヨン)。ソヨンの言葉に耳を傾ける
映画『ベイビー・ブローカー』より、一行を追うイ刑事(イ・ジュヨン)。ソヨンの言葉に耳を傾ける

 近年、日本では「イクメン」「カジダン」などの言葉が浸透し、男性の意識も変わりつつあるが、そもそも男女とも長時間労働を強いられている現状では大きな変化を期待しにくい。姜さんは女性・母親の規範性にとらわれることなく家庭の中の役割を分担するとともに、「家事育児の外部化」に目を向けることを勧める。一方で、性別による規範性ゆえに、なかなか割り切れないであろう日本人の胸中も深く理解している。

「女性が子育てを他者に委ねられない重苦しさは、社会に出て働くことができずに引きこもっている男性が感じる負い目と表裏一体のように思います。性別による役割分担から『こうあるべき』という理想を自分に押しつけて苦しんでいます。思うようにいかない人たちは『自分に価値がない』と自信をなくし、追い詰められている。だからSOSが出せないのです」

「SOSを出していい」というメッセージ

 追い詰められてSOSが出せず、〈赤ちゃんポスト〉にわが子を預け、相談もせずに走り去ったソヨンが生きる韓国社会も、性別による規範性を完全に払拭しきってはいないだろう。しかし、映画の中でサンヒョンは進んで針仕事をし、ドンスは子どもの面倒をよく見ている。姜さんは、サンヒョンから「1人で(子育てを)頑張らなくてもいいんだよ」と言われた時のソヨンの表情に、心境の変化が見えたと感じた。

「日本で育児中のお母さんたちが『SOSを出せない』でいるという声をよく聞きます。出していいと思っていないことが課題です。是枝監督が映画に込めた『SOSを出していい』というメッセージは日本社会にこそ伝えたいのではないでしょうか」

 続いて〈赤ちゃんポスト〉に預けられた子どもの視点で、韓国の養子縁組について考える。

・映画『ベイビー・ブローカー』から考える韓国の《赤ちゃん縁組》の真実

https://news.yahoo.co.jp/byline/wakabayashitomoko/20220708-00304422

※映画『ベイビー・ブローカー』公式ホームページ

https://gaga.ne.jp/babybroker/

6月24日(金)

TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中

監督・脚本・編集:是枝裕和/出演:ソン・ガンホ、カン・ドンウォン、ペ・ドゥナ、イ・ジウン(IU)、イ・ジュヨン/製作:CJ ENM/制作:ZIP CINEMA/制作協力:分福/提供:ギャガ、フジテレビジョン、AOI Pro./配給:ギャガ

※クレジットのない写真は(C)2022 ZIP CINEMA & CJ ENM Co., Ltd., ALL RIGHTS RESERVED

目白大学人間学部人間福祉学科准教授の姜恩和さん(本人提供)
目白大学人間学部人間福祉学科准教授の姜恩和さん(本人提供)

姜 恩和(かん・うな) 1973年2月生まれ、韓国・ソウル出身。韓国聖心女子大学(現在の韓国カソリック大学)で社会福祉学を学んだ後、1995年3月に来日し翌年から東京都立大学大学院へ。キリスト教学生会での日本との交流や、父方の祖父は早稲田大学で学び第一勧業銀行に就職、父の誕生直後まで日本で暮らしたことなどの家族の歴史が留学先を選ぶきっかけに。東京都立大学の社会科学研究科社会福祉学で修士及び博士課程を修了。同大学助教、埼玉県立大学講師を経て2020年4月から目白大学人間学部人間福祉学科准教授。比較家族史学会、養子と里親を考える会、日本子ども家庭福祉学会、日本子ども虐待防止学会などに所属。

※参考文献

・「韓国のベビーボックスに関する一考察――相談機能と匿名性の共存が示す子ども家庭福祉の課題」(姜恩和著)『子ども虐待の克服をめざして――吉田恒雄先生古稀記念論文集』(2022年3月)

・「日本と韓国における養子制度の発展と児童福祉――歴史統計を用いた比較制度分析の試み」(姜恩和・森口千晶著、2016年2月)

・「2012年養子縁組特例法にみる韓国の養子制度の現状と課題――未婚母とその子どもの処遇を中心に」(姜恩和著、2014年10月)

・「『こうのとりのゆりかご』第5期検証報告書」(熊本市要保護児童対策地域協議会こうのとりのゆりかご専門部会、2021年6月)

・「社会的養育の推進に向けて」(厚生労働省子ども家庭局家庭福祉課、2022年3月)

https://www.mhlw.go.jp/content/000833294.pdf

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「東洋経済オンライン」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

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