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東京パラリンピックで金メダルを 車いすバスケットボール岩井孝義選手

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
東京パラリンピックの車いすバスケットボールでメダルを狙う岩井孝義選手(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

 車いすバスケットボールはパラ屈指の人気競技で、東京パラリンピックでは日本代表の活躍が期待される。初出場の岩井孝義選手(25)=SMBC日興証券所属、富山県魚津市在住=は「結果にこだわりたい」とメダル獲得を目標に大舞台へ挑む。これまで「目の前でプレーを見たり、体験したりすることで競技の魅力を実感してもらえる」と考えて普及活動にも取り組んできた。岩井選手の車いすバスケットボールとの出合いや、競技者としての歩みとは。

2019 車いすバスケ ワールドチャレンジカップで健闘する岩井選手
2019 車いすバスケ ワールドチャレンジカップで健闘する岩井選手写真:長田洋平/アフロスポーツ

14歳から競技をスタート

 岩井選手は12歳のときに脊髄の悪性腫瘍を摘出し、車いすの生活となった後、14歳から主治医の勧めで競技を始めた。

「小学生の時は水泳をしていました。背骨が曲がる病気になり、悪化を防ぐためです。その後、脊髄が病気に冒されていると分かり、腫瘍が見つかって2カ月で手術しました。『術後は歩けなくなるよ』と言われました。当時は小学校6年生。自分の置かれた状況をそれほど重く受け止めてはいませんでした」

 身の上に起こった変化は劇的だったが、その時期を振り返る岩井選手の口調は穏やかである。肢体不自由の児童生徒のための特別支援学校「高志学園」に入り、自立して生活するための訓練を受けた。この学園でのいろいろな年代の生徒との交流は楽しい思い出だという。悪性腫瘍摘出後の検査では悪い結果が出なかったこともあり、訓練が進むにつれて車いすでの生活を受け入れていくことができた。

「スピード感が、すごい」

 リハビリの一環として車いすバスケを勧められ、「とりあえず行ってみよう」と母親と富山県車いすバスケットボールクラブ(富山県WBC)の練習を見学し、「スピード感が、すごいな」と思った。もともと球技は苦手で、週1回の練習は「仕方なく」行っていた。始めたばかりのころに突き指をしたこともあって乗り気ではなかったという。

日本代表の宮島徹也選手
日本代表の宮島徹也選手写真:長田洋平/アフロスポーツ

 どちらかといえば消極的だった気持ちが変わったのは、車いすバスケを始めて1年ぐらい経ったころのこと。富山県WBCの遠征で日本代表の宮島徹也選手(オー・エル・エム・デジタル)から「頑張ったら日本代表になれるよ」と言われたからだった。意欲的になり、練習は週1回から3回に増えた。めきめき上達し、楽しくなっていった。

日本代表・宮島選手から激励を受け奮起

 宮島選手は2008、2012、2016年に続いて2021年の東京と、パラリンピックは4大会連続の出場となる。中学2年時に医療事故で左脚を切断、その後競技を始めた。岩井選手にとって宮島選手は憧れの存在。シュートを教えてもらったことが心に残っている。「宮島さんはその後もずっと、いろんなアドバイスをしてくれる。今も昔も凄い人」と話した。

 岩井選手は車いすバスケットボールを始めて2年で23歳以下(U―23)代表として国際親善試合に出場した。16歳の時だった。U―23の世界選手権に2度出場し、2018年には22歳でフル代表入りを果たす。順調に成長し、活躍の機会を広げていった。代表入り直後の自身を次のように振り返った。

「2018年6月に行われた三菱電機ワールドチャレンジカップに出場し、ベスト5(ファイブ)に選ばれたことが自信となりました。その年の8月の世界選手権はスタートから出場機会を得ました。ミスが多く、悔しかった点はあったけれど、手ごたえもありました。自分の課題が見つかり、その後の成長につながりました」

三菱電機 ワールドチャレンジカップ 2018での岩井選手
三菱電機 ワールドチャレンジカップ 2018での岩井選手写真:アフロスポーツ

母、妹の支援に「感謝しかない」

 活動をサポートする体制は、公私ともに充実している。現在はSMBC日興証券にアスリート社員として勤務し、競技に専念できている。都内の会社には月に1度、例会に出社する程度。ほかの競技のアスリートやメダリストもいるので「交流に刺激を受けている」と話す。

 練習拠点は富山市勤労身体障害者体育センターで、住まいがある魚津市とは離れているが、母親や4歳下の妹が練習の送り迎えをする。岩井は「感謝しかない」と話した。

「中止でなく延期でよかった」

 インタビューをしていて「ものごとを前向きに捉える姿勢がぶれない」と感じる。新型コロナウイルスの影響により2020年3月下旬、東京五輪・パラリンピックの1年延期が決まった時も、2021年に向けてすぐに気持ちを切り替えることができたそうだ。

「中止ではなく延期でよかったと思いました。自分はまだ若いので、(練習を)やった分だけ力がつきます。延期になった1年間、しっかりトレーニングを積んで成長できればと思っています。宮島さんは30代。自分も30代までプレーできるよう頑張ればいい」

富山県WBCのメンバーと練習する岩井選手(筆者撮影)
富山県WBCのメンバーと練習する岩井選手(筆者撮影)

 新型コロナウイルスの影響により、富山県WBCの練習は何度かストップした。ステイホーム期間中は自宅近くの約100メートルの坂道で車いすをこぎ、地元の魚津市ありそドームで自主練習をするなどした。

競技の普及活動にも積極的

 車いすバスケットボールの試合は、スピード感あふれ、激しい接触プレーもある。1対1になるとフェイントの応酬が見どころ。ゴールの高さは3.05メートルで一般競技と同じなので、ボールが大きな弧を描くシュートシーンはダイナミックだ。

 岩井選手は体験会の講師などを可能な限り引き受けている。「車いすバスケットボールの魅力を少しでも感じてもらいたい」と思うからだ。ブレーキングといって急に車いすを止めるとタイヤが摩擦熱によって焦げ、独特のにおいがする。音や匂いから競技の迫力を感じ、やってみてはじめて、難しさと楽しさが分かるスポーツだと思っている。「体験は、応援してくださることにつながる」と競技の普及活動にも積極的だ。

コート内をがむしゃらに走り回る

 自身の持ち味については「スピードや、車いすの細かい操作ができること。それと得点力」とし、ディフェンス力と状況判断を磨くことに課題を置いて鍛錬を続けてきた。

スピードと得点力が持ち味の岩井選手
スピードと得点力が持ち味の岩井選手写真:長田洋平/アフロスポーツ

 車いすバスケットボールは障害の程度によって選手に1.0から4.5までの持ち点が与えられ、コート上の5人の合計を14点以内とする。岩井は障害が重く、持ち点は1.0。しかし、同程度の選手の中では世界的に抜きん出た存在である。日本代表の大ベテラン・宮嶋選手の持ち点は4.0。リバウンドや守備での貢献度が高い。

 長年慕ってきた宮島選手と一緒にコート内をがむしゃらに走り回ることが、岩井選手の東京パラリンピックにかける意気込みである。

練習拠点の富山市勤労身体障害者体育センターで取材に応じる岩井選手(筆者撮影)
練習拠点の富山市勤労身体障害者体育センターで取材に応じる岩井選手(筆者撮影)

 岩井 孝義(いわい・たかよし) 1996年6月生まれ、魚津市出身。25歳。高志支援学校中等部、富山国際大付属高卒。富山市勤労身体障害者体育センターを活動拠点とする富山県WBCがホームチームであり、現在はSMBC日興証券にアスリート社員として勤務する。16歳で23歳以下(U―23)日本代表に選出、U―23の世界選手権に2度出場。2018年、22歳でフル代表に初選出、同年世界選手権出場。

※富山県車いすバスケットボールクラブのホームページ

http://www.toyama-wbc.jp/

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「東洋経済オンライン」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

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