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トランスジェンダー選手を「不公平」と排除せず 競技ごとに論議スタートを

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
重量挙げNZ代表、トランスジェンダーのローレル・ハバード選手(写真:ロイター/アフロ)

 重量挙げ女子87キロ超級で東京五輪のニュージーランド代表に、トランスジェンダーのローレル・ハバード選手が決まった。東京五輪は、トランスジェンダーであることを公表する選手が自認する性別のカテゴリーで出場する史上初の大会となる。

※参考

トランスジェンダー選手が東京五輪代表に、五輪出場は史上初 「不公平」と物議も

(BBC NEWS JAPAN2021年6月21日)

https://www.bbc.com/japanese/57550038

 ハバード選手は1978年に男性として生まれ、2013年に性別適合手術を受けて女性となった。身体が男性で心の性が女性の場合はM to F(Male to Female:MtF)、身体が女性で心の性が男性の場合はF to M(Female to Male:FtM)と呼ばれ、ハバード選手はM to F である。GID(Gender Identity Disorder:性同一性障害) 学会によると、日本では約2800人に1人が性同一性障害で悩んでいるとの報告がある。

 M to Fのハバード選手が五輪に参加することに対し、「不公平だ」という声も上がっている。順天堂大スポーツ健康科学部助教の野口亜弥さんに、この問題を中心としてスポーツとジェンダー・セクシュアリティの課題について聞いた。

サッカーのイベントで解説する野口さん(イベント主催者提供)
サッカーのイベントで解説する野口さん(イベント主催者提供)

スポーツ界はそもそも「女性不在」でスタート

 ――「渦中の人」となっているハバード選手は男子選手として活躍していた実績があり、「生物学的に有利」という声もあります。批判的な報道についてどのように考えますか。

 いろいろな声がある中で圧倒的に多いのは「性別適合手術をしているとはいえ、出生時に男性という性別を割り当てられた選手が女性のカテゴリーで競技をすることは、ほかの選手にとって不利ではないか」という声です。しかし、選手は国際オリンピック委員会(IOC)が定める基準を満たして出場するので個人に非はなく、選手を批判すべきではありません。

 五輪の第1回大会が1896年にギリシャ・アテネで開催された時、参加は男性しか認められず、1900年にフランス・パリで行われた第2回大会から女性は参加しましたが、ごく少数でした。IOCが「女性にふさわしい」とみなした競技だけ女子種目として実施されたのです。

 つまりスポーツ界は「女性不在」でスタートしています。男性のみで行われていた五輪に女性の参加が認められるようになりましたが、いずれもシスジェンダー(性自認と生まれたときに割り当てられた性が一致していること)の男性・女性が大前提となっていたのではないでしょうか。このような状況においてトランスジェンダー選手が、どのような形で参加していくかをやっと議論できるようになったといえるでしょう。

 ――東京五輪は、トランスジェンダーであることを公表する選手が、自認する性別のカテゴリーで出場する史上初の大会となりました。

ハバード選手自身は五輪出場について「多くのニュージーランド人が私に与えてくれた優しさと支援に感しており、恐縮する思い」と述べている
ハバード選手自身は五輪出場について「多くのニュージーランド人が私に与えてくれた優しさと支援に感しており、恐縮する思い」と述べている写真:ロイター/アフロ

 トランスジェンダー選手はずっと以前からいて、ハバード選手が東京五輪の代表となったことで存在がクローズアップされたに過ぎません。やっとその存在が可視化されたにもかかわらず、ハバード選手を否定すれば、論議する機会を失います。トランスジェンダー選手の存在が認識されてこなかった、これまでのスポーツの仕組みの上で競技の公平性について議論をするならば、スポーツ界の発展が止まってしまうと思います。

「もともと男性だった女性が出場しては困る」「女性の中に男性が入ってくるな」とトランスジェンダーの方の人権を侵害するような批判をするのではなく、「今、議論を始めるべき時だ」と理解してほしいのです。

当事者が自分の性をどう受け止めているか

 ――IOCの性別変更選手に対する対応基準はどうなっているのでしょうか。外科手術をせねば性別変更は認められないわけではないのですか。

 IOCはトランスジェンダー選手が競技会に参加する上でのガイドラインを策定しています。F to M選手は無制限で男性競技への参加を認めています。M to F選手が女子競技に出場する場合、制限は4つあります。①性自認が女性であると宣言し、スポーツ参加の目的では最低4年間変更できない、②テストステロン値が競技参加の最低12カ月前に基準値を下回っていることを証明する、③選手の総テストステロン値が、女性として競技する有資格期間中を通して基準値以下に保たれる、④①~③は検査によって監視される場合があり、違反した場合は女子競技への参加は12カ月間停止される――となっています。性別変更手術を受けていることが必須ではなく、あくまでも本人の性自認が尊重されます。

 ――海外での具体的な事例について教えてください。

 米国ではトランスジェンダー選手の存在はすでに認知されていて、本人が自認する性のカテゴリーで競技できるかどうかという議論は活発になされています。

 国際競技連盟の「ワールドラグビー」はM to F選手の女性別カテゴリーへの出場を禁じました。決定に関しては差別的であるという声も挙がっています。ワールドラグビーの規範に対しイングランドとフランスのラグビーユニオンでは、一定の基準を満たした上で指導者や競技関係者が「明らかな身体的アドバンテージを持っていない」と判断すれば、ゲームへの参加を許可しているそうです。すでに団体ごとに競技特性に応じて調整しているケースはあるのです。

 私は長年にわたりサッカー競技に携わってきました。サッカーとラグビーはいずれもコンタクトスポーツですがコンタクトの度合いは違います。そこで競技ごとに、どういった性別カテゴリーを設けるかについては、これから議論をしていく必要性があると思います。

 このようなことから、競技特性によって何が性差のアドバンテージになるのか。もっと話し合うべきです。例えばバスケットボールならば、その基準となるべき指標は身長なのかもしれません。どういうルールを設けるかは、当事者を交えた話し合いの中でしか結論は出ないでしょう。

スポーツ界が進化するきっかけをくれた

 先駆者となった重量挙げのハバード選手が責められ、排除しようとする動きが見えています。しかし、自分の自認する性別カテゴリーで五輪出場を目指すことはアスリートとして自然な望みです。ネット上では個人への中傷などを見かけますが、ハバード選手を「スポーツ界が進化するきっかけをくれた」と受け入れ、感謝すべき存在と考えたいと思います。

 ――サッカー界におけるLGBTQ+(L:レズビアン、G:ゲイ、B:バイセクシュアル、T:トランスジェンダー、Q:自分の性がわからない「クエスチョニング」や性的少数者「クィア」)の問題をどのように考えておられますか。

  LGBTQ+の当事者がチーム内でカミングアウトしたら仲間から偏見を持たれないか。ロッカールームをどうするか。こういった課題を、どう解決していくかはスポーツ界全体のテーマでしょう。

国内初の女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)のプレシーズンマッチ
国内初の女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)のプレシーズンマッチ写真:森田直樹/アフロスポーツ

 日本のサッカー界では2021年9月、国内初の女子プロサッカーリーグ(WEリーグ)が始まります。「WEリーグではLGBTQ+の問題にもしっかり取り組んでいきたい」とすでに表明していて、それはスポーツ界においては先駆的であると思っています。同性のパートナーがいる選手やトランスジェンダー選手が存在するなど多様な価値観が受け入れられるWEリーグは誰にとっても居心地のいい場所であり、社会のモデルとなる可能性を秘めています。

スポーツを通じて「自分ごと」として考える仕組みを

 ――野口さんらが監修を務めたサッカーのイベント「Create Inclusive Sports(クリエイト・インクルーシブ・スポーツ)」(6月28日:六本木ヒルズアリーナ)をオンラインで観戦し、「性別や年齢、身体的特徴にとらわれない社会を実現しよう」というメッセージを感じました。イベントについての感想を聞かせてください。

※参考

元日本代表が「ボールにさわれない」 新しいサッカーの魅力と可能性

https://news.yahoo.co.jp/byline/wakabayashitomoko/20210720-00248755

 身体的特徴における多様性はアンプティサッカーや目隠しサッカーの日本代表選手の活躍によってアピールされたと思います。参加者が話し合って決めた独自のルールによるサッカーを体験し、理解が深まりました。一方、LGBTQ+やジェンダーギャップについての問題をどう可視化していくかは、まだまだ工夫が必要だと感じました。

 LGBTQ+やジェンダーギャップについてコメントすることは難しかったです。なぜならLGBTQ+やジェンダーの課題は見えにくく、どのように議論していくかは今後のテーマだと思っています。今回は会場やユニホームをレインボーカラーに彩る演出がなされ、一定のメッセージは伝わったと思います。これからも皆さんが「自分ごと」として考える仕組みを、これからも考えていきたいと思います。

 LGBTQ+やジェンダーギャップの問題は、社会が差別や偏見をなくさなければ当事者が自分らしさを表現することは難しいでしょう。スポーツが社会を変えていくことを後押しする役割を担うべきだと思います。

野口さんらが監修したサッカーのイベント「Create Inclusive Sports」。デフサッカーをサッカー選手、タレントらが体験(イベント主催者提供)
野口さんらが監修したサッカーのイベント「Create Inclusive Sports」。デフサッカーをサッカー選手、タレントらが体験(イベント主催者提供)

スポーツ界から公平なあり方を発信していく

 ――スポーツ界におけるジェンダーギャップについてはどのように考えていますか。

 日本のスポーツ界において競技団体の理事には女性は、まだ少ないのが現状です。バレーボールやテニスなど競技団体によっては、女性の活躍が進んでいるところもあります。

 そもそも女性は社会の構造的不平等に直面しています。それは男性と同じようにたくさんチャンスがあるように見えても、そのチャンスを獲得できないさまざまな理由があるのです。

 また、スポーツの世界で女性がセクハラやパワハラの被害を受けやすい存在であるとも言われています。なぜならば意志決定権を持つ指導者や競技団体の役員に男性が多いので、仕組みとして女性が弱い立場に置かれることが起こりやすいのです。そういったスポーツ界の不平等と向き合って、スポーツ界から社会へジェンダーギャップのない公平なあり方を発信していくことが大切だと感じています。

プロサッカー選手時代の野口さん(本人提供)
プロサッカー選手時代の野口さん(本人提供)

 野口 亜弥(のぐち・あや) 1987年10月生まれ、千葉県出身。十文字高(東京)、筑波大体育専門学群卒。3歳からサッカーを始め、筑波大女子サッカー部4年時は主将を務める。大学卒業後、米国に留学し、サッカー選手としても活躍。2014年にはスウェーデンのクラブとプロ契約。引退後はアフリカのザンビアでスポーツを通じた女性のエンパワーメントの団体である「NOWSPAR」にインターンとして参加。16年10月からスポーツ庁の国際課に勤務。18年4月から順天堂大スポーツ健康科学部の教員となり、20年4月からは助教に。専門はスポーツと開発、スポーツとジェンダー・セクシュアリティ。また、同年2月に一般社団法人S.C.P.Japanを立ち上げ、共同代表となる。

※参考文献など

・一般社団法人 S.C.P.Japanホームページ

https://scpjapan.com/aboutus/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%95%E7%B4%B9%E4%BB%8B

・プライドハウス東京ホームページ

https://pridehouse.jp/2019/

・東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会における トランスジェンダーのアスリートの参加に対するプライドハウス東京の声明

https://pridehouse.jp/news/1354/

・WEリーグホームページ

https://weleague.jp/psm/2021/

・GID(性同一性障害) 学会ホームページ

http://www.gid-soc.org/

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「東洋経済オンライン」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

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