Yahoo!ニュース

22歳女性が成人式 過酷な過去を抱えながら「生まれてきてよかった」

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
富山市八尾町で22歳女性の「成人式」を祝う相談員と美容師ら(筆者撮影)

 おわら風の盆で知られる富山市八尾町で7月5日、22歳の女性が「成人式」を迎えた。祝福したのは富山県西部の行政窓口で子育て支援に携わってきた相談員ら10人。江戸時代の佇まいを残す「坂の町」を晴れ着姿の女性が和傘を手に歩き、立ち止まってポーズを取る。2年半遅れの成人式。4カ月前に結婚したばかりの夫も寄り添った。

「お化粧をするの、初めてなんです」

 22歳のNさん、テーブルの上で重ねた手は少し緊張して見えた。町家風家屋の1室に広げられたメーク道具を前に、鏡越しで美容師の広野加織さん(富山市在住)らと話し始めた時、表情は硬かった。

 しかし、広野さんらが次々にいろんなメーク道具を出すと、目が輝く。ベースメーク、ファンデーション、つけまつげと化粧が進むにつれ、表情が明るくなっていった。ショートヘアに人工毛を足してアップに結い上げ、口紅が塗られるころには、Nさんが得意料理のコツを披露するまでに打ち解けていた。

 髪飾りのいっぱい入った箱を見せ「どれを着けたい?」と聞くと、Nさんは満面の笑みを浮かべた。好みの品を選び、花飾りを両側頭部にピンで留めてもらう。ピンク、白、黄緑色の花で顔周りが華やかに彩られ、白い歯がこぼれた。

Nさんが着用した振り袖
Nさんが着用した振り袖

色とりどりの髪飾り
色とりどりの髪飾り

地方に広がる「イチゴイニシアチブ」の活動

 広野さんは「イチゴイニシアチブ(以下、イチゴと表記)」というボランティア団体の一員である。美容師やカメラマンなどファッション業界のプロフェッショナルが児童養護施設や乳児院に出向いて七五三を迎えた子どもたちの髪を結い、化粧や着付けをして晴れ姿を写真に収める。イチゴの代表・市ケ坪さゆりさん(東京都在住)が2010年ごろから、この活動を首都圏でスタートさせ、旧知の仲だった広野さんも協力するようになった。

「イチゴの七五三」は地方へ波及し、2019年11月には大阪府で実施、2020年11月には広野さんが富山市内の児童養護施設に出向いて着付けを行った。首都圏では七五三だけでなくワークショップや施設を出て自立した若者の成人式を祝う「振り袖あげいん」など、活動は広がっている。

 イチゴの活動を知った元相談員の沙魚川(はせがわ)万紀子さん(高岡市在住)が、広野さんらに声を掛けた。

「児童養護施設にいた経験はないけれど元要保護児童の成人式を祝ってもらえませんか。虐待する親から離れ、その後の自立を助けたケースです。20歳の時は、それどころではなく、何もできなかったんです。長らく心に引っかかっていました」

 広野さんは富山で初となる「イチゴの成人式」の依頼を快諾。Nさんから「やってみたい」という前向きな思いが伝わってきたので、いろいろなジャンルのプロに協力を呼び掛けた。

「今なら、できることがある。一緒にやろう」

 富山市八尾町にある民家を「支度する場に」と提供したのは、元保育士の澤田昌江さん(同市在住)。20代後半から30代前半にかけて児童養護施設で勤務したこともある。60代になった現在は富山市中心部でカフェを営んでいる。「施設で働いていたころは若く、ただただ必死だった。今なら、できることがある。一緒にやろう」とカフェに集う常連客に声を掛けた。

 応じたのは70代の着付け講師と、自身で着付けができる60代女性である。2人は5日前に行われた打ち合わせから参加し、着物と帯を選んで小物をそろえ、腰ひもを用意するなど準備を手伝った。当日は長年培ったスキルを発揮し、30分弱というスピードでNさんを振り袖姿に仕上げた。年長の女性に囲まれて口数の少ないNさんの夫を話の輪に引き込むことも忘れない。居心地のいい空間で「成人式」の準備は進められた。

メークをする広野さん(左)
メークをする広野さん(左)

メーキャップアーティストの平邑宏美さんは成人式の後「こんな機会が再びあれば参加したい」と話した
メーキャップアーティストの平邑宏美さんは成人式の後「こんな機会が再びあれば参加したい」と話した

着付けを見守る沙魚川さん
着付けを見守る沙魚川さん

 初めて和服を着たNさん。着付け講師の女性にギュっと強く帯を結ばれると、バランスを崩す場面も。しかし、鏡の中でどんどん変わっていく自分の姿から目を離さぬよう両足を踏ん張って立っていた。濃いピンクや白、黄金色などの大きな菊が描かれた振り袖に、黒地に金・赤・緑・青色の模様の帯を締めた豪華な装いは、よく似合った。

 仕上がり間際、会場に1人の女性が到着すると、Nさんは「声を聞いてすぐ分かった」と喜んだ。沙魚川さんの元同僚で、現職の相談員Sさんである。Nさんが小学3年の時に出会い、以来ずっと成長を見守ってきた。沙魚川さんが「ぜひ一緒に成人式を祝おう」と声を掛けていたそう。花束を渡し、晴れ着姿のNさんと記念写真に収まった。

古刹や観光名所で記念撮影

 支度を始めた午前9時ごろに土砂降りだった雨が、同11時前には止んでいた。この日、富山市内は降水確率90%。当初は家屋の中での撮影を予定していたが、屋外で可能になったことから聞名寺へ移動した。1290年に建立された古刹をバックに記念撮影する。雨上がりの樹木は緑が色濃く、赤い和傘とのコントラストも美しい。Nさんと夫を囲み、撮影会が繰り広げられた。

雨上がりの聞名寺で記念撮影する「成人式」の参加者
雨上がりの聞名寺で記念撮影する「成人式」の参加者

「石畳の上を歩こう」と「日本の道100選」の一つ、諏訪町本通りへ。絶好のロケーションの下、撮影会は続いた。格子戸をバックに和傘を持って立ったり、ぼんぼり風の照明の下でポーズを決めたり……。通行人は祝福し、車は迂回した。観光名所で繰り広げられる「成人式」は滞りなく続いた。和やかな雰囲気の中でNさんは急に、あらたまった面持ちになり「今、大事なことを言っておかないと」と口火を切る。Sさんと沙魚川さんに感謝の気持ちを伝えた。

「私、生まれてきて良かった。Sさん、沙魚川さんと会えて良かった。生きてて良かった」

人との縁に恵まれて今がある

 沙魚川さんによると、Nさんは幼いころから困難を抱え、自己肯定感が低いために「自分なんて生まれてこなければよかった」という言葉をよく漏らしたという。Sさんも15年間の付き合いで何度も聞いた。

 一方でSさんは「Nさんは縁に救われた」と話す。虐待を受ければ要保護児童として一時保護され、中には児童養護施設に入ったり、里親に委託されたりするケースもある。Nさんの場合はさまざまな事情から施設入所には至らず、地域で生き続けるしかなかった。Sさんはこう話す。

「幸いNさんは、彼女の祖父や民生委員をはじめ地域の方々に支えられる機会が何度かありました。親から不当な扱いを受けながらも、行政の支援もあって地域の中で必死に生き抜いてきました。この仕事をして17年になるけれど、強く生きる姿をここに至るまで見届けられたケースは少ないです。みんな、いろんな過去を背負っています。それを断ち切って生きることは簡単ではないのです。だからこそ『彼女は地域のいろんな人との縁に恵まれて今があるんだなぁ』としみじみ思いました」

 Nさんは地域での出会いに恵まれ、人との縁を大切にすることで「成人式を祝いたい」「成長を見てほしい」と思い合える関係性を築いてきた。また、SさんらはNさんを絶対に見放さなかった。だからこそ「2年半遅れの成人式」は実現した。

Nさんは「生まれてきて良かった」と語った
Nさんは「生まれてきて良かった」と語った

 沙魚川さんは「(Nさんの晴れ姿のために)最善を尽くして動くボランティアの姿に熱意を感じた」と話した。3月に相談員として勤務した富山県西部の市役所を退職した。「成人式」は図らずも退職記念のような意味あいをもつイベントになったという。

 このほど集合住宅の一室を借りて困りごとを抱えた女性の居場所とし、行政支援につなぐサポートを始めた。「困りごとを相談できる場は分かりにくく、つながることは至難の業」という思いからのネットワークづくりである。

「要保護児童が18歳を過ぎ、社会に放り出されて1人で生きていくのは難しいものです。虐待やネグレクト(育児放棄)などを受けて肉親との縁が途絶えた女の子が、悪意のある大人にだまされて性的に搾取されたり、DV被害者となったりすることも起こるかもしれないのです。妊娠し、孤立出産に追い込まれる場合も。運良く支援につながり特定妊婦として出産しても、産後に子育て支援や就労支援が得られなければ行き詰まります」

 Nさんは地域の人に支えられて自立できた数少ないケースである。結婚前には地元の就労継続B型支援事業所に通い、洋菓子などを出すカフェで接客や菓子作りなどを担当していた。彼女の「成人式」を祝福する職場の仲間から花束とカフェの人気商品であるシフォンケーキやプリンが届き、参加者に振る舞われた。

かつての職場の仲間や支援者から花束も
かつての職場の仲間や支援者から花束も

Nさんと夫、手をつないで石畳を歩いた(澤田さん提供)
Nさんと夫、手をつないで石畳を歩いた(澤田さん提供)

 この日は長年にわたりNさんと関わってきたSさんと沙魚川さんにとっても「晴れ姿」だったに違いない。

「着崩れを直しながら涙をこらえた」

「成人式」は、結婚式のようでもあった。晴れ姿を見守る夫の目は優しい。終始笑顔で傘を差し掛け、車の乗り降りを手伝い、寄り添った。

 沙魚川さんは、この日のためにスマートフォンを新調したという。高性能カメラを内蔵した新機種を手に「ハイ、2人もっと寄ってね」などと言いながら写真を撮り続けた。Sさんは「ご褒美をもらった気分です」と感慨深げだった。

 装いを演出した側も「ご褒美をもらった」と感じている。広野さんは「着崩れを直しながら涙をこらえた」と話す。

「相談員さんに『生まれて良かった』と言った時、言葉の重みを感じました。大変なことを乗り越えてきたんだろうと涙をこらえました。今日、笑顔を見ることができて、とても嬉しかったです。大切な節目のお祝いに関わらせていただき、ありがとうございました。ヘアメークや着付けを手伝ってくださった皆さんにも感謝でいっぱいです」

 最後は八尾曳山展示館に足を運び、中庭で記念撮影した。正午を過ぎると曇り空から晴天に。一行は青い芝と紫陽花、青空をバックにしたNさんと夫をカメラに収め、解散した。

「成人式」を終えたころ青空に。八尾曳山展示館の中庭(広野さん提供)
「成人式」を終えたころ青空に。八尾曳山展示館の中庭(広野さん提供)

 翌日、沙魚川さん経由で広野さんらへNさんのメッセージが伝えられた。

「私はSさんや沙魚川さんや、この短い間の人生に関わってくださった方々の優しさや教えを絶対に無駄にはしません。見ていてください。きっと素敵な女性に成長して見せます」

 名残惜しそうに振り袖を脱ぐ間、Nさんは広野さんらに「今度は自分でメークしたい」と語っていた。人生初のメーク。最初は硬い表情だったが少しずつ明るくなっていき、最後は胸を張って「晴れ着姿をたくさんの人に見てほしい」と言った。

「22歳の成人式、やってよかった」。参加した全員が、そう思っていた。

「成人式」を終え、歓談する沙魚川さんら
「成人式」を終え、歓談する沙魚川さんら

※クレジットのない写真は筆者撮影

※参考文献など

・イチゴイニシアチブnote

https://note.com/ichigoinitiative/

・イチゴイニシアチブのお祝い

https://ichigoinitiative.jp/

・きものと「イチゴイニシアチブ主宰 市ケ坪さゆりさんインタビュー」

https://www.kimonoichiba.com/media/column/174/

※「イチゴイニシアチブ」の活動についてはこんな記事も書いています。

・「児童養護施設の七五三を祝福したい!」晴れ姿を演出するプロフェッショナルたち

https://news.yahoo.co.jp/byline/wakabayashitomoko/20191129-00152845/

・児童養護施設の七五三 「10年分の祝福」集めたオンライン写真展

https://news.yahoo.co.jp/byline/wakabayashitomoko/20210107-00216339/

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「東洋経済オンライン」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

若林朋子の最近の記事