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国際的ランナーが「ブラインド伴走」に参戦 その魅力とは?

若林朋子北陸発のライター/元新聞記者
川口さん(左)の伴走をする黒川さん。川口さんは2種目で大会記録を樹立(筆者撮影)

 マスターズ陸上のアジア記録を持つ黒川由子さんから「ブラインド伴走って知ってますか? ぜひ、練習を見に来てください」と誘われた。「競技者として走ることと視覚障害者の方の伴走をすることは、私にとって両輪のようなもの。どちらもやりがいを感じます」とのこと。黒川さんは800メートルを専門とし、20代のころには日本選手権で2度2位に入り、1995年ユニバーシアードにも出場した。マスターズ選手になってからは400メートルと800メートルでアジア記録を樹立し、現在は40代。黒川さんが情熱を注ぐブラインド伴走によって、どんな出会いがあったのか? 彼女が所属する団体「ブラインド伴走会富山」の活動を取材した。

ロープで結ばれた“きずな”

 視覚障害者のランナー(ブラインドランナー)は、障害の程度によってクラス分けされており、障害が重いと伴走者とロープを持って走る。ロープを“きずな”と呼ぶ通り、二人一組でトラック競技やマラソンに出場し、ゴールを目指す。伴走者は、段差や障害物を避けたり、コースから外れないように指示を出したりする。「日本ブラインドマラソン協会(JBMA)」は、伴走者を育成する研修会やマラソン大会を実施しており、全国各地のマラソン大会でもブラインドランナーの参加者が増えつつある。

 このような流れの中で近年、富山県内でもブラインド伴走の普及を目指す気運が盛り上がっていた。2018年4月1日、視覚障害者の川口勇人さん(51)が代表、健眼者(晴眼者)で市民ランナーの波能(はのう)善博さん(41)が副代表となって「ブラインド伴走会富山」を立ち上げた。ブラインドランナーは全盲・弱視・もうろうなど6人、伴走するメンバーは約20人。参加年齢は10代から80代までと幅広い。

富山市内で3月に開催された「ブラインド伴走会富山」の練習会
富山市内で3月に開催された「ブラインド伴走会富山」の練習会

 波能さんによると、「障害の程度や、先天的か途中で失明したかなどで走りの特徴はさまざま。ペアを組むランナーによってしっくりくる感覚が違う。2人で適度な位置・腕振り・歩幅を模索しながら、お互いの息が合うよう練習を重ねる」とのこと。伴走者には高い走力が求められ、二人一組で最大限の力を発揮するためには円滑なコミュニケーションが必要らしい。

 5月19日に富山市で開催された第19回富山県障害スポーツ大会(陸上競技会)で川口さんは、200メートル、800メートルに出場し、2種目とも自己ベストを更新し、優勝。「大会記録」を樹立した。伴走したのは黒川さんだった。

安心してもらえる伴走者に

 川口さんは15年前、視神経をつかさどる脳の一部が腫瘍に冒されたことから切除したため、右目は見えなくなり、左目の視力は0.01以下に低下した。外出する機会が減り、運動することはほとんどなくなっていたが、波能さんとの出会いによって週1回のペースで長距離走を始め、4カ月後には大会に出場し、5キロマラソンを完走した。短距離走への挑戦となった今大会、黒川さんは川口さんのスタートダッシュの勢いに驚いたという。

「最初の練習で、前が見えないから怖いはずなのに迷わずダッシュしたんです。『こんなに自分を信頼してくれるんだ』と思うと、その勇気がうれしかった。『安心してもらえる伴走者になりたい』とあらためて思いました」

二つの大会記録を樹立した川口さんをねぎらう伴走者の黒川さん
二つの大会記録を樹立した川口さんをねぎらう伴走者の黒川さん

 黒川さんの専門である800メートルでは、川口さんとペース配分を考えながら完走を目指した。序盤のスタートダッシュで体力を消耗したため、100メートル付近でペースダウン。息を整えた後は、安定したペースを維持した。川口さんは「何度も鞭を入れられました」と苦笑いするも、ゴール後は「力を出し切った」という達成感があったのだろう。黒川さんに「来年は、もっと多くの種目にチャレンジしたい」と決意を伝えた。

二人一組だからこそ頑張れる

 続いて登場したのは、黒川さんがブラインド伴走を始めるきっかけとなった安達実さん(71)。波能さんの伴走で1500メートルに挑戦した。安達さんは生まれつきの全盲で、鍼灸師である。2013年から伴走する黒川さんは、温厚な人柄と含蓄に富む話しぶりから尊敬を込めて「安達先生」と呼ぶ。この日のレースでは優勝し、「大会記録」を樹立した。笑顔でゴールした安達さんに「余裕の走りでしたね」と声を掛けると、意外な答えが返ってきた。

「本当はしんどかったんですよ。しんどい時にやめるのは簡単。やめるか、やめないかは気持ちの問題ですからね」

 ゴールを駆け抜けた安達さんを、ブラインド伴走会富山のメンバーが駆け寄ってたたえた。完走する喜びを、二人一組で実感できたレースだったようだ。

1500メートルの最後の直線で力走する安達さん(左)と波能さん
1500メートルの最後の直線で力走する安達さん(左)と波能さん
1500メートルを走り終え、笑顔を見せる安達さん
1500メートルを走り終え、笑顔を見せる安達さん

 大会には、細かい障害区分と年齢分けがある。川口さんは「25:その他の視覚障害」、安達さんは「24:視力0から0.01まで」に区分され、年齢区分では40歳以上の「2部」となる。いずれも単独出場のため、完走すれば優勝。「大会記録」は、そのまま「富山県記録」となる。つまり、今のところ同種目にライバルは見当たらない。

 しかし、富山県内に2人が所属するカテゴリーの視覚障害者がいないというわけではない。過去18回の大会でたまたま、この競技の出場者がなかったということ。なぜなら伴走者がいなければ、挑戦したくてもできないのだ。ブラインド伴走会富山のメンバーは、「これまで『なし』とされてきた県記録が、川口さんや安達さんによって樹立されたことで大きな一歩を踏み出した」と胸を張る。

「樹立した記録の更新を目指し、来年も出場できたらうれしい」と波能さん。また、伴走者が増えれば、視覚障害者が走り始める機会も増えると考えている。大会参加者も増えるかもしれない。ブラインド伴走会富山が目指すゴールは、ブラインドランナーそれぞれの挑戦のかたちによって見えてくるのだ。

会場に張り出された男子800メートルのリザルト。川口さんの記録は大会記録であり、県新記録に認定された
会場に張り出された男子800メートルのリザルト。川口さんの記録は大会記録であり、県新記録に認定された

前向きな生き方を共有

 1年前に「ブラインド伴走会富山」の設立を地元紙の報道で知り、「手伝いたい」と申し出たランナーがいる。2011年世界陸上の女子マラソン日本代表だった野尻あずさ選手(36)である。クロスカントリースキーでユニバーシアード2大会に出場後、マラソンに転向した異色の選手。現在も競技者として大会に挑みながら、市民ランナーや児童・生徒の指導やマラソンの普及にあたる。冬季はスキー競技にも復帰し、国体に出場するなど、八面六臂の活躍だ。

「晴眼者がブラインドランナーと二人一組で走るからこそ、得るものはあるでしょう。私も指導を通じて前向きな生き方を共有させてもらっています。長年、レースは孤独な戦いだと思ってきました。だからブラインドランナーが伴走者と出会い、一緒にゴールを目指すことができるって素晴らしいですね」

野尻選手(中央)が主宰するクラブと、ブラインド伴走会富山の合同練習会
野尻選手(中央)が主宰するクラブと、ブラインド伴走会富山の合同練習会

 野尻選手が主宰するクラブ「にこあーずランニングファミリー」と、ブラインド伴走会富山の合同練習会が定期的に開催されていると知り、富山市の富山県総合運動公園を訪ねた。両団体ともに所属するメンバーは多く、野尻選手の指導を受けたランナーが、合同練習をきっかけとして伴走を始めるケースも少なくない。

多方面から伝え方を工夫する

 野尻選手がブラインドランナーを指導する様子を見ていて、気づいたことがあった。関わる健眼者の語彙が、豊かになっていくのだ。太ももを上げ、股関節を大きく動かし、足を前へ出す動きを始めると、ブラインドランナーが正しい動きを理解できるよう、野尻選手はいろいろな言葉を繰り出す。「着地は真っ直ぐ」「かかとから着地するとブレーキがかかる」などと伝えると、伴走者はパートナーとなるブラインドランナーの横で指導を補足した。「もっと」とか「ちょっと」などの抽象的な表現ではなく、具体的に「太ももを、もうこぶしひとつ分ぐらい高く上げて」などと指示した。

 全盲で聴力にも障害のあるランナーには3人の伴走者がつき、1人は右足、もう1人は左足に触れて動きを誘導した。背後にいる伴走者は時々、上半身をポンとたたいてタイミングを伝える。視覚・言葉で伝えられないとなると、あの手この手での指導となる。野尻選手もブラインドランナーの体に触れて、正しい動きになるよう導いた。

左右に伴走者がついて股関節を回す動作を伝える。右端は波能さん
左右に伴走者がついて股関節を回す動作を伝える。右端は波能さん
野尻選手もブラインドランナーに触れながら正しい動きを伝える
野尻選手もブラインドランナーに触れながら正しい動きを伝える

 動きを分かりやすく伝えるのは指導者の使命であろう。音や数字、画像・映像、言語、補助器具を使うなど指導の仕方はいろいろある。「可視化」は有効な方法であるにもかかわらず、使えない。そこで野尻選手と伴走者は、コミュニケーションの幅を広げる。野尻選手は「教えるスキルを高めようという意図で、ブラインド伴走会富山の練習に関わったわけではない」と話すが、この経験が糧となるのではないだろうか。

「相手が障害者ということを意識するのではなく、個性に応じて『どうやったら、より分かってもらえるかな』とコミュニケーションの方法を考えています。走ることを通じて挑戦してもらいたいから、一緒に練習する時間に少しでも多くのことを伝えたいのです」

どんな形でもいいから力を貸して

 波能さんが「2人で力を発揮するためにはコミュニケーションが大切。二人一組でレベルアップしていく必要がある」と言った意味を、やっと理解できた。伴走者はブラインドランナーによって力を引き出されるのだ。「ちゃんと指示を伝えなければ」と必死で知恵を絞る理由は、「パートナーの安全を担保する」という使命感だけではない。「走る楽しさを十分に実感してほしい」という熱意があるから。自ずと前向きな気持ちになる。それがブラインド伴走の醍醐味なのだろう。

 黒川さんと波能さんの走りや、野尻選手の指導を見ていると、ブラインド伴走は高い走力を備えた人が、コミュニケーション力を磨いてこそ可能だと分かる。「相当、力のあるランナーでなければ、伴走者は務まらないものですか?」と聞くと、波能さんは「初心者でもどうぞ」とのこと。筆者も参加を勧められた。

練習を終え、記念撮影するブラインドランナーと伴走者
練習を終え、記念撮影するブラインドランナーと伴走者

「練習中に荷物を見ていてくれる人、送迎の手伝いや、ウオーキング、ストレッチの補助だけでもいい。速く走れなくても大丈夫です。走りたいと思っている視覚障害者を支える役割はいろいろあります。また、市民ランナーがたくさんいるのに、伴走をする人はとても少ない。どんな形でもいいから力を貸してください」

 ブラインド伴走会富山のメンバー全員の願いは、「県記録なし」という種目を減らすこと。1人でも多くの視覚障害者がスポーツを始めるためには、一緒に最初の一歩を踏み出す「パートナー」が必要なのだ。

※写真/筆者撮影

※「ブラインド伴走会富山(富山県視覚障害者マラソンクラブ)」のホームページはこちら。

https://peraichi.com/landing_pages/view/blindtoyama

※「日本ブラインドマラソン協会(JBMA)」のホームページはこちら。

http://jbma.or.jp/

北陸発のライター/元新聞記者

1971年富山市生まれ、同市在住。元北國・富山新聞記者。1993年から2000年までスポーツ、2001年以降は教育・研究・医療などを担当した。2012年に退社しフリーランスとなる。雑誌・書籍・Webメディアで執筆。ニュースサイトは医療者向けの「m3.com」、動物愛護の「sippo」、「東洋経済オンライン」、「AERA dot.」など。広報誌「里親だより」(全国里親会発行)の編集にも携わる。富山を拠点に各地へ出かけ、気になるテーマ・人物を取材している。近年、興味を持って取り組んでいるテーマは児童福祉、性教育、医療・介護、動物愛護など。魅力的な人・場所・出来事との出会いを記事にしていきたい。

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