ジョーカーの衝撃:最も悲しく最も恐ろしい悪役映画
■映画『ジョーカー』
『バットマン』のスピンオフ(などとはあまり言われないが)。アメコミ映画のはずなのに、第76回ヴェネツィア国際映画祭で最優秀作品賞(金獅子賞)受賞。
この映画は衝撃だ。たとえ暴力シーンがなくても、汚い言葉がなくても、これは確かにR15+だ。万民に勧められる映画ではない。映画を観ながらそう思った。しかし観終わった時、万民に勧めたい、そう思わせた映画だ。
ネット上には、様々な言葉が並ぶ。アメリカでは、映画に怯えている。
「映画館が「子供に『ジョーカー』を見せないように」と警告」「映画『ジョーカー』公開…ニューヨーク市警察が厳重な警戒態勢」「ストーリーに影響され犯罪に走る人を懸念し、アメリカでは異例の犯罪注意警告」
Yahoo!映画にも、衝撃を受けたレビューが次々と投稿される。
「五つ星じゃ足りない」「リアルな悪夢」「上映館で銃乱射事件起こっても驚かない」「初めて映画で恐怖を感じた」
「あの事件を思い出す」「覚悟を持って見ないとジョーカーに取り込まれる」「胸に刺さる」
「 絶賛なんかするな。”明日は我が身” だ」「ただの 観客でいられなくなる」「危険な傑作」「人はこんなにさわやかに狂える」
「呼吸をする事さえ忘れた」「狂った世の中に笑いがとまらない(もっと笑えよ、ジョーカーの様に)。」
映画『ジョーカー』予告編1(1:02)
映画『ジョーカー』予告編2(2:25)
・映画の中で、ジョーカーがキリストに見えた箇所がある。もちろん、アンチ・クライストだが。
・ジョーカーが浴びる返り血。今まで私が映画で見た中で、最も美しい返り血だった。
・ラストシーンは、喜劇と悲劇の融合だと、私は感じだ。
■悪役「ジョーカー」
最も悲しく、最も怖い悪役。
ジョーカーは私の街にもきっといる。
そして、私自身の中にも、ジョーカーはいるかもしれない。もしも手元にピエロの仮面があったなら、私もその仮面をつけていたかもしれない。映画を観終わったのに、映画館を出たのに、映画の世界から抜け出せない。
ジョーカー。映画史上、最も悲しく、最も恐ろしく、そして最も滑稽な悪役かもしれない。その瞳の奥に、底知れぬ闇があった。
■映画『ジョーカー』ストーリー(予告編以上のネタバレなし)とリアルな犯罪者ストーリー
映像の美しさ、息が苦しくなる展開。その物語に、心のざわめきが止まらない。
ネタバレなしとはいえ、宣伝コピーにあるように、「心優しい男が、なぜ“悪のカリスマ”ジョーカーになったのか?」と、物語の始まりも終わりも、わかってはいる。
貧しいながら、病持ちの母親と二人で懸命に生きている男。人を笑わせるのが好きで、コメディアンになることを夢見る。彼なりに、大切なものはある。
しかし、ほんの少しの希望の後には、絶望が待っている。彼は全てを失っていく。
物語として、もしも彼にも、人からの小さな親切やわずかな幸運があったなら、人生大逆転のハートウォーミングなサクセスストーリーになっていたかもしれないのに。
不幸な偶然の積み重ねで犯罪者になっていく姿は、バットマンの世界観の中の話なのに、妙にリアルだった。
心理学的に見れば、犯罪史に残る凶悪犯もそれぞれがジョーカーだ。映画のジョーカーも、最初から夢も善意も正義感もなければ、巨悪にはならなかった。器用に立ち回る小ずるい奴はいくらでもいる。
現実の巨悪犯罪者の生い立ちも、不幸な偶然の積み重ねだ。犯罪者に同情を求めているのではない。ジョーカーも、同情など求めない。
ただ、悪い人が悪いことをする。それほど世界は単純ではない。悪も善も悲劇も喜劇も隣り合わせなのだ。私(私たち)と、凶悪犯罪者は、それほど遠くはない。
人は皆、塀の上をバランスをとりながらふらふらと歩いている。ほんの小さなことで、あちら側に落ちるか、こちら側に戻ってくるかの違いだけだ。
物語の舞台は、1980年代。過去の世界だ。だが、その格差と断絶と傲慢と暴力と、全てをジョークにする高笑いの世界は、まるで近未来を見ているようだった。