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志村けん死去から一年 “友達”千鳥・大悟が学んだ「お笑いの教科書1ページ目」

てれびのスキマライター。テレビっ子
『志村友達』(フジテレビ)番組公式サイトより

国民的コメディアン・志村けんの死を悼んで始まった番組『志村友達』(フジテレビ)が3月いっぱいでレギュラー放送の最後を迎え、いわゆる”志村枠”も終了となった。MCの1人である千鳥・大悟が、志村けんと親しく交流していたことは良く知られている。ここでは、過去大悟によって語られた言葉から、彼の志村けんへの思いに迫ってみたい。

■志村けんの死から一年、”志村枠”の終わり

ちょうど1年前の昨年3月29日に志村けんが新型コロナウイルス肺炎で急逝したニュースは日本に大きな衝撃を与えた。

当然、テレビ各局は追悼番組や追悼企画を放送し、国民的コメディアンの死を悼んだ。

この死からちょうど1ヶ月後の4月29日から始まった新番組が『志村友達』(フジテレビ)だ。明確に「追悼番組」と謳っているわけではないが、事実上の“追悼新レギュラー番組”というのはなかなか聞いたことがない。もちろん、こんなことになる前から決まっていたという事情があるのかもしれないが、“主役”を失っても番組制作を中止しなかったのは英断といえるだろう。

放送されたのは、一部視聴者から“志村枠”と呼ばれ親しまれてきた深夜枠。1996年の『Shimura-X』から始まり、『志村流』『志村塾』『志村通』『志村軒』『志村の時間』など様々に番組タイトルを変え、昨年3月まで放送されていた『志村でナイト』まで約24年、実に17番組にわたって制作されていた。「志村枠」での総コント数は5170。『志村友達』は、これらの番組のコントを、志村けんゆかりのゲストとともに振り返りながら、志村との思い出を語るというものだった。

そんな『志村友達』のレギュラー放送は今年3月いっぱいで終了となり、これにより、いわゆる“志村枠”が終焉することになった。

■志村けんは「友達」と語った千鳥・大悟

この番組のMCのひとりが、千鳥・大悟だ。ナインティナイン・岡村隆史やダチョウ倶楽部を筆頭に志村けんに強い影響を受けつつ、志村本人から寵愛を受けた芸人はいるが、中でも近年の志村の大悟への溺愛っぷりは、特別だった。

好きなんだよね、『千鳥』の漫才が。彼らのお笑いは職人芸なんだよ」(『週刊大衆』18年9月3日号)と、その芸を称えると同時にプライベートでも深い親交があった。『志村友達』の初回で、もうひとりのMCであるアンタッチャブル柴田が、大先輩である志村に対して「友達」なんて呼んでいいのかと言った際も、大悟はサラッと「僕は友達でしたけどね」と言ったのが印象的だ。

最初の出会いは『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)に出演した時だという。そこで千鳥は漫才を披露した。

大悟「一番最初はバカ殿の前で漫才やったんですよ。何よりも緊張した。(ノブに)ツッコまれた時に(右前方にいたバカ殿が目に入り)『うわっ、バカ殿がおる!』って。そっから覚えてない。それが最初の出会い

(『志村友達』20年6月17日)

そんな2人の仲が急速に良くなったのは、おそらく2017年頃。自身の番組で「最近、志村けんさんにめちゃくちゃ誘われる」(『キングちゃん』17年4月24日)と明かしていた。その後は、仕事に遅刻した際などに「昨日、志村さんと…」と言ったら全員が黙ったなどとネタにしたりしていた。多いときは、“週に8回”のペースで志村けんと飲みに行っていたという。

志村の死後は、志村の愛車「キャデラック・エスカレード」を、自身は車の運転免許を持っていないにもかかわらず500万円で購入して受け継いだ。

■「お笑いの教科書1ページ目」に触れる

もちろん、受け継いだのは愛車だけではない。お笑いでも大きな影響を受けた。

実際に一緒にコントをした際の印象的なエピソードがある。ある時、“志村枠”の番組でミニスカートの女性のパンツを志村と大悟が、かがんで必死に覗こうとするコントをしたという。オチは鼻血を流す2人の顔のアップ。大悟はそこで目一杯スケベそうな顔をした。だが、志村は「スンとした」真面目な表情をしたのだ。

大悟「(正解は)こっちだった。本当のスケべは自分が鼻血を流したことなんて気付いてないわけ。芝居としては真剣にパンティーを見たい顔をしてないといけない。『勉強になる!』って。(略)結局、わしらって、バリバリ中学生のときにダウンタウンさん見てるから、お笑いの教科書でいうと10ページ目から始めちゃってんのよ。実は20年、お笑いの1ページ目を誰もやらずに育ってきたわけ。で、わしは芸人20年やって、その1ページ目に触れる時が来たわけよ」

(『テレビ千鳥』19年8月12日)

たとえば『志村友達』で流されたコントでは、「ラーメン屋の箸」をボケにしたコントがあった。「箸」を様々な角度でボケにし、驚くほどの数のショートコントが続くのだ。大悟も「普通3個くらいですもんね」と感嘆していた。

ノスタルジー的な笑いではなく、時が経っても色褪せない何度見ても笑える「1ページ目」の奥深さと笑いの真髄が詰まっていた。

■さながら、志村けんの“恋人”

志村けんを評する際、良くも悪くも「マンネリ」という言葉がつきまとう。

志村自身は「マンネリになるまでやり続けられることがすごい」「自分が飽きちゃダメなんだ」という信念を持っていた。だから同じような設定でも繰り返し行うことができた。弟子の乾き亭げそ太郎は以下のように証言している。

げそ太郎「だから、常に同じキャラクターをやるし、同じネタをやる。あと、ゲストが入ることで受け手が変わるじゃないですか。志村さんの理論でいくと、受け手が変わると、違う間になるし違う言葉になる。『素材は同じだけど、やっていることは新ネタなんだ』っていう意識のもとでやっていましたね」

「withnews」21年2月25日

そんな「受け手」としても大悟は志村にとって特別な存在のひとりだったに違いない。

たとえば『志村友達』でも放送された居酒屋を舞台にしたコント。事前に志村から「最後の『(大悟が連れてきた)おねえちゃんを(志村が)連れて帰る』(というオチ)ところまでなんとなくやるから遊んで」と言われたという。そのコントは、ほぼ全編がアドリブ。ひとしきり2人のやりとりで笑いを生んだ後、志村が女性を連れて帰りオチを迎えたはずが、すぐに戻ってきてコントを続けている。大悟とコントを続けたくてたまらないといった様子だった。

こうしたコントを見たヒャダインは、これまで大概の相手が志村にとって物足らない部分があったのではないかと分析した上でこう語る。

ヒャダイン「大悟さんが志村さんの言った一言に対してすごい被せてきて、しかも予想の斜め上のことを言う。志村さんがその時ホントに“少女”のような顔をするんですよ。ときめいた顔して。こういうの待ってた、長年っていう」

(『久保みねヒャダこじらせナイト』20年7月17日)

そんな2人の関係性をヒャダインは「恋人」と表現する。

ある日、一緒に歩いているとパッと大悟の方に振り返り志村は言ったという。

振り向いてお前がいると嬉しいんだよな」と。(『テレビ千鳥』19年8月12日))

まさに「恋人」のようだ。

『志村友達』に吉幾三がゲスト出演した際(20年8月26日)、志村がよく歌ったという吉幾三の「あんた」に乗せて、志村の写真や映像をつけたVTRが流れた。

それを大悟は眉間にシワを寄せ、時にうつむきながら、険しい表情で見ている。明らかに涙をこらえているよう。VTR明け、言葉が出なくなってしまう3人。

ようやく口を開いたのは号泣している吉。

「君たちには涙って言葉はないのか? ガマンすなや」という吉に大悟は「怒るから、泣くと……」と天を指差す。

おそらく志村の死に関して、大悟がテレビカメラの前でここまで悲しみの感情を表に出したのは初めて。大悟は最後までギリギリで涙を落とさなかった。

そして、「志村の行きつけの店で飲もう」と誘う吉幾三に大悟は笑って言った。

でもほとんどの行きつけの店の残ったボトル、僕がもう飲みあかしてます

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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