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『ぷっすま』『みなさん』『めちゃイケ』終了 江頭2:50は「テレビ出ない人」になってしまうのか?

てれびのスキマライター。テレビっ子
いわき市の出版社「Sally文庫」から刊行された松田健次:著『F』

「今日はストライキ起こしに来た」

3月9日深夜に放送された『「ぷっ」すま』(テレビ朝日、以下『ぷっすま』と表記)の終盤に“乱入”した江頭2:50は、そう宣言した。

『ぷっすま』がこの3月で終わることの抗議をしにきたという。

「上の人連れてこいよ!」「ハッキリ言うけど、『ぷっすま』にエンディングはないんだよ!

と叫びながらセットを破壊するという暴走を繰り広げた。

今年4月の改編では20年以上愛されていた番組が終了することが相次いで発表された。それがこの『ぷっすま』であり、フジテレビの看板番組だった『とんねるずのみなさんのおかげでした』や『めちゃ×2イケてるッ!』だ。

江頭は、これらの番組で、”ここぞ”という時に出演していた、いわば“準レギュラー”的存在。それらを失うのは彼にもとって大きな痛手だ。

だから、2月15日に放送された『みなさん』に出演した際も「俺、4月から『ぷっすま』も『めちゃイケ』も『みなおか』も、全部なくなるから、“テレビ出ない人”になるんだよ」と嘆いていた。

事実、めったにテレビには出演しない江頭が比較的よく出ている番組で継続しているのは、『アメトーーク!』(テレビ朝日)の年末特番くらいになってしまった。

ネット上の”伝説”

江頭といえば「1クールのレギュラーより1回の伝説」という名言があまりにも有名だ。彼はその言葉を地で行く活動をし続け、数多くの“伝説”を残してきた。もちろんテレビに残された伝説もあるが、ネット上にも様々な”伝説”もある。

たとえばこんな話だ。

江頭がとある公園でロケをしていると、公園の隣にある病院から抜け出して来ていた車椅子の女の子が江頭のロケを見ていた。

ロケが終わり、その車椅子の女の子は江頭に「つまらねーの」とつぶやいた。

それを耳にした江頭は当然「お前、もう一度言ってみろ」と怒鳴った。

車椅子の女の子「だって全然面白くないんだもん」と呟いくと江頭「なら、お前が笑うまで毎日ここでネタを見せてやろうか」

宣言どおり毎日仕事の合間にその公園に行っては車椅子の女の子にネタを見せ続けたのだ。しかし、車椅子の女の子を笑わせるどころか呆れさせていた。

1ヶ月が過ぎた時、毎日のように散歩に来ていた車椅子の女の子が突然、来なくなってしまった。次の日も女の子は姿を現さない。

そして、1週間が過ぎたある日、女の子がふと現れた。

江頭はすかさず駆け寄りいつものくだらないネタを見せたのだ、しかし、いつもは全く笑ってくれない女の子が初めて少し笑ってくれた、江頭は調子に乗り、下ネタを連発してやった。女の子は「それは最低…」と一言。

日も暮れ、 江頭は「また、明日も来るから、ちゃんと待ってろよ」

女の子「勝手に来れば!!」

次の日、女の子は公園には訪れなかった。

江頭は頭にきて隣の病院に行き、車椅子の女の子を探した。担当の看護師から、女の子が最近急に容体が悪化していて、今朝他の病院に運ばれ、昏睡状態だという事を知らされた。江頭は看護婦に女の子の日記を渡された。

そこには、「大好きな芸人、江頭」と書かれていた。

10年後、今でも月に一度はその公園に来ては、花を手向け一人でネタを披露している――。

以前放送された『水曜日のダウンタウン』(TBS)では、「ネットに転がる芸能人のイイ話、ほぼほぼデマ説」の検証で、このような美談に対し、江頭本人に事実かどうかを確認した。

江頭はもちろん、「ウソに決まってるでしょ! 俺を潰す気か!」ときっぱりと否定。「俺はそんなヒマじゃないぜ。週に一回はパチンコ屋の営業に行ってるんだよ!」とごもっともな反論をしたうえで、カメラに局部を押し付けていた。

他にも《テレビのロケをしていた江頭にサインを頼んだらサインペンのインクが切れていてうまく書けないまま、江頭が呼ばれてしまった。ロケが終わるとスタッフからその子に色紙が渡された。そこには『めちゃイケ』メンバー全員のサインが書かれていた。江頭がみんなに頼んで書いてもらったのだ。しかし自分のサインは「価値が下がるから」と書かれていなかった》などという美談もある。

そんな「江頭は実はいい人」という話はネット上には枚挙にいとまがない。

その噂の数々をことごとく江頭本人がネット番組『江頭2:50のピーピーピーするぞ!』の中で「全部嘘」ときっぱりと否定した。

それでもなお彼の名言やいい話が創作も含め拡がっていき、それが信じられていく。

それは、たまにしか見れないテレビでの暴走した江頭の姿からだけでも伝わってくる彼の誠実さや生真面目さによるものだろう。そう思わせる人望と実績が、すなわち説得力があるのだ。

震災時の”美談”

しかし、正真正銘の”美談”と呼べるものもある。

2011年3月11日。いまからちょうど7年前に起きた東日本大震災。

混乱真っ最中の震災10日後の3月21日、ネット上では「江頭が福島県いわきへ」という情報が瞬く間に拡散された。

所属する大川興業が「江頭がいわき市に行ったことは事実」と認めたことでさらに拡がり、「多くの人が3月11日の2時46分で時が止まっている中、この漢が4分、時を進めた」という秀逸な書き込みがとどめを刺し、江頭の行動への賞賛の嵐が逆炎上のような状態となってしまったのだ。

被災地に誰よりも早く赴き、支援物資を届けた彼の”美談”は、大きな話題となった。

もちろん江頭にとってそれは本意ではなかった。

そんな彼の本意を含め、いわき市への旅の顛末が詳細に書かれたのが、松田健次による著書『』である(以下、特に指定のない引用は『F』から)。

江頭はトルコ全裸事件、北朝鮮潜入事件、北京五輪生中継映り込みで最高瞬間視聴率事件などなど数々の「伝説」を実際に作っているが、そのほとんどの現場に同行しているのが高田文夫事務所の放送作家である松田健次だ。そして、いわき市に江頭とともに向かったのもやはり松田だった。

震災から1週間が経った頃、松田は報道を眺めながら閉塞感や無力感が蓄積されていった。普通であればそれでもすぐに現実に戻されるところだが、ある妄想に支配されていく。

「いわき市の高齢者施設に江頭があらわれる。(略)だが老人たちは江頭を知らず無反応。非常時の難局で救援ボランティアを果たしたものの芸人的に思いきりすべる」

未曽有の非常時に江頭がすべっている。その空気に触れたい、と思ったのだ。

松田は自身の閉塞感や無力感に折り合いをつけるために、そんな劇薬を欲していた。

松田の妄想は不謹慎かもしれない。けれど思えば江頭2:50は初めて見た時から、いつだって不謹慎そのものだった。そんな不謹慎に松田は依存した。

江頭もまた同様の願望を抱いていた。

すぐにいわき市に行こう。3月20日、2人はいわきに旅立った。

立ちはだかる壁を江頭の人脈、松田の行動力、そして2人の熱意で乗り越えていった。

当初は自衛隊の格好で訪れ自分の象徴たる黒タイツを配ろうと芸人的なこだわりを見せていた江頭は、朝の給油、物資調達、通行止め、がらんとした高速道路、給油待ちの大行列、緊急車両優先、道路工事の光景……、そんな現実とは思えない現実をリアルに実感したことで「自分が江頭だってことはいっさい言わないほうがいい」と意識が変わっていった。

「おれは芸人だから何かするときは芸人らしくなきゃっていうのがあって、今回みたいなときでも何とかして芸人らしいことをできないかって考えてたけど(今回は)だめだ」と。

いわき市の高齢者施設にたどり着くと自らの素性は伏せたまま救援物資を施設の職員とともに運び入れる。搬入が終わると、職員たちが集まり口々に感謝の弁を重ねる。その恥ずかしさとこそばゆさに江頭はどうしても耐え切れなかった。感謝のループに江頭が震えだすのを察知して松田は何とか引き上げるタイミングを探ったが間に合わなかった。

「ああああ」と唸り声を上げ始めるとついに自分が江頭だと名乗り「ドーン!」と握りこぶしを男根に見立てた「テポドン」という十八番のポーズを繰り返すと、職員たちは悲鳴をあげつつ歓喜していた。

“汚名”挽回の旅

その施設の職員がそれをネットに書き込んだことでその事実は瞬く間に拡がってしまった。

「不謹慎」を目指したはずが意図せず「いい人」として賞賛され「名誉」がもたらされてしまった江頭。

それは彼にとっては「汚名」に等しいものだった。

このままだとふつうに「いい人」になってしまう。

だから、その後、名誉挽回ならぬ「“汚名”挽回」のため新たな旅を企てる。

目的地はあの「福島第一原発」だった。

まだ原発20キロ圏内は厳しく立ち入りが規制されていた頃。原発関係者でも地元民でもジャーナリストでもない彼らが、ただただ不謹慎なことをするためだけの理由で原発の目前にやって来たのだ。

それ故、「“汚名”挽回」のためのはずの旅なのに、その“汚名”はテレビなどでは絶対に公表することができないものになってしまったのだ。

震災後、ある芸人は自らの経験を元に支援を呼びかけ、ある芸人は一晩中あるあるネタをTwitterでツイートし続け、ある芸人はラジオで漫才を披露した(参考:「東日本大震災発生から5年 あのとき、芸人たちは何を語ったか」)。それぞれの芸人たちがそれぞれの思いで震災に向き合っていた。僕らはそんな笑いに救われた。けれどそれを不謹慎だと批判したものもいた。一方で不謹慎を拠り所にしていわき市に、そして福島原発に向かった芸人もいたのだ。

原発からの帰り道、江頭は林の中で用を足す。

松田は江頭に言った。

「あんた、ちんこ被ばくした」

「いや、ちぢこまってたからセーフだ」

その不謹慎な生き様こそひとつの希望なのだ。

そこにはそれぞれのお笑い芸人のしびれるような忸怩と葛藤、そして覚悟があった。

江頭の存在価値

かつて江頭はインタビューで「こんなこと言っちゃダメなんですけど」と前置きしつつ、「正直な話、いっぱい仕事が来たとしても選ばせてもらって」いると明かしている。

なぜなら「キンタマ据わってる人としかやりたくない」からだ。

彼がいくら「無茶」をして笑いを取っても、それが放送で使われなければ「俺の存在価値はなくなる」と。

「年間十本ぐらいしかテレビ出てないのに、それが『放送できない』って一言で済まされちゃったら……、『お前は勝負してるのか! 使う前に勝負するって気構えはあったのか!』って言いたいですもん」

出典:『hon・nin』Vol.05

『ぷっすま』も『みなさん』も『めちゃイケ』も、江頭が“選んで”出演する番組は、そんな「勝負する」作り手や共演者に支えられていた。

江頭2:50は、テレビの「自由さ」と「覚悟」のバロメーターだ。

もし、このまま江頭が「テレビ出ない人」になってしまうとしたら、テレビから「自由さ」と「覚悟」が失われているということを意味するのではないか。それを失うのはテレビにとって大きな痛手のはずだ。

今日は水槽の中で死にます! 俺がこの番組、終わらせますよ!

おそらく最後の出演となる『みなさんのおかげでした』でそう宣言した江頭は、水槽に長時間潜ってダンスを完遂。

江頭はまた“伝説”を作ったのだ。

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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