シャンパンファイトの生みの親、ダン・ガーニー死去。F1で共に勝利したポルシェも追悼。

ダン・ガーニー(写真:Shutterstock/アフロ)

2018年1月14日(日)、アメリカを代表するレーシングドライバーのダン・ガーニーが肺炎による合併症で死去した。享年86歳だった。日本時間の15日朝に彼の死去が伝えられると、世界中の多くのレーシングドライバーやレーシングチームからツイッターなどで追悼の言葉が寄せられている。F1で唯一の勝利を飾ったポルシェもプレスリリースを出して彼を追悼した。

ダン・ガーニーは主に1950年代から1970年代に活躍したレーサーであるため日本では一般的には有名ではないが、自動車レースの歴史の中で彼が残した功績は非常に大きく、モータースポーツの歴史を紐解けば必ず彼の名前に出逢う。そのため、自動車ファン、レースファンにはその名前がよく知られている。改めて、ダン・ガーニーの功績を振り返ってみよう。

ポルシェのF1マシン、ポルシェ804に乗るダン・ガーニー【写真:Porsche】
ポルシェのF1マシン、ポルシェ804に乗るダン・ガーニー【写真:Porsche】

フェラーリからF1デビューし、ポルシェで勝利

ダン・ガーニーはアメリカ・ニューヨーク州の生まれ。スポーツカーレースに参戦し、1959年にフェラーリからF1世界選手権のドライバーとしてデビューした。現在のF1にはアメリカ人ドライバーが参戦していないが、当時のF1は同じフェラーリのフィル・ヒルをはじめ多くのアメリカ人がF1を戦っていた。ヨーロッパ出身のレーサーが多い中で、ダン・ガーニーはデビュー2戦目のドイツGPで2位表彰台に上がるほどの実力の持ち主だった。

復元され、ポルシェミュージアム(ドイツ・シュトゥットガルト)に展示されているポルシェ804
復元され、ポルシェミュージアム(ドイツ・シュトゥットガルト)に展示されているポルシェ804

彼がF1初優勝を飾ったのは1962年。当時、F1にワークス参戦していたポルシェの「ポルシェ804」を駆り、フランスGPで優勝。のちにル・マン24時間レースなどスポーツカーレースに注力することになるポルシェにとって、F1公式戦での唯一の勝利はダン・ガーニーによるものだった。その功績を讃え、ポルシェは1月16日にプレスリリースを発行し、彼の死を悼んだ。

ダン・ガーニー

「本当のドライビングを学ぶことができたのはポルシェのおかげです。彼らが滅多に故障しないマシーンを提供してくれたおかげで、それまでになかった勢いでトレーニングを重ねることができたからです」

(ポルシェミュージアム プレスリリースより引用)

ダン・ガーニーはブラバムでのドライブを経て、自身のレーシングチーム「All American Racers(AAR)」を率いて1966年から「アングロサクソン・アメリカン・レーサーズ」としてF1に参戦。「イーグル」と名付けられた車体にフォード・ウェスレイクV型12気筒エンジンを搭載し、自らステアリングを握ってF1を戦った。トラブルに泣かされたものの、1967年のベルギーGPでチームオーナー兼ドライバーとしてF1で勝利した。F1での総勝利数は4勝。

ダン・ガーニー 【写真:Porsche】
ダン・ガーニー 【写真:Porsche】

シャンパンファイトを初めてやった人

ダン・ガーニーはモータースポーツの常識をいくつも作り上げた伝説的な選手でもある。F1をはじめとするモータースポーツ競技の表彰式では渡されたシャンパンやスパークリングワインを勢いよく振ってかけあうのが恒例となっているが、これを最初に行ったのがダン・ガーニー。

動画: Dan Gurney Tribute (Indycar 公式YouTubeより)

2分頃から1967年のル・マン24時間レース

自らのチームでF1に参戦しながら、フランスの「ル・マン24時間レース」にフォードGT40で出場し、1967年にA.J.フォイトと共に優勝。この時に表彰式で渡されたモエ・エ・シャンドンのシャンパンを喜んで振ったのだ。これが一気に他のレースにも広まり、後にモータースポーツ表彰式の恒例行事となったのである。

当時、フェラーリとル・マンで伝説的な戦いを演じていたフォード。1966年の表彰台独占に続いての連覇だったが、ガーニー自身はル・マン24時間レースは初優勝。その喜びの表現はモータースポーツの伝統となった。

ダン・ガーニーがドライブし、1967年のル・マン24時間レースを制したフォードGT40。
ダン・ガーニーがドライブし、1967年のル・マン24時間レースを制したフォードGT40。

ガーニーフラップは自動車専門用語に

ダン・ガーニーが最初に考案したのはシャンパンファイトだけではない。自動車やレーシングカーのウイングなどに付ける空力パーツ「ガーニーフラップ」の名前は発案者であるダン・ガーニーに由来する。同パーツは主にリアウイングなどに取り付けられ、ダウンフォース(車を押さえつける下向きの力)が足りない時などに臨時で装着し、ダウンフォース稼ぐために追加する小型のL字型のパーツだ。

フロントウイングの後端にガーニーフラップを装着するスーパーフォーミュラのマシン(2013年)
フロントウイングの後端にガーニーフラップを装着するスーパーフォーミュラのマシン(2013年)

ガーニーフラップはF1などのトップカテゴリーに限らず、アマチュアレースやスポーツカーのカスタマイズでもよく使われるため、クルマいじりをしたことがある人なら一度は聞いたことがある名前だろう。自動車専門用語になるまでに浸透したガーニーの名前。これは自らレーサーであり、自らチームオーナーとして、コンストラクター(車体製造社)の代表としてF1をはじめとするレースに参戦した経験から生まれたものだ。また、彼は世界で初めてフルフェイスヘルメットを使ったレーサーとしても知られている。ダン・ガーニーはモータースポーツに欠かせない伝統を作ったアイディアマンだった。

日本のメーカーとも関わりがあった

F1のみならず、アメリカのNASCAR、インディ500などでも活躍したダン・ガーニー。レーサーを引退後はF1コンストラクターとして参戦した経験を活かし、「All American Racers(AAR)」の経営に専念。自社製作のマシン「イーグル」がインディ500をはじめとする全米のオープンホイールレース(フォーミュラカーレース)で活躍した。AARとしては1975年には自身のチームでボビー・アンサーを起用し、インディ500に勝利している。

1975年にボビー・アンサーのドライブでインディ500で優勝したAARのイーグル。フロントノーズの先にDAN GURNEY RACINGのロゴがある。
1975年にボビー・アンサーのドライブでインディ500で優勝したAARのイーグル。フロントノーズの先にDAN GURNEY RACINGのロゴがある。

ダン・ガーニーは北米トヨタとのパートナーシップでスポーツカーレースの「IMSA(イムサ)」シリーズに80年代から90年代に参戦。「トヨタ・イーグル」で1993年のデイトナ24時間レースにも勝利した。また、 90年代後半にはインディカー(CART)に参戦したトヨタのV8エンジンを使用して参戦。途中、レイナードのシャシーも使用したが、栄光の自社製シャシー「イーグル」での参戦にこだわり続けた。

北米IMSA GTPクラスを戦ったトヨタ・イーグルHF89(イーグル・マーク2)
北米IMSA GTPクラスを戦ったトヨタ・イーグルHF89(イーグル・マーク2)

その車体製造にかける情熱は留まることなく、奇抜なデザインのスポーツカー「デルタウイング」を製作して、日産と共に2012年のル・マン24時間レースに出場した。この三角形に近いデザインのマシンはデルタウイング社がインディカー向けに製作したものだったが、ダン・ガーニーの「All American Racers」はこれをル・マンの新技術車両・出場枠「ガレージ56」に出場させるプロジェクトに参画。自身もドライバーとして制覇したル・マンへと戻ってきた。

86年間という生涯の中で、レーサーとして、チームオーナーとして、車体製造メーカーとしてモータースポーツに情熱を燃やし続けた人、ダン・ガーニー。世界的スポーツカーメーカーの「ポルシェ」がリリースを出すほどモータースポーツ界で重要な人物が天に召された。