「海の日」の由来は明治天皇にあり 国民の祝日と皇室との深い関係
◆「海の日」と明治天皇
7月の第3月曜日は「海の日」と定められ、国民の祝日となっている。当初は7月20日が「海の日」だったが、2003年(平成15年)、月曜日に国民の祝日を移し、土、日、月と三連休にする「ハッピーマンデー制度」の運用に伴い、現在の形となった。
では、なぜ7月20日だったのだろうか。
実は7月20日は、1876年(明治9年)、明治天皇が東北巡幸を終えられて青森から函館を経由し、横浜に帰港した日にあたり、海洋国家日本のまさに船出の日として、1941年(昭和16年)、この日が「海の記念日」に制定されたのが由来となっている。
明治天皇の東北巡幸から146年を経た現在、「海の日」として日付こそ変わったが、そこには皇室が歩んできた歴史が隠されていたのだ。
そして、他にも皇室の行事や歴代天皇とゆかりの深い、国民の祝日が制定されている。
◆天皇の誕生日に関係している祝日
皇室ゆかりの祝日と言えば、「天皇誕生日」が最も分かりやすいだろう。令和となって、今上天皇の誕生日である2月23日が国民の祝日とされたが、では他の歴代天皇の誕生日は、今どうなっているのか。
代表的な例が、4月29日の「昭和の日」だ。昭和の時代、4月29日は天皇誕生日であり、毎年、全日本柔道選手権大会のテレビ中継が行われ、今もその伝統が続いている。
昭和天皇崩御後の1989年(平成元年)からは、祝日はそのままに「みどりの日」と名称が変更された。しかし、長きに亘って「4月29日は天皇誕生日」として定着し、昭和への郷愁が強いこともあり、2007年(平成19年)から「昭和の日」と再び改称し、激動の昭和時代を顧みて、将来に思いをいたす日として制定された。
同時に「みどりの日」は5月4日へ移動し、ゴールデンウィークを補強する祝日となった。
明治天皇の場合は9月22日が誕生日だったことから、明治元年より「天長節」という名称で国家の祝日と定められた。その後、太陽暦が採用されたことで11月3日に改められ、明治天皇崩御後も「明治節」として、明治天皇の遺徳を忍ぶ日となった。
戦後は「文化の日」として残ることになったが、これは明治天皇が生前、約9万3000首もの御製を残されていることから、日本文化の発展継承に大きな影響を及ぼしたことが考慮されたものだ。この日は、皇居で文化勲章の親授式などが行われている。
近代における歴代天皇の誕生日に関しては、以上の通りだが、気になる点もある。
大正天皇にゆかりある祝日は、大正時代が短かったせいもあるのだろうか、なぜか今は皆無となっている。
◆皇室との関わりがある祝日
はるか古代の神話時代、初代天皇とされる神武天皇が即位したのは、日本書紀によれば2月11日と言われ、その日は現代も「建国記念の日」として祝日となっている。まさに神武天皇の即位こそが、日本の始まりの日=「建国の日」であるという理屈だ。
こうした皇室の歴史や行事に深く関わる祝日は、少なくない。
例えば11月23日の「勤労感謝の日」は、天皇家の最も大きな宮中祭祀「新嘗祭(にいなめさい)」が行われる日である。天皇陛下が、皇居神嘉殿において新しく収穫した穀物をお供えし、神に感謝されるという恒例の行事だ。
戦前はそのままの名称である「新嘗祭」として国の祭日とされていたが、戦後、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」日として、「勤労感謝の日」へと変貌を遂げた。
しかし、その精神は秋の収穫に喜び、土を耕し育てた人びとの労働に感謝するという、神と人の違いはあるものの、「感謝」という点で共通する。
こうした天皇家の宮中祭祀が行われる日は、国民にとっても節目の日であり、祝日となっている。
年の初めの「元旦」には、夜明け前から国家安泰、五穀豊穰を祈念する「四方拝」「歳旦祭」が行われる。「春分の日」には「春季皇霊祭」が催され、「秋分の日」にも「秋季皇霊祭」といった宮中祭祀が執り行われている。
一般には祝日だが、皇室では、この日は祭祀を行う日、つまり「祭日」と呼ばれている。この「祝日」と「祭日」が、時折混同して使われているが、ここには実は大きな違いがある。それはまた後日解説してみたいと思う。
とまれ、「国民の祝日」が巡ってきたら、ふと皇室との関わりや謂れ、由来などに思いを馳せてみれば、意外な歴史の一端に触れることになり、おおいに好奇心を刺激してくれるはずだ。