先月、秋篠宮ご夫妻の次女・佳子さまが「全日本ろうあ連盟」の非常勤嘱託職員となり、今後は公務と仕事を両立されることになった。

 しばらく就職されていなかったことから、佳子さまを”高等遊民”などと報じる週刊誌やネットニュースもあった。ちなみに”高等遊民”とは、明治期頃に生家が素封家だったことから旧帝大などの高等教育を受けながら、特定の企業に就職せずに日々を文学や芸術に耽溺する人びとのことを表す言葉だ。今でいえば、ニートと同義語と解してもいいだろう。

 いわば佳子さまを意地悪く揶揄した言葉であったが、筆者は佳子さまの周辺取材を通して、それが事実と反するものであることを知っている。就職された「全日本ろうあ連盟」は、いわば佳子さまのライフワークを色濃く反映していると言って差し支えない。拙書『佳子さまの素顔』でページ数の関係で掲載できなかったエピソードを交えて、手話との繋がりで生まれた、ある地域との温かなエピソードをご紹介したいと思う。

■佳子さまが何度も訪問されてきた、手話の聖地

 47都道府県の中で、佳子さまが公務で訪問された数が最も多いのは鳥取県である。

 平成25年、鳥取県は全国で初めて「手話言語条例」を制定し、これがきっかけとなって全国各地に手話をひとつの言語として認めるムーブメントが広がり、次第に鳥取県は「手話の聖地」というイメージが定着した。

 その翌年から、毎年、鳥取県で開催されている「全国高校生手話パフォーマンス甲子園」で、佳子さまはイギリス留学中の平成29年を除き、開会式で手話の挨拶を披露してこられた。コロナ禍のためにオンライン開催となった去年の大会でも、佳子さまが手話で力強いエールを送られる動画が流れ、大きな話題を集めた。

■手話で挨拶される直前、佳子さまは…

 この大会を通して、佳子さまが誠実に手話に取り組まれるお姿を、間近で見てきた人物がいる。最近では政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会のメンバーとして、ニュースなどでよく見かける鳥取県の平井伸治知事だ。

「開会式の際、佳子さまを舞台のほうに私がご案内するのですが、その時の佳子さまからは緊張感が伝わってきて、一生懸命、集中しようとされているように思えました。おそらく手話でのご挨拶を、頭の中で繰り返しておられるのだろうと感じました」

 佳子さまは実に流暢に手話を披露されているように見えるが、そこには並々ならぬ不断の努力が隠されていた。平井知事は、佳子さまは手話の世界を極めようと日頃から本当に熱心に、誠実に取り組んでおられ、年々、上達されていると感じたという。

■平井知事が、佳子さまから直接お聞きしたお言葉

 平成28年9月、佳子さまは国の重要伝統的建造物群保存地区である鳥取県倉吉市の白壁土蔵群を訪れ、地元の人びとに笑顔で接していらっしゃった。しかし、その翌月、倉吉市を中心に震度6弱の「鳥取県中部地震」が発生。数十人の負傷者が発生し、住宅の屋根瓦や壁が崩壊するなど大きな被害が出た。

 被害の対応に追われる中、秋篠宮邸に伺った平井知事は、佳子さまに地震によって崩れ落ちた瓦や、白壁のところどころに大きな亀裂が入った、痛々しい様子の写真をお見せした。すると、佳子さまは大きなショックを受けたようで、言葉もなく、しばらくの間、黙ってしまわれたという。

 そして意を決したように、このようなお言葉を述べられた。

「被災地の一日も早い復興を願っています。私がお会いした方々や皆様に、どうぞよろしくお伝えください」

 平易なお言葉であったが、地震によって心が折れる思いを抱いていた地元の人たちにとって何よりの励ましになったという。

■佳子さまと地域の人たちを結んだ花

 平成30年には、日本最大級の植物園「とっとり花回廊」で、地元の人びとと佳子さまを繋ぐ出来事があった。それは、佳子さまのお印である、ゆうなの花の開花をご訪問に合わせて調整していたことだった。黄色い大きな花をつけた、ゆうなをご覧になった佳子さまは大変感激していたという。

 平井知事は「全国高校生手話パフォーマンス甲子園」が始まって、佳子さまが何度も鳥取県を訪問してくださったことで、県民たちは大きな力を頂いていると話す。

「宮さまがお見えになることで、地域が変わることができるんです。たとえば、手話に対する理解が広がる、町の皆様が自信を持つといった効果があります。そうした宮さまのご訪問を数々頂いていることが、ある意味、財産として蓄えられてきていると感じます。だからこのご恩に報いないといけない、皆で頑張らなくてはならないと思っています」

 佳子さまのご活動は、これからも手話を通して聴覚障害を持つ人びとの支えとなりたいという強い意志を感じさせる。今回の就職もまた、佳子さまの誠実な思いの表れなのだろう。