渋沢栄一が始まりに関与? 雅子さまが臨まれた「御養蚕始の儀」の意外な歴史

皇后雅子さま(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

 ゴールデンウィーク明けの5月6日、皇后雅子さまは、皇居内にある「紅葉山御養蚕所」を訪れ、「御養蚕始の儀」に臨まれた。これは明治以降、代々の皇后が受け継いできた伝統行事である。去年と同様、今年もコロナ禍のために規模を縮小し、飼育する蚕は貴重な純国産の在来種「小石丸」のみとなった。

 実は皇室と養蚕の関係を紐解くと、遥かなシルクロードと悠久の歴史ロマンにたどり着く。

■宮中御養蚕の始まりは、渋沢栄一だった?

 今話題の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一が「宮中御養蚕事始」に深く関与していたことは、まさにタイムリーなエピソードだろう。

 明治4年、明治天皇の后・美子(はるこ)皇后(後の昭憲皇太后)は、宮中で養蚕を始めるにあたり、その道の経験がある者から話を聞きたいと所望されたという。そこで白羽の矢が立ったのが、生家が藍玉製造と養蚕を生業としていた、当時、大蔵省の役人だった渋沢栄一だった。

 当時、生糸は日本の主力な輸出品であり、多くの農家では屋根裏に養蚕の棚を設置し、桑の葉を与えて蚕を飼育していた。

 美子皇后に召された栄一は、養蚕に関するさまざまな質問によどみなく答え、皇后をおおいに満足させ、宮中での御養蚕が始まったのであった。以来、大正期の貞明皇后、昭和期の香淳皇后、平成期の美智子皇后と受け継がれ、令和の現在は雅子さまがその任に当たられている。令和6年から新一万円札の顔になる渋沢栄一が、思わぬ縁で結ばれていたのだ。

■純国産種の蚕「小石丸」とは?

 コロナ禍以前には、さまざまな蚕が飼育されていたのだが、前述したように去年と今年、雅子さまが育てられるのは、「小石丸」のみだ。この小石丸は一般に育てられている品種とはまったく違い、繭はひょうたん型で中央がくびれた形をしている。

 糸は他の繭よりも細く繊細ではあるものの、ちょっとやそっとでは切れない強靭さを併せ持つ。しかも織物にすれば光沢は輝くほど美しく、なめらかで軽い。

 しかし、繊細で上質な糸であるゆえに収繭量が少なく、飼育も難しいことから、次第に生産量が多い品種に駆逐されてしまったのである。なにしろ、とれる糸の長さは一般蚕種の繭が約1500メートルであるのに対し、小石丸はその3分の1ほどの約500メートルというのだから、生産性の低さは否めない。

 珍重された品種であったが、世の流れを受けて衰退し、現在では一般の養蚕農家で飼育されておらず、宮中御養蚕のみで育てられている。

 小石丸の生糸は白羽二重と呼ばれる純白の絹布に織り上げられ、宮中の儀式や祭祀に使われたり、外国の賓客への贈り物に用いられたりしている。天皇陛下と雅子さまのご婚約が整った際、「納采の儀」で上皇ご夫妻から贈られた絹の巻物も、愛子さまがお宮参りでお召しになった産着も、美智子さまが育てられた小石丸から作られたものであった。

 明治以降、歴代皇后に連綿と受け継がれてきた小石丸だが、存続の危機に直面したこともあった。昭和60年代後半に飼育中止が検討され、そのピンチを救ったのは美智子さまのこのようなお言葉だったという。

「日本の純粋種と聞いており、繭の形が愛らしく糸が繊細でとても美しい。もうしばらく古いものを残しておきたいので、小石丸を育ててみましょう」

■シルクロードの東の果てに生まれた小石丸の文化

 東西の交易ルートとして名高いシルクロードの、東の果てにある終着点と言われているのが奈良の正倉院だ。確かに中近東から渡ってきた宝物は、シルクロードの名にふさわしく、さらに約1000年前、大陸から伝わった古代の織物も保存されている。

 実は平成6年から10年間かけて、正倉院宝物の復元に大きな役割を果たしたのが、美智子さまが育てられた小石丸だった。小石丸の絹糸が古代裂の糸に近く、復元に最もふさわしいと分かり、生産量を従来の6~7倍に増やして正倉院事務所に御下賜された。これによって天平時代の美術工芸品が、時代を超えて現代に蘇ることになった。

 悠久の歴史に思いを馳せ、往時の縁を現代に伝える役割を果たした小石丸。それはまさに連綿と受け継がれてきた、万世一系の皇統と相通じるのではないだろうか。

 小石丸は古くから日本にいた固有の貴種として大切に守られ、世代を繋いできた。そして皇后は、小石丸を育てることを通して、国民に心を寄せる皇室の務めが途切れることなく、安定的に続いていくことを果たそうとされているように感じる。

 小石丸に託された皇室の、いや皇后陛下たちの願いは1000年の時を超えて、悠久の歴史の渦中に今も私たちが生きていることを教えてくれているような気がするのだ。