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ビジネス交渉術の視点から見るラローシュ引退事件「家族か野球か」の択一としか捉えられなかったことが問題

豊浦彰太郎Baseball Writer
きっぱり引退の道を選んだラローシュだが・・・(写真:USA TODAY Sports/アフロ)

シカゴ・ホワイトソックスに在籍していた通算255本塁打のアダム・ラローシュの奇妙な引退事件をご存知だろうか。国内のメディアでも報じられたので目にされた方も多いとは思う。メ一杯要約すると、スプリングトレーニング中に息子をクラブハウスに毎日連れて来ることの自粛を球団幹部から求められたラローシュが、それに反発し1300万ドルもの年俸を返上し引退してしまったという一件だ。自身の現役キャリアや高年俸よりも家族を選択した、として話題になった。

これはクラブハウスの中で起きた問題で、詳細に至るまでの事実関係は当事者しか分からない。したがって、あくまで「報道されている部分だけで判断すると」という前提に立つのだが、ビジネスマンとしての立場から本件を俯瞰するといささか残念に思うところがある。ここでは、それを述べさせていただきたいと思う。

事の起こりは、スプリングトレーニングも中盤に差し掛かった今月中旬に、ホワイトソックスのケン・ウィリアムズ副社長がラローシュの長男ドレイク君(14歳)の球場への出入りを抑制しようとしたことだ。どうやら、一部の選手から苦情があったらしい。

ウィリアムズは「毎日連れて来るのではなくて、せいぜい50%くらいにしてくれ」と依頼したらしいのだが、「最終的には完全自粛を求めた」という報道もある。また、ラローシュが2014年オフに同球団と2年契約を結ぶ際に、ドレイク君の「出勤」は口頭ながら合意事項だったようだ。

引退に当たってラローシュは声明を出しているのだが、それは「家族を取るか、野球を取るかという選択に迷いはなかった」という主旨だった。

実はこういう思考が残念でならない。どうして「家族か野球か」という両極端な選択の問題と解釈してしまったのか。家族と野球という彼にとってともに大切なものを両立するにはどうすれば良いか、という発想はなかったのだろうか?

ウィリアムズは「家族を毎日連れてくるな」と言ったかもしれないが「いやなら辞めろ」とまでは言っていない(と思う)。いや、仮にそう言われたとしても額面通りに”Take it or leave it”の選択と捉える必要はなかったと思う。

ラローシュが毎日ドレイク君を球場に連れて来ていたのは、「学校に通うより、ここ(クラブハウス)でははるかに多くのことが学べる」からだと彼は語っていた。ということは、彼は自身のキャリアや大金を放棄してしまっただけではなく、息子さんのためにとても大事だったクラブハウスで過ごす時間すら捨て去ってしまった、とも言える。

彼は、ウィリアムズからの要請を受けるか辞めるか判断すべきと真っ正直に考える必要はなく、自らも多少譲歩し、相手にも要求のディスカウントを求めるという戦法もあったはずだ。交渉に勝利するとことには、妥協できる範囲で痛み分けを勝ち取ることも含まれると思う。

仮にウィリアムズが、最後は「一切連れて来るな」と言ったとしても、当初は「連れてくる頻度を下げて欲しい」と言っていたことを指摘し、ドレイク君の同伴率を6~7割に留めるというところに「落しドコロ」を求めることは可能だったと思う。そうすれば、自身の現役生活、高額年俸とドレイク君とクラブハウスで過ごす時間を鼎立することもできた。それでは憤懣やるかたない部分も残ったかもしれないが、それがオトナの選択だと思う。いや、一切の妥協すら受け入れたくない、というのなら本件を選手会に訴え、世界最強の労組をバックに球団と断固戦っても良かったと思う。

しかし、ラローシュは妥協点を探ることも戦うこともしなかった。その結果、キャリアも年俸も息子さんとクラブハウスで過ごす大事な時間も失った。賢明な対処だったとは思えない。それもこれも、ハナっから「家族か野球か」という二者択一の問題としか捉えなかったからだと思う。

いずれにせよ、ラローシュは自ら引退の道を選択した。ひょっとすると、「球団を困らせてやれ」との思いも少しはあったのかもしれない。しかし、過去9度20本塁打以上を記録したスラッガーも昨季の打率/出塁率/長打率は.207 / .293 / .340で、WARに至っては-0.8でしかなかった。そんな36歳が1300万ドルもの年俸を自ら放棄してくれたのだ。彼が引退を選択したことでもっとも得をしたのは、実はウィリアムズとホワイトソックス球団だったのではないか。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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