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藤井聡太棋聖の「角換わり」攻略の難しさと対戦相手の苦悩

遠山雄亮将棋プロ棋士 六段
記事中の画像作成:筆者

 6月5日、第94期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第1局が行われ、藤井聡太棋聖(20)が挑戦者の佐々木大地七段(28)に勝利しました。

 藤井棋聖は初めての海外対局を白星で飾り、棋聖4連覇に向けて好スタートです。

 振り駒で先手になった藤井棋聖は得意の角換わりを選択しました。

 佐々木七段の対抗策に対して早い段階で藤井棋聖がリードを奪い、もつれる場面もありましたが、藤井棋聖が勝利を収めました。

令和の基本図

「第94期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第1局 主催:産経新聞社、日本将棋連盟」 ▲藤井聡太棋聖ー△佐々木大地七段 37手目▲2九飛まで
「第94期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第1局 主催:産経新聞社、日本将棋連盟」 ▲藤井聡太棋聖ー△佐々木大地七段 37手目▲2九飛まで

 本局の序盤は角換わりの令和の基本図に進みました。角換わりにおける重要な局面であり、プロが積極的に研究している形です。

 ここ一年ほど、藤井棋聖は先手番で角換わりを選択するとこの基本図を目指します。そしてこの図における勝率が高いことが知られています。

 将棋AIの対戦でもこの基本図がよく登場します。そしてこの局面から強い将棋AI同士が対戦すると先手の勝率が驚異的に高いため、

「角換わりは先手有利なのではないか」

 そんな説も広まっています。

 この辺りの事情は、先日Yahoo!に書いた記事に詳しいです。

将棋ファンはなぜ「角換わりは終わった」説に注目するのか?「矢倉は終わった」と何が違うのか?

 この基本図から後手には選択できる作戦が8つほどあります。

 その中から佐々木七段は△4一飛という手を選びました。

 将棋では玉と飛車が接近しない方が好ましいというセオリーがあり、それを無視した異端の手です。

 とはいえこの△4一飛はタイトル戦で渡辺明九段(39)が藤井棋聖に対して採用するなど、トップ棋士が有力とみている手法でもあります。

 佐々木七段の△4一飛に▲4五桂と藤井棋聖が仕掛けて戦いが始まりました。

藤井棋聖の新手

 しばらく公式戦での前例もある定跡通りの手順に進み、藤井棋聖が先に工夫の手を出しました。

「第94期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第1局 主催:産経新聞社、日本将棋連盟」 ▲藤井聡太棋聖ー△佐々木大地七段 55手目▲3八桂まで
「第94期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第1局 主催:産経新聞社、日本将棋連盟」 ▲藤井聡太棋聖ー△佐々木大地七段 55手目▲3八桂まで

 後手が4筋を狙って攻めてきたのを▲3八桂と指して進撃を阻止しました。

 過去の公式戦で前手の△4五歩まで1局だけ前例があり、先手の棋士は▲5八桂と指していました。

 ▲3八桂も▲5八桂も4六を守る意味合いはありますが、通常の感覚では▲5八桂と指したいところです。どちらでもいいなら、駒が中央にいたほうが有利に働くからです。

 しかし藤井棋聖は▲3八桂と指すことで相手の攻めを封じられると判断しました。

 具体的な例として、図から△4六歩▲同銀△4七歩▲同金と進むと、3八に桂がいればそれ以上の追撃はありませんが、桂が5八にいると△3八角の飛金両取りが痛打となります。

 時間の使い方を検証すると、佐々木七段もこの▲3八桂は研究範囲だったようで、互いの研究の深さを垣間見ることが出来ます。

挽回できないリード

 中盤でリードを奪ったのは藤井棋聖でした。

「第94期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第1局 主催:産経新聞社、日本将棋連盟」 ▲藤井聡太棋聖ー△佐々木大地七段 62手目△4五飛まで
「第94期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第1局 主催:産経新聞社、日本将棋連盟」 ▲藤井聡太棋聖ー△佐々木大地七段 62手目△4五飛まで

 この図で藤井棋聖の指した▲4六桂△4三銀▲3七金という手順が巧みでした。

 3八に打った受けの桂が見事な活躍をし、相手の飛車と玉を同時に攻める格好を得たのです。

 後手は玉と飛車が接近している弱点を突かれる形となり、各種メディアでの将棋AIの数値も藤井棋聖有利と示すようになりました。

 ▲3八桂と指したところではほぼ互角でしたが、わずか8手後には藤井棋聖が有利になりました。つまり佐々木七段にこの数手の間に小さなミスがあり、それによって藤井棋聖に形勢が傾いたのです。

 そして藤井棋聖はこのリードを最後まで守り抜き、勝利を収めました。

 マラソンで例えるなら、最初の10kmで奪った100mのリードを、途中で縮まったり広がったりしながらも、42.195kmのゴールまで抜かれずにキープした、そんな一局でした。

第2局は23日に

第2局は23日に行われる。佐々木七段の先手、藤井棋聖の後手と決まっている
第2局は23日に行われる。佐々木七段の先手、藤井棋聖の後手と決まっている

 研究から外れたところでの小さなミスでリードを奪われ、そのリードをひっくり返せずに終わる。対戦相手からすれば非常にシビアな状況であり、藤井棋聖の角換わりを打ち破る難しさを感じた一局となりました。

 佐々木七段は第64期伊藤園お~いお茶杯王位戦七番勝負でも挑戦を決めており、藤井王位と対戦します。

 この後も藤井棋聖が先手番の際に佐々木七段はどう対抗するか課題となります。

 相手の得意戦法を避けない佐々木七段ですが、後手番で角換わりを受け続けるのか、それとも別の戦略を試すのか、注目のポイントです。

 藤井棋聖は好スタートを切りましたが、内容的には不満が残る部分もありそうです。対局日程が詰まっているため、調子を落としているかもしれません。

 本局はベトナムで行われ、対局後は観光の予定もあると伝えられており、藤井棋聖にとって恵みの時間になりそうです。

 第2局は6月23日(金)に行われます。

 今度は佐々木七段の先手番です。武器とする相掛かりを選択するはずです。どんな戦いぶりを見せるでしょうか。

 対局間隔が開くため、藤井棋聖もリフレッシュして臨んでくるでしょう。相手の得意戦法に対してどんな作戦をぶつけるのか、ぜひ注目してください。

将棋プロ棋士 六段

1979年東京都生まれ。将棋のプロ棋士。棋士会副会長。2005年、四段(プロ入り)。2018年、六段。2021年竜王戦で2組に昇級するなど、現役のプロ棋士として活躍。普及にも熱心で、ABEMAでのわかりやすい解説も好評だ。2022年9月に初段を目指す級位者向けの上達書「イチから学ぶ将棋のロジック」を上梓。他にも「ゼロからはじめる 大人のための将棋入門」「将棋・ひと目の歩の手筋」「将棋・ひと目の詰み」など著書多数。文春オンラインでも「将棋棋士・遠山雄亮の眼」連載中。2019年3月まで『モバイル編集長』として、将棋連盟のアプリ・AI・Web・ITの運営にも携わっていた。

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