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人形というかけがえのない“道具”が語り出す寓話のなかの真実(人形遣い・くすのき燕インタヴュー)

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家

古くからの友人のひとりが、人形遣いを生業にしています。

名前は「くすのき燕」。

プロとしてのキャリアはそろそろ40年になろうとしているはずで、いまだに公演で全国を飛び回っているようだから、その界隈では知られた存在。

ボクも彼に誘われて人形劇を観るようになり、片手間ながら勉強を続けて20年以上になったでしょうか。

くすのき燕の取材を始めたのは、1998年に制作された作演出作「シアタートライアングル“Four Seasons”」(2004年にクロアチア開催のウニマ大会でも上演)で、ジャズ演奏(ピアノ・ソロ)とのコラボレーションをやったときから。彼はジャズにも造詣が深く、手がける作品にはジャズ演奏を思わせる即興性がふんだんに盛り込まれていると感じています。

今年の年賀状に「東京・新宿で公演があるから観に来ないか」とあったので、2月14日の日曜日に芸能花伝舎で開催された「1年1組パペットシアター」シリーズの人形芝居 燕屋公演「グリムのかばん」を鑑賞しました。

2度目の緊急事態宣言発出中(2021年1月7日〜)でもあり、観劇がはばかられるような状況でありながら、新型コロナ感染予防対策を徹底した会場は(ソーシャルディスタンスを確保した座席配置でしたが)親子連れで満席。ボクも子どもたちと一緒になって笑ったり唸ったりしたのでした。

終演後のトーク・セッションにも参加させてもらい、「おもしろいイヴェントでした」では終われない心境になったので、ビデオ会議システムZoomを使い、長野・松本に戻った彼に、演目のこと、人形劇のこと、コロナ禍の活動のことなどを語ってもらうことにしました。

会場の芸能花伝舎(筆者撮影)
会場の芸能花伝舎(筆者撮影)

♪ 芸名の由来は“少数派”のシンボル

──くすのき燕さんは「人形芝居 燕屋」という名称で活動していますが、これは屋号?

そうです。

──公式サイトのプロフィールを見ると、2005年にエツコ・ワールドを退社して独立されていますが、そのときに名乗ったのでしょうか?

そうですね。そのときに、わかりやすい名前にしようと思って付けました。

──それ以前から“くすのき燕”という芸名でやっていたんですよね。

ええ、20代のころに小劇場っぽい感じの人形劇をやったときに、「芸名があったほうがいいんじゃない?」って話になって、それでとりあえず付けるか、と。本名を平仮名にして、それになにか加えようと考えていたときに、一緒に活動していた劇団の連中から「“ツバメ”でいいんじゃない?」って言われたから、まぁいいかと思って付けましたが、まさかこんなに長く使うとは(笑)。

──くすのきさんが東京ヤクルトスワローズのファンだということが周知されていたんですね(笑)。

そうそう。だから、付け方としてはイージーなんです。いまだにちゃんとスワローズの応援に行ってますよ。さすがに昨年は行けなかったけど。

この職業のおかげで、神宮球場だけじゃなく、甲子園とかほかの球場にも、その土地で自分の公演があるときに観に行けたりしてます。

──人形劇とスワローズになにか関係があるとか?

いや、なにもない。人形劇もスワローズ・ファンも、どちらも世間の少数派だってことぐらいかな(笑)。

「いばら姫」上演中(筆者撮影)
「いばら姫」上演中(筆者撮影)

♪ 2月14日の公演「グリムのかばん」について

──「1年1組パペットシアター」での公演を拝見しました。これは、一般社団法人全国専門人形劇団協議会が主催で、東京・新宿の芸能花伝舎(旧・淀橋第三小学校)を舞台にさまざまな人形劇公演を行なうシリーズと認識しています。

だいたい2学期から3学期の、毎月第2日曜日か第3日曜日というペースで毎年やっているイヴェントですね。けっこう長く続いているはず。僕はもう5回目ぐらいの出演になるかな。

──上演後に「げきみてトーク」という、同業者をまじえての反省会というか劇評会にも参加させていただきました。

あれは、最初のころは「批評対話」って言ってたんです。この「1年1組パペットシアター」に出演する劇団はすべて「げきみてトーク」もやってくださいという“条件”になっているんですよ。とてもいい試みだと思っているんですけどね。

──人形劇公演の規模の大きさからすると、あのような上演後の交流会みたいなことはやりやすいのかなと思いました。それに、褒め合うだけじゃなくて、視点の違いをその場で指摘しながら意見を交換できるのはとても有意義ですね。

もともとは児童劇団がやり出したんだけど、北欧ではすごくシステム化されていて、「批評対話」をするための項目が記載された“クオリティペーパー”という一覧があるんですよ。そのチェック項目に沿って、上演された内容の意見を交わす、みたいな。

それまでも“合評会”みたいなことはやっていたけれど、だいたいは悪口言われたみたいな空気になって後味が悪かった。でも、北欧の“クオリティペーパー”のシステムを日本にもってきた大阪の劇団の人たちの「批評対話」はすごくいい感じだった。

“クオリティペーパー”があることで、上演劇団に対する敬意を失わずに意見を言うことができたり、上演内容をより掘り下げてフィードバックできるから、「これはいい!」ってみんなもやり始めたんです。

関西ではいまだに「批評対話」って言っているけど、関東ではなんだかカタい呼び方だから「“げきみてトーク”でいいんじゃない?」って、わりとイージーに決まりました(笑)。

まぁ、呼び方はどっちでもよくて、要するにどんなことをやるか、内容が大事ですよね。

──参加者に制限は?

基本的には人形劇関係者に居残ってもらい、観客を入れるかどうかは上演劇団の判断によるかな。

──有意義とは感じたのですが、一方でそれぞれが人形劇の専門家であり、自分の背負っている劇団やバックボーンに影響された視点をもとにした意見をぶつけてくるので、収め方が難しいようにも感じました。くすのきさんは演者としてあの席に居たわけですが、それぞれの意見をどう受け止めようというスタンスだったんですか?

僕はね、「げきみてトーク」が上手くいくかどうかは、コーディネーターと上演劇団の姿勢次第だと思っているんです。

第一に、上演劇団が“守り”に入っちゃうと、ああいうことを実施してもなんの益にもならない。

基本的には、僕の芝居のためにみんながわざわざ居残って、いろんなことを指摘してくれるわけですよね。だから、ありがたい機会なんです。そう思っていないと、自分も居残って聞いている意味がないですよね。

「文句を言われる」とか「がまんして聞かなくちゃ」と思って構えてしまうのでは、なんの実入りもないですからね。

──指摘に対して言い訳に徹する場にしてしまったら、もったいない、と。

そう。それだと居残った人もおもしろくないし、演者の役にも立たないからね。

ぶっちゃけ、意見のなかには「う〜ん、違うんだけどなぁ……」ということもあるけど、そういう指摘があることもありがたいわけだし。

すでにやってみたけどダメだったこともあったりするんだけど、その意見をもとに修正したり、それを試して上手くいかないならまた戻せばいいんだから、「げきみてトーク」をぜんぶ鵜呑みにする必要はまったくないわけですよ。それより、ヒントになることがいっぱいあるからね。

とにかく、“意見してくれる気持ちがありがたい”という姿勢がないと、それこそ対話じゃなくなるし、会話としてダメですよね。そうなると意見も出てこなくなるし、本音が見えなくなるから時間のムダになっちゃう。

批評対話では、「質問することで本人が気付くようにもっていく」が基本的なルールなんですよ。「自分はこうしない」じゃなくて、「なんでアナタはそうしなかったの?」というふうにね。そうやって会話を広げていく配慮は必要だと思っています。

そういうことを参加者も認識しているから、わりと良い雰囲気で、理知的にやれているんじゃないかな。

──「1年1組パペットシアター」は幼児・児童向けだからこそ、大人というか専門的視点での批評もないと発展性が潰されてしまうということでしょうか。

そう思います。子どもたちって、基本的には批判的に人形劇を観ていないからね。つまらなかったら舞台を見ずに駆けずり回り始める、という“過酷な評価”をすることはあるけど(笑)。

観客としては、前提が好意的な人たちだと思うので、やっているほうも勘違いしやすいんですよ。特に、テクニック的な面とかがね。子どもたちって、人形劇の人形を“生きている”と見る力が強いので、多少操作が下手でも、劇として成立しちゃうところがあったりする。

そういう点でも、人形劇のつくり手側の視点がないと危険だなと思うんです。

それこそ、“子どもだまし”から脱することができなくなっちゃうから。

「グリムのかばん」導入部(筆者撮影)
「グリムのかばん」導入部(筆者撮影)

♪ 人形劇における人形遣いの立ち位置について

──今回、「1年1組パペットシアター」で人形芝居 燕屋が上演した「グリムのかばん」は、いつごろ作ったものですか?

2008年かな。だから13年ぐらい前ですね。東京から松本に移って初めて作ったひとり芝居です。

これ、作るのにすごくタイヘンだった。初演を終えてホッとしたのか、熱出したもん(笑)。

──グリム童話の「いばら姫」「赤ずきん」「漁師とその妻」の3つで構成されていますが、これも最初から?

基本的に大きくは変えていません。

──「げきみてトーク」のときに言ってましたけれど、3つの違ったスタイルの人形劇を見せたいんだ、と。どういう発想から、あの3つの話を異なるスタイルでやろうと思ったんですか?

オブジェでやろうというのが、おそらくいちばん最初にあったんだと思う。でも、オブジェだけだと、「人形劇ってそういうものなんだ」と思われるかもしれないし、それは本意じゃないんですよ。

だから、人形も出しておこうかな、と。まぁ、そこまで気にしたわけではないけれど、「人形劇なのに人形が出てこないのかよ」って文句言われるのも、ねぇ(笑)。

まとめていくうちに、人形劇のバラエティみたいになるんじゃないかという手応えがあったし、導入部も一般的な人形劇じゃない始まり方をするので、いいんじゃないかなと思ったわけです。

──ボクも観るのは2回目ですが、あの導入部はハッとしますよね。というか、それがないと“かばん”の意味が薄れてしまう。それだけに、“演技力”が必要になるんじゃないでしょうか。

そこは心配事のひとつですね。「げきみてトーク」で「観客との同意ができているか」について僕から聞いたのは、あの部分だけ人形劇ではなく“人間の芝居”なので、それが受け容れられているのかが知りたかったから。

言ってしまえば、いままで人形劇をやってきたわけだから、人形で芝居したほうが楽というか自信はあるわけ。でも、人間としての芝居には自信がないので、確かめたくなるんですよ。

上演後に、子どもを連れてきた親御さんたちから「本当に(人形を)忘れたんですか?」って聞かれると、「よし、上手くいった!」って安心しています(笑)。

──同業の方からは、いわゆる“黒子”ではないことについて指摘がありましたね。

いまのプロの人形劇では、“黒子”にしないほうが圧倒的に主流なんですよ。アマチュアは隠れたり、黒子が多い。プロの芝居は人形遣いが見えるスタイルでやることが圧倒的に多いので、その指摘が「なぜ黒子ではないのか」ということではないんです。

人形遣いにとって、「気配を消す」という言い方があるんだけど、消せていたのかどうかということ。

「グリムのかばん」は、消したい部分と自分が自分として語っている部分があって、むしろ消さないで前に出たいというところがある芝居なので、その“消えたり見えたり”する切り替えが上手くいっていたのかという感想を聞きたかったんです。

欲を言えば、上手く“消えたり見えたり”するテクニックを洩らしてくれないかと期待していたんだけど、みんなそのあたりはポロッと喋ってはくれなかったね(笑)。

──文楽の主(おも)遣いも“見えて”いますが、それとは違う?

いや、一緒です。文楽でも名人は人間がどんどん消えていくから。

──でも、消えたままですよね。決して表情を表わさないし。

そう、襲名かなにかで“ご挨拶”とかしないかぎりはね。

僕の芝居は基本的にこういうパターンが多いんだけど、人形に対して「ここは登場人物として居てくれ」「ここは人形遣いがしゃべるから休んでくれ」って。

演出していても、それを意図的にやっているということなんです。

最終的には演じ手の好き嫌いかもしれないけれど、人形遣いがどういう立ち位置にいるのかということについては、おそらく普通の人形遣いの人よりも気にしていて、演出を手がけていることが影響しているんじゃないかと思います。

「赤ずきん」上演中(筆者撮影)
「赤ずきん」上演中(筆者撮影)

♪ オブジェクト・シアターという表現方法について

──顔を見せる“出遣い”は、「げきみてトーク」でも話題になっていた“オブジェクト・シアター”(人形の代わりに物体をそのまま物体として使った新しい試み)とも関係しているんじゃないでしょうか。

1本目の「いばら姫」は特にモノの性質を残してやっていて、例えば「踏み潰してやる!」というセリフがあるからジャガイモを潰す道具であるポテト・クラッシャーを使ったりしています。

だから、話全体の流れでは登場人物に割り当てられるけれど、その瞬間は僕が使っている“道具”になる。“道具”になっているときにはそれを使う人間、つまり僕の存在が必要になるんですね。すぐに芝居に戻るにしても、そうじゃないと話が成立しないから。

発想としては、オブジェクト・シアターでやろうと思ったのか、演出を考えているうちにそうなったのか、どっちが先かはわからない。もはや渾然一体となって浮かんだんだと思うけどね。稽古していくうちに、はっきりとそこで「分けなければ」と思ったことは確かです。

──わかりづらくならないようにという配慮から?

というか、例えば「いばら姫」の「あれからちょうど100年の月日が過ぎたのです」って言ってるのは語り手でしょ。そのときは客席へ目線を向けて観客にちゃんと語らなければダメだし、魔女が「えへへ」と笑うときは、魔女が笑っているように見えなければダメ。

そういう部分は意図的に分けないと。特に僕自身の目線に関しては、人形を通じて見ているのか自分がダイレクトに見るのかを、かなり意識して演じ分けています。そこを曖昧にしちゃうと、劇が成立しづらくなると思っているから。

──落語の“演じ分け”みたいな話ですね。

ああ、そうですよね。落語でも地の部分を語るときは正面を向いて、登場人物は左右を向くことで演じ分けてますね。そういうのは引出しとして自分のなかにあるのかもしれない。

──話をオブジェクト・シアターに戻しますが、大人にとって“道具”は道具にしか見えないことが多いけれど、子どもにとってはそれが勝手に動き出しても、そんなに違和感がないのかもしれないと思っていて。

そうだと思います。

──TVの変身モノだって、なにかと合体して別のものになるとか、それがすごく当たり前の世界を見ながら育っているんじゃないのかな、と。

それもあるだろうし、それ以前にも例えば積み木でガタンガタンと電車遊びをしていたかと思ったら、ブーブーって言い始めて自動車に変わっていたりするからね。だいたい1歳ぐらいからそういう遊び方ができるようになるらしいんだけど。

僕たちが人形を遣うときには、ぬいぐるみごっこで遊ぶ子どものセンスが必要だ、と強く主張している人もいるぐらいなんです。

──それは、受け手側に必要だと?

いや、遣い手として人形と遊ぶということ。そういうスピリットが必要だ、と。だから、子どもにとってオブジェクト・シアターは、比較的なじみのある表現方法なんだと思うんですよ。

──遣い手がモノと遊んでいるようすを子どもがシンパシーを感じておもしろがっている、ということですか?

いや、子どもにとって違和感がない世界なんじゃないかと思っているんです。そこに意味を付け加えるまではね。

ハサミだから“切れた”という話になるというのは、意味を知っていなければ成り立たないでしょ。

そういう“言葉遊び”ができるようになるには、積み木遊びをしているよりも学年が上にならないとね。

でも、モノをなにかに見立てて遊ぶというのは、3歳レベルでやっていることなんですよ。

この話を作った最初のころに、フォークが出てきたところで王様が「う〜ん、子ども、欲しいな」って言う場面で、観ていた女の子が「わっ、フォークがしゃべった!」って言ったんです。それ、すごく嬉しい反応なんですよね。あとで聞いたら、3歳の子だったって。

だって、客席からはどう見ても僕がしゃべっているように見えていたはずなのに、「フォークがしゃべる」と思ってくれたということですからね。

──子どもならではの“視野の狭さ”が関係しているんでしょうか。

それも多少はあるかもしれませんね。あと、情報処理能力にも関係していると思います。一度にいろんなことを処理できないから。

いずれにしても、人形劇って、モノが生きているかのように見えるということが基本なので、そのひとつのありようがオブジェクト・シアターだ、というぐらいに考えているんですけれど。

人形遣いのなかでは、人形は道具なのかそうじゃないのかという論争があるんだけれど、僕はどちらかといえば道具派なんですよ。愛着はすごくあるけれど、大事な道具。

そこに魂があると言う人もいるのは理解できるんだけれど、いずれにしても人形劇っていうのは、人形=モノで表現するというのが僕のなかの定義なんです。

──形代(かたしろ)ですね。

そうそう。だから、人のかたちをしていなくてもいいんだと思う。

珍しいヨーロッパ・スタイルの木彫り人形を使った「漁師とその妻」(筆者撮影)
珍しいヨーロッパ・スタイルの木彫り人形を使った「漁師とその妻」(筆者撮影)

♪ コロナ禍における人形劇と不要不急

──2020年はどう過ごされていたんですか?

4〜5月はやさぐれていました。どうせオレたちは不要不急だゼ、なんてね(笑)。

──スケジュールは入っていたんですよね。

入っていました。でも、その期間は電話を取るたびにキャンセルの連絡ばかり。だから4〜5月は1本も、いや、2月から4ヵ月はぜんぜん上演できなかった。

4月に、屋外ならいいかと思って役所の公園課とかに相談したんだけど、許可を取るのが面倒くさくてね。

そのころにある知り合いがあいだに入ってくれて、商業施設の周囲でやることになったんだけれど、まったく人通りなくてビックリしたことがあったなぁ。あとで施設の人に聞いたら、志村けんさんが亡くなってから(2020年3月29日逝去)こうなったって言ってました。

6月の終わりに屋外上演をやったのが(1度目の緊急事態宣言)解除後の第1弾。もう何年も屋外上演はやっていなかったんだけれど、秋ぐらいまでけっこうやりましたね。

それから、入院中の子どもたちに人形劇などを観てもらう「ゆいの会」というのがあって、それで昨年、浜松の病院での上演を観てくれたご家族からから、「コロナで出かけられないので、自宅でやってくれませんか」という依頼があったんです。そこで、家の中だけじゃなくて、庭も使ってやることにしたんだけれど、おじいちゃんからおばあちゃん、隣の人まで観に来てくれた。

それまではニュースで不要不急って聞くとイライラしていたけど、その上演のおかげで、自分がやっているのは不要不急なことじゃないと思えたのは、マインド的に大きな出来事だったと思っています。

僕は学校公演をほとんどやっていないからそれほど影響はなかったけれど、学校公演をやっている劇団はタイヘンだったようです。それも、自治体によって対応が違うから、それに合わせて計画しなければならないしね。

──前年比だと?

半分ぐらいかな。僕は良いほうだと思う。ひとり芝居とか外でもできたからね。

──大仕掛けだったり、出演者が多いと無理なことも多かったんですね?

そうそう。外だとまず、幕を張れない。風に弱いからね。肩掛けみたいなスタイルならもともと大道芸だから、対応できるわけ。

──そういえば、今年の夏に完成予定の新作があるそうですね。

筒井康隆の短編「夢の検閲官」を人形劇にして上演する予定です。もう美術家には人形を作ってもらっていて、とりあえず人形遣い2名で構成しようと思ったんだけど、いろいろと調整中です。

人間と人形が共演するというヴァージョンに書き換えたりして、そうすれば“夢の中の裁判”という場面で登場人物が入れ替わってもやりやすいんじゃないかと、試行錯誤中です。

まぁ、ヒマだから、台本はいろいろ直せますよ(笑)。

──自粛期間は自由になる時間が増えたからクリエイティヴになれたと、いろんなアーティストが言ってますよね。あとは生まれた作品を発表できる準備が現実の社会でできるのを待つだけというか……。

そうそう。稽古も難しい状況ですからね。

──このコロナ禍を経験して、抱負はありますか?

東日本大震災のときは「森と夜と世界の果てへの旅」(デフ・パペットシアター・ひとみ結成30周年記念作品)を演出して、そこに僕なりのレクイエムを表現したんだけれど。

──死の世界を扱った作品でしたよね。

ええ。あのときだからできたことというのがあった。

このコロナの状況については、いまの段階ではまだ自分のなかでカタチにはなっていないですね。もうちょっと、時間が必要かな。

芝居って、三密でナンボじゃないですか。だから、なんとか元に戻ってほしいという気持ちしかないんですよ。

もちろん、ネット配信とかいろいろな上演手段も考えていますけれど、映像作品と演劇はやっぱり別なんじゃないかなと思っています。

──また、上演を楽しみにしています。本日はありがとうございました。

写真=くすのき燕(公式サイトより)
写真=くすのき燕(公式サイトより)

Profile

くすのき 燕(くすのき・つばめ)

NPO法人日本ウニマ[国際人形劇連盟日本センター]会長/日本人形劇人協会会員/全国児童青少年演劇協議会会員/全国専門人形劇団協議会加盟(人形芝居 燕屋として)

1961年、東京都出身。1985年、信州大学人文学部心理学専攻卒業。1987年、プーク人形劇アカデミー卒業。

出演・作・演出・制作・海外劇団の招聘など人形劇の領域を幅広く経験。そのフィールドも、こども劇場・おやこ劇場・幼稚園・保育園・学校・図書館・病院から神社仏閣教会・博覧会・市民祭などのイベント会場、ビデオやテレビと広く、国の内外を問わない。

現在、長野県内はもとより、全国で人形劇の上演、ワークショップのほか、映像出演や他劇団の演出を多数行うなど多面的な活動を展開中。

人形芝居 燕屋(つばめや)公式サイト https://tsubame.net

終演後もみんな人形に興味津々(筆者撮影)
終演後もみんな人形に興味津々(筆者撮影)

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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