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映画「声優夫婦の甘くない生活」にはフェリーニ映画とは違った“難解な”男女関係や国際問題が描かれていた

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家

「声優夫婦の甘くない生活」チラシ(筆者スクリーンショット)
「声優夫婦の甘くない生活」チラシ(筆者スクリーンショット)

「声優夫婦の甘くない生活」のアウトライン

時は1990年、ソヴィエト連邦崩壊を前にした混乱のなかで、多くのロシア人がイスラエルへと新天地を求めて移動していった。主人公夫婦の夫・ヴィクトルは、旧ソ連では名の知られた映画吹き替えの声優でしたが、生活のために移住を決断。

しかし、イスラエルではロシア語での吹き替え市場が確立しておらず、役所のビラ貼り作業くらいしか職がない、という現実にぶち当たってしまいます。

ソ連時代には仕事に打ち込む夫に仕えるため、仕事も子どもを作ることも控えさせられていた妻・ラヤも働き口を探すが、新聞の求人で“声の仕事”だと思って訪ねて行くと、そこはテレフォンセックスのホステス役の電話待機所。

夫に比べると声優としてのキャリアを積み損ねた彼女でしたが、電話を受けると豹変し、一躍人気ナンバー・ワンの“テレフォンセックス嬢”となってしまいます。

一方の夫は、ビラ貼り中に見つけたレンタル・ヴィデオ店でロシア語吹き替えのニーズがあることを知るのですが、上映中の作品を盗撮して吹き替え作品(レンタル用のVHS!)を勝手に作るという、犯罪の片棒を担がされることになってしまいます。

こうして夫婦それぞれが、“声の仕事”に固執することで巻き起こしていく事件を乗り越えながら、彼らが新天地に求めていたはずの“夢”を改めて思い出す──という、コミカルながら国際問題や家庭内問題を洒脱に織り込んだ“再生”のストーリーです。

「声優夫婦の甘くない生活」の移民問題

声優夫婦が生活を営みキャリアを重ねていたソヴィエト連邦は、1991年12月に解体。政情不安が表面化した1989年ごろから国外脱出するロシア人が急増。

イスラエルは、祖国をもてず世界中に散らばっていたユダヤ人が“戻るため”1948年に建国された国で、ソ連共産党政権によって閉じ込められていたユダヤ人はタガが弛み始めたそのころからイスラエルに移住するようになり、1990年代の10年間でイスラエルの人口の20%、100万人のロシア移民を受け入れたそうです。

本作でも、夫婦を乗せてイスラエルに着陸した飛行機は団体旅行のチャーター機さながらで、テルアビブに移民街を形成するほどの社会現象となっていたことをうかがわせます。

これは30年も前の話──で済まないのは、今世紀に入って減少していた移民数が、この5年ほどで再び増加傾向にあるから。欧州やロシアの経済危機、ウクライナ内戦がその原因となっているようです。

「声優夫婦の甘くない生活」の中東問題

ペレストロイカ(社会主義の再生を掲げて1980年代後半にゴルバチョフ大統領が採った政策)による混乱から逃がれるためにイスラエルをめざした夫婦でしたが、その“新たな祖国”もまた、軍事的緊張が日常を支配する地域にありました。

1990年8月、イラクがクウェートへ侵攻したのをきっかけに、国際連合が多国籍軍(連合軍)を派遣、世に言う湾岸戦争が勃発します。

1991年1月には、イラクのフセイン大統領がイスラエルに向けてスカッドミサイルを発射。この攻撃で死傷者が出ています。

本作で、入国したロシア移民にガスマスクが配布されるようすが描かれていますが、これもリアルエピソードだったようです。

ミサイルが夫婦の距離を縮め、ガスマスクという“障害”を取り払って、埋もれていた“愛”を見つけ出す──という心憎い演出も。

「声優夫婦の甘くない生活」の夫婦問題

アウトラインでも触れましたが、夫・ヴィクトルは芸術家肌で、どちらかといえば家庭を顧みない亭主関白なタイプ。それに対して妻・ラヤは、ソ連時代は夫唱婦随だったものが、イスラエルで自立する女性たちの姿に触れることにより一気に目覚めていきます。

妻が“テレフォンセックス嬢”にハマっているところでは、「どんなに混乱した状況でもセックス産業は不滅でありその担い手である女性はふてぶてしい」といったステレオタイプの流れで描こうとするのかと思ったのですが、恋バナを上手く絡めることで“女性の仕事観”の変化を浮き上がらせようとした印象が残りました。監督の手腕といえる部分でしょう。

「声優夫婦の甘くない生活」のフェリーニ問題

映画吹き替えを生業としていた主人公という設定ということもあり、作品中には過去の名作映画が引用されたりしています。

なかでも重要なエピソードとして登場するのが、フェデリコ・フェリーニ監督の「ヴォイス・オブ・ムーン」。

夫・ヴィクトルは、1990年製作のこの映画をイスラエルで上演させるくだりがあるのですが、そこには若かりしころの彼がフェリーニの代表作「8 1/2(8と半分)」(1963年製作)の上演をソ連で実現させたというエピソードが前置きになっていて、生誕100周年のこの巨匠へのリスペクトがたっぷりと含まれている──と意味深だったので、これは見逃すわけにはいかないとボクも「ヴォイス・オブ・ムーン」を観て比べたところ、どう考えても内容的にオマージュと呼べる類似点がなかったことを指摘しておきたいと思います(苦笑)。

ちなみに邦題の“甘くない生活”は、これまたフェリーニの代表作「甘い生活」(1960年製作)を意識したものと思われますね。こちらはグッジョブだと思います(^<^)。

おまけ

どの国のどのようなシチュエーションであっても、“第二の人生”については考えなければならないことがいっぱいあるというのが現実。という意味で、この映画のシチュエーションに共通することがほとんどない日本でも、なぜかいろいろ身につまされる部分が多い、不思議な作品です。

人生に正解はないけれど、なんのために存在するのかわからないもの(=人物)でもそれがあるだけで心の拠り所になることがあるから、意味のない人生はないんだよ、と語りかけているようないないような(^<^)。

公開情報

「声優夫婦の甘くない生活」公式サイト

https://longride.jp/seiyu-fufu

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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