千年の都に響いた「書」と「読経」と「声楽」、そして「ジャズの音」

書:上田普 散華:鈴木康照、清水考彦、山口顕慎、夏井皓栄 撮影:富澤えいち

※公開された動画を記事の最後に添付しました。2019/07/24追加

令和元年7月5日、ボクは19時の開演に間に合うように、新幹線と市営地下鉄烏丸線を乗り継いで、横浜から烏丸御池駅へと向かっていた。

肌寒かった横浜と違い、京都は梅雨らしい生ぬるさと湿気で出迎えてくれた。

めざしたのは京都芸術センター。烏丸通りから錦小路通りに折れて室町通りを上がったところにある、趣のある建物だ。

京都芸術センター photo by Eichi Tomizawa
京都芸術センター photo by Eichi Tomizawa

2000年4月に開設された京都芸術センターは、「芸術を通じた市民と芸術家等の交流を図ること」と「芸術に関する情報を広く発信すること」を目的とした施設とのこと。

開設は19年前だが、建物自体は明治2年に下京三番組小学校として開校された、後の明倫小学校。昭和6年の大改修以来使われてきた校舎が、再利用されている。

建物の2階にある講堂でその夜、開催されるのが「音、沈黙と測りあえるほどに」というコンサートだった。

コンサート会場となった講堂 photo by Eichi Tomizawa
コンサート会場となった講堂 photo by Eichi Tomizawa

1クラス20人が2クラスで6学年とすれば240人。それだけの人数の子どもたちが整列していても窮屈さを感じないほどのスペースの中央に、大きな紙が敷いてある。そして、その周りを取り囲むように100席ほどのイスが並べられ、その夜の出来事に期待した面々が、ほぼ埋め尽くそうとしていたころ、開演の時間を迎えた。

「音、沈黙と測りあえるほどに」とは?

photo by Eichi Tomizawa
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当夜企画された「音、沈黙と測りあえるほどに」とは、京都コンポーザーズジャズオーケストラが作曲家・山本翔太に委嘱した作品の初演を、書家・上田普によるライヴ・パフォーマンスとコラボレーションするというもの。

ジャズのインプロヴィゼーションが墨跡となって目の前に立ち上がるという、アーティスティックな試みである。

しかも演奏側には、ソプラノ歌手・岡本真季と日蓮宗の僧侶4名が加わるという、いわゆるジャズのビッグバンドによるオーソドックスな演奏会からはかけ離れた構成かつ演出が予定されていた。

ジャズと書家や画家らによるライヴ・ペインティングという試みに関しては、これまでも何回か“現場”に立ち会ったことがある。

しかし、パフォーマンスの結果が偏りがちになってしまうというか、すなわち「音楽を成立させる」のか「書や絵を成立させる」のかという“結論”が曖昧というか、言葉は悪いけれど“やり逃げ”になりがちなカテゴリーなのではないかという印象をもっていたりしたのも事実。

それを果たして京都の面々は払拭してくれるのかというのも、今回の楽しみのひとつだったりした。

40分にわたった“沈黙”という名の“ジャズの可能性”

photo by Eichi Tomizawa
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半光沢のロール紙4枚が敷き詰められた講堂中央には、墨と硯が用意されていた。

「きょうはタイトルを付けずに演奏します」という、京都コンポーザーズジャズオーケストラのリーダー・谷口知巳の前説が終わって、演奏が「そろり」と始まると同時に、上田普が硯で墨をする音が場内に広がっていく。

photo by Eichi Tomizawa
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いくつかの墨跡を紙上に残した上田普は、紙の上に歩み出してきたソリストたちの白いシャツにも筆を走らせ始めた。

 photo by Eichi Tomizawa
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曲が進むと、山本翔太のアブストラクトな構成からはみ出すようにソリストたちが紙の上で音を紡ぎ出し、それに感応して上田普が筆を走らせる。

それはまるで、いま出てきた音を墨に取り込んで、その空間に刻もうとしているようにも見えた。

 photo by Eichi Tomizawa
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裸足のバンマスは、オーケストラとソプラノと読経の渾然とした交わりを、バラバラに崩れていかないようにまとめ上げていく。

彼の手には楽器こそないものの、その衣に刻まれた“音”によって、メンバーたちとの合奏を成し遂げていたのではないか──。

 photo by Eichi Tomizawa
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エンディングに近づくと、4人の僧侶が紙の四方に立ち、なにかを撒き始める。

 photo by Eichi Tomizawa
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色とりどりの紙のようなものが、墨の軌跡の上へと降りかかっていく。

これは仏教儀式のひとつ「散華(さんげ)」を模したものだったようだ。

散華はもともと、供養のためにホンモノの花を撒いたもので、これを紙製の花弁に替えていまも続いている。

 photo by Eichi Tomizawa
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その“紙製の花弁”とはこれ。華葩(けは)というそうだ。

衣こく(えこく)という籠状の皿に載せられた華葩を撒くことで「佛は華を以って座とする」になぞらえ、説法などをする際にふさわしい場をつくる。

宗派にもよるが、法要などで身近に接することもある儀式のひとつと言えるだろう。

 photo by Eichi Tomizawa
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演奏が終わると、そこはさながら花筏ならぬ“音筏”と言いたくなるような、繚乱の世界が広がっていた。

ここが、寺社と隣り合った京都という地の特殊性は、もちろんあったのだろう。

しかし、それ以上に、日本の“ジャズが演じられる空間”と“日常的な宗教儀式”をあえて同時に体験させることで、“ジャズというアイデンティティ”に新たな意味をもたせられるのではないか──という谷口知巳の問い掛けは、しっかりとカタチになっていたと思われる。

 photo by Eichi Tomizawa
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出演者

京都コンポーザーズジャズオーケストラ:Leader, Trombone:谷口知巳、Trumpet<ユンファソン、山中詩織、永野雄己、志賀安希久>、Trombone<堤健太郎、餌取雄一郎、玉垣雄一郎、服部陽介>、Sax<大西丈、鈴江愛理、相澤伸介、山内健史、平松太郎> piano 谷口徹、bass 梶山伊織、drums 伊波大輔、ソプラノ歌手:岡本真季、書家:上田普、僧侶<鈴木康照、清水考彦、山口顕慎、夏井皓栄>