Yahoo!ニュース

怪獣のようなわかりにくい名前の解消策が、日本語の歌への扉を開けてくれた。|ギラ山ジル子PROJECT

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家

ジャズ・シンガーとしての枠を飛び越えて活動を展開するギラ・ジルカが、自身の名前をもじったプロジェクトを立ち上げて、アルバムを制作した。

8/15と/16のバースデー・ライヴを前に、本人への取材を交えて、その不思議な名前の付いたプロジェクトの足取りと心境などを追った。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

画像

日本ならさしづめ“喜子”だったのだろう。

ヘブライ語で“喜び”を意味する“ギラ”という言葉を、イスラエル人の父と日本人の母のあいだに生まれたその女の子は名乗ることになった。

長じてステージに上がるようになると、日本では珍しいその名前は、彼女にメリットとデメリットをもたらすことになる。

すなわち、「インパクトがあって記憶に残りやすい」というものと、「わかりにくい」という功罪相償うものだ。

ただし、いくらインパクトがあっても、意味に結びつきにくかったり、名前だと認識されないのでは、恩恵も期待できない。

実際には、ライヴのトークで、それが自分の本名であること、“喜び”というヘブライ語に由来していること、ハリー・ベラフォンテが歌う「ハヴァナ・ギラ」というヒット曲があることなどを“ネタ”にしていたことがある。

その“ネタ”では、「男か女かわかんないとか、ブラジル人とか言われるし」と前振りをしてから、「“怪獣みたい”とまで言われるんですよ」とオチをつけていたりしたので、十分にモトを取っているような気もするのだが、第一印象で「わかりにくい」のは、人前に出る仕事ではあまり喜ばしくない状況であったことは否めない。

そんなある日のライヴ。

いつものように名前の自虐ネタでトークが和んだところに、「じゃあ、もっと日本語っぽくしたらいいんじゃない?」という合いの手が入った。

声の主は、彼女のデビュー作『All Me』から音楽プロデュースを担当し、信頼も厚いギタリストの竹中俊二。

冗談半分で提案された“ギラ山ジル子”というワードは、やがて名前だけではなく、ギラ・ジルカの“歌”というアイデンティティにまで影響を及ぼすテーゼに発展することになる。

2010年、プロの歌手としてデビューしてから18年越しのファースト・アルバムをリリースした彼女は、その肩書きを“ジャズ・シンガー”と定めることにした。

主に日本の場合、ジャズには広義と狭義があるものの、それを名乗るのであれば狭義を用いなければならないという不文律があるようなのだ。

要するに、日本の人のために日本語で歌う歌謡曲のマーケットと、異国の歌であるジャズを看板に商売しようとする人を“区別”しようという狭い了見である。

このバイアスは、ジャズを歌うシンガー自身にも作用してしまうので、単なるマーケットの悪習として片づけられないところに根深いものがあったりする。

ギラ・ジルカもまた、ジャズ・シンガーという自らの選択に縛られ、日本語で歌うことに躊躇いがあったことになる。

その一方で、彼女はそのバイリンガルな才能を活かし、日本語の歌詞を英訳する仕事を以前から行なっていた。

英語で歌えば歌謡曲もジャスの仲間入りなのだ。

ところが、その逆だと仲間入りが敵わない。

このシンプレクスな矛盾を打破、すなわち、“日本語で歌ってもジャズにする”という“壁”を壊すには、物理的な技量や表現力を伴ったうえで、心理的な破壊力も必要とされるから、だれもが簡単に挑戦権が与えられるというわけにはいかない。

“思いつき”ではありえなかった急展開

そこで、ギラ山ジル子である。

無理矢理に日本的な名前を当てはめる(ぜんぜん当てはまってないという意見のほうが多いかもしれないが)という、一見“インパクト優先”な思いつきの裏には、日本語という“壁”を越えさせないようにするジャズという音楽の独自性を欺く、煙幕としての役割を担わせようとしていたフシがある。

わずか数ヵ月後、2015年のバレンタインデーに六本木のライヴハウスで行なわれたステージでは、ギラ山ジル子名義での全編日本語カヴァーを遂行してしまったことからも、それが“思いつき”のレヴェルで彼女に“降りてきた”のではないことがわかるだろう。

おそらく、ギラ山ジル子という別人格を与えられたことで、彼女のなかにあったジャズの抑圧が解け、もっと源流的な音楽的体験とのシンクロニシティが起こったのだ。

ギラ・ジルカの小学生時代は、病床とともにあり、唯一とも言える慰めは親が買ってきてくれた歌謡曲のシングル盤を聴くこと、そしてテレビの歌番組で見たアイドルの姿だった−−。

気がつくと、ジャズ・シンガーという現在の自分の“身の丈”に合ったアレンジをまとった、“ワタシの歌謡曲”と呼べるレパートリーが、たっぷりアルバム2枚分も仕上がっていた。

その年、つまり2015年の秋には、そのレパートリーとなった“自分の分身”とも言える曲たちを記録すべく、レコーディングを計画、2016年には経済面と権利面という最大の難関も突破し、oneとtwoの2枚に分けてリリースされた。

「往年の流行歌のカヴァー企画」「(英語で歌うべき)ジャズにあるまじき」という非難もあるかもしれない。

しかしギラ・ジルカは、あえてその荒波に立ち向かうだけでなく、カヴァーやジャズ・スタンダードという概念を覆せるかもしれないという確信をもって取り組んでいるようにも見える。

ライヴでその歌声と日本語の親和性を体験し、彼女の“確信”を感じてみていただきたい。

ギラ・ジルカBIRTHDAY 2DAYS SPECIAL

今年のバースデイライブはギラ山ジル子PROJECT!発売中の2枚のアルバム全曲やるとしたらなんとライブが2DAYS必要!今回は2日にわたり全曲を披露!  

★8/15(火)渋谷JZBRAT- DAY1

【ギラ・ジルカBIRTHDAY LIVE~ギラ山ジル子PROJECT】

竹中俊二(G,編曲) 中島徹(P) 中村健吾(B) 岡部洋一(Perc) 加納樹麻(D)

ゲスト:矢幅歩(Vo)伊藤大輔(Vo)

https://www.jzbrat.com/liveinfo/2017/08/#20170815

★8/16(水)渋谷JZBRAT- DAY2

【ギラ・ジルカBIRTHDAY LIVE~ギラ山ジル子PROJECT】

竹中俊二(G,編曲) 松本圭司(P) 中村健吾(B) 岡部洋一(Perc) 加納樹麻(D)

ゲスト:矢幅歩(Vo)伊藤大輔(Vo)

https://www.jzbrat.com/liveinfo/2017/08/#20170816

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

富澤えいちの最近の記事