【ジャズ生】橋本一子と中村善郎によるduoは夢と現を彷徨わせるトリップ覚悟の空間に誘った
ちょうど半年のあいだを置いて、観る機会のあったライヴがあった。それはduoと冠された、橋本一子と中村善郎の2人だけのユニットだ。
この2人を「インプロをちりばめた独自の音楽観を繰り広げる語り手」だの「日本におけるブラジル音楽のオーソリティ」だのと、いまさら紹介するのも違和感がある。
それは、それぞれがそうしたイメージを作るべく“邁進”しているようすがまったくないと言っていいばかりか、敢えて外れていくことを楽しんでいるように感じられるからだ。
その印象がこのプロジェクトでは二乗になる。
“あやかしの時”への入口を開いたステージ
実は、半年前に渋谷のJZ Bratで行なわれたステージは、別件の都合でセカンド・ステージに駆け込まなければならなかった。
いま思えば、このduoを体験するのにそぐわない、もったいない振る舞いだったと反省している。
そう感じることができるのも、モーション・ブルー・ヨコハマでのライヴをしっかりアタマからシッポまでしゃぶり尽くすことができたからなのだ。
半年前の中途半端な体験では“気まぐれにまき散らすワガママな2人のぶつかり合い”のように感じていたものが、今回のトータルな体験を通すと“お互いにワガママでまき散らすことを刺激として楽しんでいる“意識のやりとり”が見えるように変わった。
それはつまり、ブラジル音楽をジャズにアレンジしようとしたり、融合したりというスタンスではなく、あるときはどっぷりと相手側の音楽指向に浸かりながら自分のスタンスを遠慮なく出すとどうなるかという、実験的とも言える“交わり”だ。
少しでもズレたり気づかない部分があれば、破綻するかケンカになるところだろう。
しかしそうならないのは、共演歴の長さだけでは説明できない、それぞれの“視線”に関係しているのかもしれない。
その“視線”とは、前すなわち未来に向いているということ。
まどろみに落ちるときのようなような“あやかしの時”へ誘われる感覚を味わううちに、ライヴはエンディングを迎えていた。