[JAZZ訃報]“アルト・サックスのジャズ・レジェンド”フィル・ウッズさん逝去

アルト・サックスの名手としてモダン・ジャズの歴史にその名を刻んだフィル・ウッズさんが亡くなられました。享年83歳。

フィル・ウッズ『クール・ウッズ』
フィル・ウッズ『クール・ウッズ』

ピッツバーグのライヴを最後に引退を表明していたばかりのところへ届いた訃報だったようです。生涯現役でジャズをプレイし続けた人生だったと言えるのではないでしょうか。

フィル・ウッズさんについては、2年ほど前に再発アルバムのライナーノーツを手がける機会があり、ジャズを聴き始めたころからのアイドル的存在の彼について描くことができることをとても嬉しく思いました。

そのアルバムを紹介する文章を、このYahoo!ニュース個人の有料記事に掲載したのですが、追悼の意を込めてその部分だけをここに公開します。

♪今週の自画自賛~フィル・ウッズ、大西順子、ロン・カーター『クール・ウッズ』

3.11東日本大震災直後も予定通りに来日して“Mr.ダイジョウブ”と呼ばれたほど日本びいきのアルト・サックス奏者、フィル・ウッズが1999年に制作したスタジオ録音のアルバムです。

限定発売された最新の24bitリマスタリング盤のライナーノーツを富澤えいちが執筆しました。

フィル・ウッズは“チャーリー・パーカーの後継者”として注目のデビューを果たしましたが、一方でレニ・トリスターノ譲りの複雑な和声を駆使してクール・ジャズの急先鋒を担うなど、ひと言で“モダン・ジャズ”の枠に収められない振り幅の活動を展開していました。

ボクがフィル・ウッズを意識したのは大学に入って楽器をいじり始めたころのこと。先輩がウォークマン(もちろんカセット・テープのやつですよ)でなにかを聴きながらアルトの練習をしているのを見て、「なにを聴いているんスか?」と質問すると、「これ」と教えてもらったのがフィル・ウッズ&ヒズ・ヨーロピアン・リズム・マシーンの『アライヴ・アンド・ウェル・イン・パリス』で、その演奏の激しさと技術の高さにボクはそれを練習材料にしようとしている先輩を尊敬したと同時に、自分の才能のなさを自覚したという、想い出のアーティストなのです。

当のフィル・ウッズはデビュー時の衝撃ほどアメリカでは評価されず、1960年代後半から70年代前半にかけてヨーロッパに拠点を移し、前述のヨーロピアン・リズム・マシーンを結成して活動をしていました。同い年でライバル関係にいたジャッキー・マクリーンがブルーノートにどんどんリーダー作を吹き込んでいたのと比べると、アメリカのジャズ・シーンがフィル・ウッズの才能を理解できなかったか妬んだかして干していたのではと勘繰ってしまうほどです。

ブルーノートといえば、結局フィル・ウッズがこのレーベルで録音の機会を得たのは本作の前年、ジョニー・グリフィンと共演した『フィル・ウッズ・ミーツ・ジョニー(ザ・レヴ・アンド・アイ)』でした。ここでようやく、彼に貼られていた“ジャズでは異端”というレッテルも剥がされたことになったのではないでしょうか。

“ジャズでは”というのも、ジャズ以外のところでの評価は高く、たとえばビリー・ジョエルが1977年にリリースしたアルバム『ストレンジャー』収録のシングル第一弾「素顔のままで」の間奏と後奏で耳にするサックス・ソロはフィル・ウッズのもので、ビリー・ジョエル初のビルボード誌シングル・チャート・トップ10入りを果たす大ヒットとなっているほか、スティーリー・ダンなどのポップス・シーンで引っ張りだこの人気を博していました。

この作品のもう1つの注目点は、大西順子の先の活動休止(第1次)直前の作品であるということです。大西には1996年にジャッキー・マクリーンとの共演作『ハット・トリック』、同年にジョー・ロヴァーノとの共演作『テナー・タイム』があり、いわば本作を含めてサックス・ジャイアンツ共演三部作をなしているわけなので、そのへんの聴き比べをしてみるのも一興です。

♪Phil Woods his European Rhythm Machine

ヨーロピアン・リズム・マシーンでの演奏です。バラードとは思えない手数の多さ(笑)。勝手に手と口が動いてしまうというので思い出すのはチャーリー・パーカーですが、もしかしたら生前のパーカーを悩ませていた負の評価を彼が受け継いでしまったのかもしれません。しかし、ヨーロッパでは評価が逆転、逆輸入というかたちで1970年代後半からはアメリカでも人気を博することになったわけです。その意味でもフィル・ウッズはジャズのエポック・メイキングな人物であると言えるでしょう。

月曜ジャズ通信 2013年12月30日 ゆく年くる年押し詰まり号(一部加筆修正)

ご冥福をお祈りいたします。