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《訃報》イージーリスニング・ジャズで世界を席巻したクラリネット奏者のアッカー・ビルクさん逝去

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
『ベスト・オブ・アッカー・ビルク』
『ベスト・オブ・アッカー・ビルク』

1962年に全米・全英のヒットチャートで1位を記録した「白い渚のブルース」の作曲・演奏で知られるクラリネット奏者のアッカー・ビルクさんが亡くなられた。享年85歳。

ビルクさんは1929年イギリス・サマーセット州生まれ。第二次世界大戦後に徴兵された際にクラリネットを学び、1950年代にはイギリスの“トラディショナル・ジャズ・シーン”のスターとして活躍。

とくに「白い渚のブルース(Stranger on the Shore)」はミリオンセラーを記録、彼の名前は世界に知られるようになった。

1969年にアポロ10号が有人月周回飛行を行なった際には、フランク・シナトラとキングストン・トリオとともに彼の曲がカセットテープに収録されて船内に積み込まれたというエピソードも。

肉体的なハンディが独特の音色を生んだ

ビルクさんは子どものころに事故で指を欠損していたが、そのハンディを練習によって克服し、独特のソフトなトーンを発するクラリネット奏法を編み出している。

この独特のソフトなトーンによって、“イージーリスニング”と呼ばれる、くつろいで楽しめる軽音楽の分野での第一人者となった。1960年代はロマン派以前のクラシックは重厚で堅苦しいというイメージが強く、20世紀の現代音楽は難解で大衆性に欠けていたため、ライト・クラシックへの要望が高まっていたのだろう。また、ジャズにはレイス・ミュージックという偏見がまだまだ強かった時代なので、“ジャズっぽいけどクラシック寄り”というスタンスがウケたと考えられる。

ライトなサウンドを決定づけた“元祖”

1960年代のジャズ・シーンでは公民権運動とリンクしたコンセプチュアルかつ“アフリカ的”なサウンドが勢力を拡大していく一方で、1962年にはボサノヴァ旋風がジャズ・シーンにも及び、1967年に発足したCTIレーベルは“大衆にアピールするジャズを制作する”ことをポリシーにイージーリスニング路線を打ち出すなど、ライトでハイ・レヴェルなサウンドへのニーズが確立していった時期でもあった。

こうした流れを振り返ると、1960年代の初めに大ヒットした「白い渚のブルース」はイージーリスニングの在り方を決定づけた“元祖”であり、ビルクさんのソフトなクラリネットは“激しい時代”だったからこそ求められた“癒し”の処方箋として有効に機能したと言えるのではないだろうか。

ご冥福をお祈りします。

♪白い渚のブルース Stranger On The Shore

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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