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小学校英語とエビデンス、再び

寺沢拓敬言語社会学者

先日、「小学校英語とエビデンス」という一般向けの記事を書いた。

その内容をアカデミックなものに大幅に書きなおしたものが以下の論集に掲載されたので紹介したい。

中部支部Wiki : 外国語教育基礎研究部会2014年度報告論集 - LET Chubu

書誌情報

寺沢拓敬 2015. 「英語教育学における科学的エビデンスとは?――小学校英語教育政策を事例に」『外国語教育メディア学会(LET)中部支部外国語教育基礎研究部会2014年度報告論集』 pp. 15-30.

論文は上記のリンク先からダウンロードできる。なお、当該ファイルを開く際にはウェブサイトに掲載されているパスワードの入力が必要なのでご注意を。

政策科学としての英語教育学

本論文は、啓蒙を目的とした論文である――自分で言うのは若干おこがましいのだが、実際問題として啓蒙の切迫した必要性があるのだからそう言わざるを得ない。

具体的には、社会科学・政策科学的な考え方の啓蒙である。

拙著『日本人と英語の社会学』でも再三述べたことだが、現在の日本の英語教育学は、言語習得論や教育方法論の点では高度な実証性を築いた一方で、社会科学・政策科学の面ではまだかなり弱いと思う。

ただ、そのような状況にもかかわらず、政策について素朴に語りたがる英語教育学者は多い。もちろん「政策研究のトレーニングを受けていないなら政策的な発言は控えるべし」と言うことも可能である。ただ、それはあまりに後ろ向き(?)すぎると思う。そこで私はもっと前向き・建設的に、「こうすれば妥当な政策語りができるよ!」と論じてみようと思ったのである。

エビデンス

なお、この論文のキーワードは、「エビデンス」である。

個人的には、近いうちに「エビデンス」が教育業界のプチ流行語になると思う――たとえば「ビッグデータ」のように。

エビデンス、つまりきちんとした科学的根拠に基いて教育政策が決定されることは、当然ながら歓迎すべきものだと思う。しかしながら、単なる流行語として消費されるだけという危惧もある。つまり、古くからある「根拠」という語を、新しいカタカナ語で呼び変えただけ、という事態である。

おそらく英語教育学は教科教育学のなかでも最も科学化が進んだ分野である(「科学」志向の強い言語学・心理学から大いに影響を受けてきたのがその原因である)。その意味で、英語教育学は、エビデンスベーストの優等生の最有力候補である。

ただし、エビデンスベーストアプローチは、意思決定に関する考え方である以上、従来の科学――典型的なのが理論言語学的な「科学」――とはある程度異なる科学観に立脚している点は、いくら強調しても強調し過ぎということはない。

たとえば、主流のエビデンスベーストアプローチでは、重要なのはエビデンスの「ある/なし」ではなく、エビデンスの強弱である。つまり、どれだけ根拠が信頼できるか、その程度が重要なのである。

たとえば現在、脳科学の科学性は疑いようがないが、教育的エビデンスとしての信頼度の点では最低ランクの評価を受けている。実際の教育現場と距離がありすぎるためである。念のため付け加えれば、そもそも脳科学者は教育のために研究しているわけではないのだから、これは脳科学への非難でも何でもない。単に守備範囲が違うという話である。

しかし、このような根本的な考え方がが理解されないまま、「エビデンス」が従来通りに理解されたままでプチ流行になったりすれば、「エビデンスに基づく英語教育を」と題したワークショップなどで、脳科学者が「脳科学的に見た効果的な英語指導」のような講演をしたりするようなことになるだろう。

このような悲喜劇は非現実的にも見えるが、欧州発のCEFRが曲解に曲解を重ねて日本版CEFRとして「日本化」された現状を見るにつけ、まったくありえないことでもないように思う。そのため、早めに先手を打っておいたほうがいいと思った次第。

言語社会学者

関西学院大学社会学部准教授。博士(学術)。言語(とくに英語)に関する人々の行動・態度や教育制度について、統計や史料を駆使して研究している。著書に、『小学校英語のジレンマ』(岩波新書、2020年)、『「日本人」と英語の社会学』(研究社、2015年)、『「なんで英語やるの?」の戦後史』(研究社、2014年)などがある。

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