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浅間山が噴火 1783年に火砕流で約1500人死亡、天明の大飢饉も起こした強暴火山

巽好幸ジオリブ研究所所長(神戸大学海洋底探査センター客員教授)
(写真:アフロ)

 8月7日午後10時8分、群馬と長野にまたがる浅間山で小規模な噴火があった。噴煙は上空1800メートル以上まで達して北へ流れ、火山弾あるいは火山岩塊(噴石)は火口から200メートルほど飛散したという。気象庁によると、この火山では常時観測を行なっているものの、明瞭な予兆現象は認められなかった。最近では、戦後最大の火山災害となった2014年の御嶽山噴火や、草津白根山の噴火でも、噴火の前兆となる活動は捉えられなかった。特にこのような水蒸気噴火は、突然起きる場合が多い。

 今後の推移を見守りつつ、特に近隣住民の方々は十分な備えをお願いしたい。一方で、この火山が過去に近隣のみならず広範囲に被害を及ぼした噴火をしていることを、火山大国に暮らす私たちは忘れてはならない。

1783年の天明噴火

 明治時代に観測が開始されて以来、2000回を超える噴火が記録されているこの活動的火山が大暴れしたのは、江戸時代の天明3年(1783年)である。この大噴火の前には、1721年、1775年と噴火を繰り返し、火山弾(噴石)の直撃を受けて死者が出たほか、降灰により農作物にも大きな被害がでた。

 そして1783年5月9日昼前に噴煙が立ち上がり、火山灰が主に東方向に降り積もった。その後1ヶ月ほどは比較的静穏であったようだが、7月17日夜に大噴火が始まり、火口から北に10キロメートル近く離れた嬬恋村鎌原でも軽石が10センチメートルほど降り積もった。25日には噴火の勢いはさらに強まり、断続的に高い噴煙柱が立ち上がり、降灰は江戸でも認められた。8月4日の夕方から翌日の未明にかけて噴火はクライマックスに達し、17時間にわたって大量の軽石や火山灰を東南東方向にもたらした(図)。この時の噴煙柱は高度約1万8000メートルにまで達したという。

 立ち上がった巨大な噴煙柱は、マグマや火山ガスの噴出スピードが低下してくると柱を維持することができなくなり、大崩壊して火砕流が発生する。天明噴火でもこの噴煙柱崩壊が起こり、主に北東山麓に向かって流れた「吾妻火砕流」は、山林を焼き払いながら山頂から約8キロメートルの距離まで到達した(図)。

浅間山の1783年天明噴火による噴出物と洪水被害(巽原図)
浅間山の1783年天明噴火による噴出物と洪水被害(巽原図)

鬼押出溶岩の流出と鎌原火砕流・岩屑なだれの発生

 この激しい噴火では、火山岩塊などの大きな噴出物が火口周辺に落下した。そして岩石の内部がまだ高温であったために、これらの岩塊はできたての餅のようにペチャペチャとくっついて「溶結」してしまったのだ。やがてこの溶結部の厚さが増すと再流動が始まり、溶岩流となって浅間山の北斜面を流れ下った。これが観光地で有名な「鬼押出溶岩」である(図)。

 鬼押出溶岩は8月5日には、当時の浅間山の北側山腹にあった「柳生沼」へ流れ込んだ。この時に、高温の溶岩流が水と接したことでマグマ水蒸気爆発が起きたのだ。この爆発音は遠く京都まで聞こえたという。この爆発で吹き飛んだ岩塊は、粉々に破砕された岩片や水蒸気と渾然一体となって「鎌原火砕流」が発生した。この火砕流は火山体を作っていた比較的脆弱な石や土砂を削り込みながら流れ下ったために、岩屑なだれも同時に発生した。

 鎌原火砕流・岩屑なだれは、10キロメートル以上離れた鎌原村を襲い(図)、一瞬にして村全体を埋めつくした。この村のほぼ全員、466名が犠牲となった。さらにこの火砕流・岩屑なだれは吾妻川の渓谷に滝のように流れ込み、高温の土砂と水が混じった熱泥流となって流れ下り、ついに下流の利根川に流入して下流一帯に大きな洪水被害をもたらした(図)。死者は約1000人にも及んだとされている。この泥流は4日後の8月9日には千葉県の銚子に到達して、太平洋に流れ出た。

天明の大飢饉

 この浅間山天明噴火の被害は、火砕流や岩屑なだれ、それに泥流による直接的なものだけで済まなかった、噴き上げられた火山灰や火山ガスの影響で日射量が減少し、東北や関東地方では冷害のために農作物は壊滅的な打撃を受けた。アイスランドのラキガル火山の大噴火による影響も加わり、「火山の冬」と呼ばれる現象が起きたのだ。そしてこれが引き金となって近世日本で最大の「天明の大飢饉」が発生した。一説によるとこの大飢饉による死亡者は数十万人にも及ぶという。当時の日本の人口は約3000万人とする推定に基づけば、日本人の約1%が餓死したことになる。

 昨日の噴火がここで紹介した天明噴火のような大噴火・大災害に至るかどうかはわからない。しかし、私たち日本人は、このような危険な火山と共に暮らしていることを忘れてはならない。

ジオリブ研究所所長(神戸大学海洋底探査センター客員教授)

1954年大阪生まれ。京都大学総合人間学部教授、同大学院理学研究科教授、東京大学海洋研究所教授、海洋研究開発機構プログラムディレクター、神戸大学海洋底探査センター教授などを経て2021年4月から現職。水惑星地球の進化や超巨大噴火のメカニズムを「マグマ学」の視点で考えている。日本地質学会賞、日本火山学会賞、米国地球物理学連合ボーエン賞、井植文化賞などを受賞。主な一般向け著書に、『地球の中心で何が起きているのか』『富士山大噴火と阿蘇山大爆発』(幻冬舎新書)、『地震と噴火は必ず起こる』(新潮選書)、『なぜ地球だけに陸と海があるのか』『和食はなぜ美味しい –日本列島の贈り物』(岩波書店)がある。

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