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「災害は運命だと諦める」ことをそろそろやめませんか?

巽好幸ジオリブ研究所所長(神戸大学海洋底探査センター客員教授)
1923年9月1日関東大震災(提供:MeijiShowa.com/アフロ)

 明日は防災の日、94年前のこの日に関東大震災が起きた。三浦半島沖の相模トラフで発生したM8クラスの海溝型巨大地震は、東京など南関東の広い範囲に強烈な揺れをもたらし、大火災と相まって10万人超の死亡者、190万人の被災者を出した。当時の日本の人口は約5800万人、現在の半分ほどであったことを考えると、この被害者数は驚愕の数字である。大打撃を受けたこの国は、その後昭和恐慌へと転がり落ちていった。

 日本列島には太平洋プレートとフィリピン海プレートの2つのプレートが沈み込んでいるために、地球上で最も地震と火山が密集する(詳しくは「地震と噴火は必ず起こる」に)。だからこの国では、地震と噴火による災害は不可避である。

古代日本人の葛藤と妥協

 地質学的に「安定大陸」が広がるヨーロッパでは、地震や火山による災害は比較的少ない。この地勢が大きく影響して、一神教(キリスト教)およびそれに基づき自然を支配対象とみなす思想が定着した。片や「変動帯」日本列島では多神教が根付いた。その背景には、たびたび災厄を起こす一方で豊かな恵みをもたらす大地や山など、自然界のありとあらゆるもの(やおよろずの神)に対する畏敬と感謝の念があった。縄文遺跡には、地震で生じた地割れや噴砂の上に土器片などが供えられていることがあるという。

 このように古代日本には、自然と一体感を持った共生(ともいき)の精神があった。そして地震津波などという自然の荒ぶりは畏まりを持って伝承されたに違いない。だからこそ、大いなる恵みを与えてくれる海から少し離れた、やや不便な高台に集落を作ったのだろう。しかし弥生時代に入って農耕が広まると、人々は低地平野部に暮らすようになる。稀にしか襲来しない津波に備えるよりも米栽培の利便性を優先したようだ。その結果、自然からの当然の報いとして津波の直撃を受けたことが、遺跡の状況から読み取ることができる。

 いつかは必ず受ける自然の脅威、それと便利で一見豊かな明日の生活のどちらを選ぶか? 災害大国の民は葛藤を繰り返したに違いない。しかしもはや後戻りはできなかった。このある種の罪悪感から人々を解放したのが、「すべて存在するものは絶えず移り変わっていく」という仏教の教えだった。やがてこの思想は平安貴族の憂いと融合して「無常観」として昇華する。平家物語、徒然草、それに方丈記の世界だ。以降日本人は「うつろいゆくもの」に美を感じ、一方で自然災害は荒魂(あらたま)として甘受すなわち諦めてしまった。

必至の試練を覚悟して備える

 自然がもたらす試練を無常観に基づいて世の常として諦めるには、そのことを忘れるのが一番手っ取り早い。超一流の地球科学者でもあった随筆家の寺田寅彦は、関東大震災の2ヶ月後に友人へ宛てた書簡で大いに嘆いた。「地震の災害も一年たたない内に大抵の人間はもう忘れてしまって此の高価なレッスンも何にもならない事は殆ど見え透いていると僕は考えています。・・・今後何十年か何百年かの後に、すっかりもう人が忘れてしまった頃に大地震が来て又同じようなことを繰返すに違いないと思っています。・・・いつ迄たっても日本人は利口にならないものだと思っています」。

 もちろんあの阪神淡路大震災や3・11、それに御嶽山噴火について、惨劇の記憶を風化させない努力は続いている。しかし例えば、今後30年の発生確率が70%を超える首都直下地震への備えや覚悟は、復興五輪の高揚感にかき消されているようにも見える。また一時はよく耳にした「首都機能移転」も遅々として進んでいないようだ。

 一方で東京を始めとする都市部への人口集中が進む現代社会では、巨大災害が起きれば未曾有の被害をもたらすことは確実だろう。日本人が過去に幾度となく経験し、再び秒読み段階に入ったとも言える南海トラフ地震では、国民の5人に1人が被災者となる可能性がある。そして首都直下地震では60人に1人が被害を受ける(「災害大国ニッポン、4人に1人が被災者に」)。「万が一」ではなく明日は我が身と認識して、被災時のシミュレーションをしっかりしおくべきだろう。

 地震と比べて巨大カルデラ噴火はもっとずっと破局的だ。東京湾を埋め尽くすほど多量のマグマが一気に噴き上がり、火砕流と火山灰が広範囲に及ぶ。だから、最悪の場合「日本喪失」も免れない。日本列島ではこのような超巨大噴火は7300年前に南九州縄文人を絶滅に追いやって以降一度も起きていない。しかし低頻度であるがゆえにかえってタチが悪い。将来確実にやってくるとはいえ、こんなにも稀な試練に思いを巡らすことは、無常観にどっぷりと浸かった日本人には難しいのかもしれない。だがこの破局的噴火は今後100年に1%の確率で発生する。そしてこの一見低い確率が決して安心できるものでないことを、私たち日本人はすでに経験済みだ。別の言い方をすると日本人の500人に1人が生涯に一度はこの憂き目にあうのだ。

 日本列島からの数々の恩恵を享受するのはもちろん結構だが、防災の日に、この列島からの試練そして自然との共生(ともいき)について少し考えてみることも悪くないだろう。覚悟とは、決して諦めることではない。事実を真正面から受け止め、腹をくくって暗中模索を始めることだ。

ジオリブ研究所所長(神戸大学海洋底探査センター客員教授)

1954年大阪生まれ。京都大学総合人間学部教授、同大学院理学研究科教授、東京大学海洋研究所教授、海洋研究開発機構プログラムディレクター、神戸大学海洋底探査センター教授などを経て2021年4月から現職。水惑星地球の進化や超巨大噴火のメカニズムを「マグマ学」の視点で考えている。日本地質学会賞、日本火山学会賞、米国地球物理学連合ボーエン賞、井植文化賞などを受賞。主な一般向け著書に、『地球の中心で何が起きているのか』『富士山大噴火と阿蘇山大爆発』(幻冬舎新書)、『地震と噴火は必ず起こる』(新潮選書)、『なぜ地球だけに陸と海があるのか』『和食はなぜ美味しい –日本列島の贈り物』(岩波書店)がある。

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