米国時間12月10日からの週、モバイルとソーシャルメディアの「写真」に関する動きが活発になりました。

刷新されたInstagram。カメラ操作の変更と新しいフィルタが追加された。
刷新されたInstagram。カメラ操作の変更と新しいフィルタが追加された。

1つは、Facebookに買収された写真加工・共有アプリ「Instagram」のバージョンアップ。新しいフィルタの追加、美しいぼかしが可能になるなど画質の向上です。一方でInstagramはTwitterのウェブサイト上でツイート共に写真を表示する「Twitter Cards」への対応をやめ、自社サイトで写真を見てもらう方式に変えました。

2つ目は「Twitter」。こちらも公式モバイルアプリをバージョンアップし、以前から噂されていた「Instagram」ライクなフォトフィルター機能を搭載、印象的な写真をTwitterアプリだけで共有することができるようになりました。もちろんTwitterアプリで加工した写真は、Twitterのウェブサイト上でこれまで通り表示されます。

TwitterのウェブではInstagramの写真が直接表示されなくなりました。
TwitterのウェブではInstagramの写真が直接表示されなくなりました。

Twitterに流れてくるInstagramの写真は、一度リンクをクリックしてInstagramのウェブサイトに行かなければ確認できなくなりました。一方でInstagramのような雰囲気の写真はTwitterアプリで投稿でき、Twitterの画面でそのまま確認できます。

FlickrのiPhoneアプリにもフィルタ機能が追加されました。
FlickrのiPhoneアプリにもフィルタ機能が追加されました。

そして3つ目は、米Yahoo!が買収した写真共有サービス「Flickr」のウェブとアプリの刷新。筆者はYahoo!

による買収以前から有料ユーザーに登録しているのですが、やっと思い腰を上げてモバイルに取り組んだか、という感覚です。Flickrはこの刷新によって、スマートフォンでの写真閲覧を劇的に改善し、InstagramやTwitterと同じようにモバイルフォトにフィルタをかけて投稿する機能も搭載も実現しました。

こうして、タイミングを合わせたかのように、モバイルと写真に関するプレイヤーの新しい取り組みの数々が明らかになったのです。ただ、問題の本質はフィルタをかけた写真ではないと考えています。Twitter、そして特にFlickrは、有料会員という贔屓目で見ても「遅すぎた」といわざるを得ません。

モバイル・フォトは日本から

日本ではカメラ付きケータイが登場し、いち早く写真付きのケータイメールの送受信に対応したJ-PHONEのブランド「写メール」「写メ」が定着しました。写真付きでケータイから投稿するブログも出始めましたが、友人同士で写真を送信し合う使い方から、モバイル・フォトのコミュニケーションがスタートしています。

そんな環境にあった2003年、日本で「Moblog Confference」が開かれました。Moblog(モブログ)とは「モバイル」と「ブログ」から作った造語。今でこそ当たり前になったモバイル環境での写真の共有を、当時広まりつつあったブログの文脈でとらえたイベントでした。モバイルの研究室に所属し、ブログの研究をしていた大学院生としてこのイベントに参加した筆者は、まさに追いかけている領域2つのコラボレーションの場として、興奮していたのを覚えています。

特に日本は第三世代(3G)通信とカメラ付き携帯電話、GPSなどが世界に先駆けて普及していた地域で有り、現在のスマートフォンのようにアプリで画像を加工したりする機能はないながら、位置情報を埋め込んだ写真をメールなどでサーバに送り込んで投稿することができます。世界でも数少ない「モブログを現実的に実行可能な国」が日本だったと振り返ることができます。

ケータイのカメラは、写真を撮ることを身近にしてくれました。写ルンですに代表されるレンズ付きフィルムが1990年代の若者が気軽に写真を撮影して思い出をプリントするカルチャーを作ったとしたら、2000年代はケータイのカメラが写真との距離を身近にしてくれました。

しかも、瞬時にメールで共有できる写真は、ソーシャルメディアでより多くの友人との体験の共有をもたらす方向と、一眼レフやマイクロ一眼など「ちょっと良いカメラで写真を撮る楽しみ」への興味・市場の創造へ、それぞれバトンタッチしていると考えられます。

Instagram・コミュニケーション

コーヒーのカッピング(テイスティング)を体験したときのInstagram。
コーヒーのカッピング(テイスティング)を体験したときのInstagram。

そのソーシャルでの写真の楽しみ方を、Instagramはどのように構築しているのでしょうか。

先月New Yorkへ取材に行った際、ソーシャルメディア関連のイベントのアフターパーティーに顔を出しました。バーカウンターで見かけた面白い光景は、Instagramを見せながら会話をする女性たち。もちろんFacebookも使うし、Twitterでニュースのチェックもするけど、友人とはもっぱらInstagram、と答えていました。

どんな写真を撮影したか、というシンプルな表現方法である一方で、「どこへ行ったか」「何を体験したか」というストーリーが1枚、もしくは複数枚のInstagram上の写真に記録されており、最近の自分発の世間話を大いに助けてくれる「ネタ帳」みたいな役割を果たしてくれているといいます。

分かりやすい話が、食べ物。「マクドナルドに行った時には写真をシェアしないけれど、例えば有名なステーキハウスのハンバーガーの写真は共有する」と説明します。日本の場合、マクドナルドでも共有して話題になることがあるかも知れないので、すこし文脈が異なる可能性はありますが、日常の中の良い体験、人と少し違う体験がInstagramで共有すべき写真、というアイディアは伝わってきます。

一方で、なぜFacebookではなくInstagramなのか?という疑問には「面倒だから」という答えが返ってきました。

もちろんInstagramからFacebookへ共有している人は(筆者も含め)たくさんいると思いますが、Facebookでは文字の投稿やビデオ、リンクの共有など「雑多な情報を見なければならない」のが面倒だといいます。Instagramなら、友人の体験というストーリーが込められた写真を見れば良いため、洗練され、使いやすい情報という位置づけになっているとのことでした。

「いやー、Facebookのニュースフィードに表示させる情報って、ある程度コントロールできるよね?」なんて質問は、バーカウンターでは無粋ってやつですね。それ以上話を聞くのはやめました。

「フィルタ付きの写真」がポイントではない

今回TwitterやFlickrが、Instagramのようなフィルタ機能をアプリに持たせ、モバイルでの写真体験を高めようとする試みがうかがえます。ところが、ここまでの話を見てくると、フィルタ機能をアプリに持たせることが本質ではない、ということがおわかりになるかと思います。

もちろん短期的にはInstagramと同じような写真が作り出せるTwitterやFlickrのアプリは注目され、Instagramの優位性を幾分減らすかも知れません。しかし、写真を主体としたコミュニケーションの母体を持っているInstagramは、「写真で会話する」というカルチャーを作りつつあると考えています。

もう1点、InstagramのバックにいるFacebookは、Instagramに投稿された写真をFacebookのアルバムに統合しようとしています。最新のスマートフォン向けFacebookアプリでは、撮影した写真を自動的にFacebookにアップロードしてプライベートに保存し、いつでも投稿・公開できる状態にする仕組みをスタートさせました。

Instagramの写真が自動的にFacebookに蓄積され、好きなときに利用できる環境は、Instagramが持つモバイルフォトでの会話を、Facebookのコミュニケーションで簡単に「二次利用」する可能性を広げるものになるでしょう。

場所とストーリー = 文化になる

モバイル環境での写真のせめぎ合いの前に、GoogleとAppleでモバイル地図についての争いがあったことも記憶に新しいかと思います。GoogleもFacebookもAppleも、これまでウェブで成功していた検索とコンテンツに沿った広告のビジネスモデルが、ウェブほど上手くいかないことに気付いています。

これまでの「ページビュー」や「クリック」ではないトリガーを探した結果、それは人の行動であり、行動をナビゲートする地図に注目が集まっていたと見ています。同時に、その場所で何をしたか、というストーリーが凝縮されるモバイルフォトもまた、非常に重要な情報になるのです。

2003年、モブログに心躍らせていた筆者は、同じ年の4月にできた六本木ヒルズや渋谷の街をモブログのフィールドワークで歩きました。そこで筆者自身、あるいは一緒にフィールドワークに参加した人が切り取った写真を後から重ねてみると、そこに何があったのかが新鮮に蘇ります。

その写真が「モブログ」されてからそろそろ10年。そこら中に置かれた、10年前の写真を簡単に見られる環境がますます充実していくはずです。例えば、今この瞬間を共有したり、何らかのビジネスに関係する情報として活用されたモバイルフォトが、後々、歴史や文化的な価値を帯びてくると考えると、とても意義深いものに感じられます。