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「愛子天皇」待望論で気になる「国民の総意」「皇室典範」「政府見解」「憲法改正論議」などを考察する

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
思えばアッという間の年月(写真:ロイター/アフロ)

 3月に行われた愛子さまの記者会見が話題をさらいました。絶賛一色というほどに好評。高校・大学の同窓生に取材しても「驚いた」「あのような方だったとは」「ペーパーも見ないであんなにハキハキ話されるなんて」と意外であったようです。俗な言い方で恐縮ですが「血筋は争えない」のでしょうか。

 ゆえにでもあるでしょう。「やはり愛子さまが天皇陛下になってほしい」という声も沛然と湧き上がっています。でも現行法ではかないません。そこで阻害している要因などを逐次示しつつ考察を加えていきます。

憲法と皇室典範の特殊な結びつき

 「女性天皇」を容認するかどうかの近年(2018年以降)の世論調査では賛成が約8割を占めています。回答者が調査時点で「女性天皇」に愛子さまを重ねているのは確実でしょう。

 現在において「女性天皇」がかなわないのは皇室典範という法律で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」(1条)と「男子」に限っているから。ただ法律だから唯一の立法機関である国会が過半数で改正してしまえばいい……と形式上はいえるのですけど、この法律が憲法と結びついている特殊な位置にあるというのが難しいところ。

 広く知られているように日本国憲法は1条で天皇を「日本国の象徴」とし、その「地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定。続く2条で皇位を「世襲」「皇室典範の定めるところ」によって「継承する」とします。

 すなわち皇室典範は憲法1条を受けた内容でなくてはなりません。法律はすべて合憲でなくてはいけないとはいえ典範はその責任を憲法自身に明記されているため倫理的に極めて重い立場なのです。

「国民一人一人の意思」ではない「国民の総意」?

 さて、ここで「国民の総意に基く」ならば8割の支持がある「女性天皇」を認めても別段憲法問題にならないとか、いや2割反対ならば「総意」といえないという議論をしたくなるのですけど、どうもそういう話でもなさそうだからややこしい。

 縛ってくるのが現行憲法の制定過程における議論。日本国憲法は1889年に公布された大日本帝国憲法(明治憲法)の改正という形で1947年に施行されました。明治憲法は自らの改正を勅命(天皇の命令)をもって議案を帝国議会へ付して3分の2で議決できると定めていたため戦後の46年に開かれた議会で主な改正案を審議したのです。

 ここで示された改正案の「国民の総意」についての政府、具体的には金森徳次郎憲法担当国務大臣の答弁は「(46年という)瞬間に生きている国民ではなく過去や将来の国民も合わせて考える」「(現人神など)神秘的根拠でなく現実的な規定」という内容でした。

 公布後の政府見解も「具体的な国民一人一人の意思というような意味ではない」「改憲案を審議した時の議会が『国民の総意はここにある』と判断したもの」と金森大臣の見解を踏襲しています。

 要するに改憲時に「将来」つまり2022年を生きる我々まで「総意」に含まれ、その意味は「具体的な国民一人一人の意思」ではないというわけです。

新典範制定時点から排除されていない「女性天皇」

 とはいえ現行憲法は「世襲」はともかく「男子」とは書いていません。明治憲法が「皇男子孫之ヲ継承ス」と明記していたのとは違います。この点を金森大臣は「時代に応じて部分的に異なり得る場面があってもいい。そういう余地があり得る」と答えています。

 皇室典範は皇位の継承などを定めています。同名の存在は明治憲法と同時に定められるも当時は「憲法と同格」と位置づけられていて46年に廃止。今の典範(本稿では便宜上「新典範」とする)は前述の通り法律です。

 この変更も当時は重要なテーマで46年の皇室典範案審議で金森大臣は女性天皇を認めるかどうかについて「現段階(46年)では(男子が)適当という趣旨であって結論的なものを持ってはいない」と柔軟。実際に2006年には小泉純一郎首相が女性天皇を認める新典範改正案を国会に提出すると施政方針演説で述べています。同年に悠仁さまが誕生されて立ち消えとなりましたが。

平成の天皇退位と安倍内閣の政府見解変更

 というわけで今の課題は次世代に悠仁さまという新典範で定めた皇位継承者がいるなかで「愛子天皇」をも実現させる道を開くかどうかとなりましょう。

 まず前述の「国民の総意」論。1946年の帝国議会議員の判断が今の我々をも包含しているといわれてもピンと来ないのは確かです。2つの事例から迫ってみましょう。

 1つは平成の天皇が退位した経緯です。退位の規定は憲法にも当時の典範にもなかったなかでご自身が「国民の理解を得られることを、切に願っています」と結んだ「おことば」が始まりでした。自らの「高齢」「身体の衰えを考慮する時」「象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じてい」るとし憲法が定める「国政に関する権能を有」さない点や「皇室制度に具体的に触れることは控えながら」「個人として」の考えとして「象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ」て退位のご希望を抑制的に伝えられました。

 法的には特例法を定めるなどして決着。背景に間違いなく「国民の理解」があったからです。ここを「国民の総意」と言い換えてもさして違和感はなさそう。46年段階で昭和天皇は40代で次世代に10代の皇太子と二男さらに3人の弟君がいらっしゃいました。やはり「将来」(金森大臣)を見通すのは大変とわかった出来事でした。

 もう1つは政府見解は果たして覆せないのか。この点は2014年の安倍晋三内閣による集団的自衛権に関する政府見解の変更が挙げられます。ことの是非はともかく閣議決定し、さらに立法府での法改正まで成し遂げたのです。

「天皇陛下の子が次の天皇になるべきだ」の正統性

 「愛子天皇」待望論には皇統の正統性という側面も。平たくいえば「天皇陛下の子が次の天皇になるべきだ」という素朴ながらもっともな、ある種の「国民の総意」です。今上天皇(126代)まで119代の光格天皇から一貫してそうしてきました。

 現に皇室経済法は皇族のうち「天皇ご一家」を別格として扱っています。6人の未婚皇族のうち称号(敬宮)が与えられているのは「ご一家」の愛子さまだけ。悠仁さまは現時点では秋篠宮家の跡取りという位置づけなのです。

もし国民投票で決められるとしたら

 これまで主に9条を中心に憲法改正論議がなされてきました。果たして「第一章 天皇」(1条~8条)も時代にあっているのかという視点もあっていいはずです。

 先述した「国民の総意」にかかわる政府見解への違和感はもとより、「天皇は、この憲法の定める」10の国事行為「のみを行ひ」(4条)でいいとしている戦後の天皇はいません。上皇のビデオメッセージには「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」とありますが、これらは一部を除いて国事行為ではありません。

 半面で国事行為である「衆議院を解散すること」を解釈して歴代内閣は衆議院を解散してきました。

 別に「廃止論」でも「元首論」でも構わないのです。さまざまな意見をたたかわせて今日に合った皇室のあり方を考えてもいいのではないでしょうか。女性天皇の是非も当然テーマになってくるでしょうし。

 何より憲法改正は国民投票が義務づけられています。過半数で成立というところが「国民の総意」という文言と齟齬をきたす心配があるとはいえ皇位継承に関して「さわらぬ神に祟りなし」「我が亡き後に洪水は来たれ」とばかりに拱手傍観しているよりは議論ぐらいしても罰は当たらないのでは?

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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